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カテゴリ:WORDS 3
リアル友のSさん、仕事に関しては根っから真面目。
それゆえにあまりにも頑張りすぎてしまうためか、 時々自分の能力が未熟なのではないか 自分を責めてしまい、 仕事中でも泣いてしまうという。 今の仕事に移って数ヶ月。最近では新人を教える立場になったそうなのだが、 なかなか自分の思うようにうまくいかない。 それがくやしいらしい。 結構なんだかんだでちゃらんぽらんな自分としては もう少し力を抜けばいいのに とついつい思ってしまう。 もちろん仕事である以上、手を抜くことは許されないのだが、 手を抜くことと力を抜くことは全く違う。 以前よく言われたのが、 「常に100%の力を出すのは土台無理な話。 だからここぞ!という時には120%の力を発揮しろ。 そのかわり抜くべきところでは力を抜いて70%くらいの力で乗り切れ」 要するにメリハリの問題だろう。 それでトータル100%にすればいいのだ。 もちろん真面目で、自分に厳しいことは美徳だと思う。 けれど、それも度が過ぎてしまってはせっかくの美徳も欠点に裏返ってしまう。 純純自身、そうやって力を抜くことを覚えられたからこそ 自分で仕事をコントロールできるようになったのだと思う。 それまでは仕事に振り回されてしまって、自分自身のイメージどおりの 仕事がなかなかできなかった。 今でもそれは完璧に出来ているわけではもちろんないが、 少なくとも以前よりははるかに自分で仕事をコントロールできているという 実感はある。 真面目な人というのは、【力を抜く】ということが【手を抜く】というのと 同じ意味だと履き違えてしまい、 【力を抜く】ことが悪いことだと思ってしまいがちなのではないだろうか? 力を抜くべき場面で抜くことが仕事をコントロールすることに繋がるのならば、 そうすることが真面目に仕事をする ということに繋がるのではないか。 つまり力を抜くべき時に抜くのも仕事のうち ということ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.31 02:55:26
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