あなたは「心配性」ですか?
「あなたは心配性ですか?」と尋ねられれば、ほとんどの人は「そうであるような…ないような」という曖昧な回答をするのではないでしょうか?それはそうですよね。人生を歩んでいれば、「先のことが心配でどうしようもならない」時もあれば、「まあ、なんとかなるだろう」と思える時がありますから。私が毎年クリスマス・イヴにこのブログに書く聖書の言葉は以下のものです。-------------------------------------だから、明日のことを心配するな。明日のことは、明日、自ら心配する。今日は今日のことだけで十分である。--------------------------------------実は、私自身、25年前に当時認知されていなかった「パニック障害」に罹患しました。どこの病院に行っても「全く異常なし」であるにもかかわらず、満員電車に乗ると動悸が高まったり、脂汗をかいたり、吐き気をもよおしたりするのです。「パニック障害」に罹患していたときは、それはもう毎日が「心配」の連続でした。ところが、ここ数年の間に「パニック障害」が解明され、つまるところ「動悸の高まりや吐き気がしてもその後何も起こらない」ということがわかってからは、ほとんど「心配」はなくなりました。実際に、気絶したり嘔吐することがない、という情報があるとないのとでは大違いであることは理解していただけると思います。実は、多くの人の抱えている「心配」というのも、それと似たようなものらしいのです。ある心理学者は「人間の抱えている心配の85%以上は、心配しようがしまいが、関係のないこと」だそうです。例えば、あなたがリストラされるのではないかと心配していても、その心配は難の役にも立たないのです。リストラされるときは心配していてもいなくともリストラされますし、そうでないときも同じです。つまり、85%以上は、自分ではどうにもならないことを心配し、心を病み、鬱病に罹患してしまうケースがとても多いのです。「そうは言っても心配なものは心配だ」と思われる方は、少しでもそれを取り除くべく努力を重ねればいいのです。正鵠を得た方向での努力であれば、それは確実に「心配の種」を小さくしてくれます。行動を忘れ、あたふた「心配」をすることは、自分の心を痛めつけるだけの効果しかありません。