カテゴリ:演奏会(2010年)
アルド・チッコリーニを聴きました。
チッコリーニをはじめて聴いたのは2005年の来日、ファツィオーリをわざわざ持ってきてのリサイタルでした。その後、2008年の来日時にはリストのリサイタルと、コンチェルト(一晩でシューマンとラフマニノフ2番の2曲!)を聴きました。今回の来日もリサイタルとコンチェルトの2本立てでしたが、リサイタルの方は残念ながら都合がつかず、コンチェルトの方だけ聴きに来ました。3月16日、すみだトリフォニーホール。ハウシルト指揮、新日フィルで、曲目はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、第4番です。 会場に来てみると、ロビーのあちこちに「本日の休憩は30分です」と掲示されていました。3番のあと、30分の休憩をはさみ、4番というプログラムです。 3番が始まりました。冒頭の長いオケの伴奏が、日頃の新日フィルの音よりも、格段に精妙で美しいです!これは弦がノンビブラート奏法で、落ち着いた透明な響きであることの効果が大きいと思いますが、木管も柔らかい音色で弦とのアンサンブルが絶妙です。僕の持つ普段の新日フィルのサウンドイメージは、弦も管も、きっちりとしているけれどやや硬質で、うっかりすると金属的な音になりかねない、という感じです。けれど今日の音はそれとまったく違って、柔らかく繊細です。 多分これは指揮者ハウシルトさんの指導効果なのかもしれません。(新日フィルのホームページに載っているベテランオケマンたちの音楽談義によると、ハウシルトさんはものすごく耳が良くて、音程や音色をびしびし的確に修正し、きれいに掃除してくれるような感じで、氏の棒で演奏するのはとても気持ち良いのだそうです。) このオケの前奏を聴いていて、きょうの演奏会はものすごいことになるのでは、という予感が生じました。 そしてチッコリーニのピアノがはいってきた瞬間、それは確信になりました。 84歳になられたチッコリーニのピアノは、指を立てて鍵盤をじんわりと深く押すような弾き方で、表面は滑らかだが確固とした芯がある音です。そしてその音楽!一見何気なく、特別変わったことは何もやっていないように思えるそのピアノに、どうしてこんなに感動させられてしまうのでしょうか。 ベートーヴェンの書いた音楽の素晴らしさが、かって経験したことがないほど、身に滲みてきます。ベートーヴェンってこんなにも素晴らしいんだ、音楽ってこれほどまでに純粋なんだ、ただただそう思いながら、立ち現れては流れていく音楽に、ひたすら耳を傾けるばかりです。今ここで、この音楽を体験できているという幸せとともに、その音楽があまりにも高みにあるので、息苦しさも感ずる、そのような体験でした。 3番が終わりました。濃い内容だったので、今夜はこれ1曲で終わっても充分満足、という充実した疲労感がありました。休憩30分という長さは、チッコリーニの休養のためかと思っていましたが、実は聴衆の気持ちの切り替えと心的エネルギー補填のためにも必要な長さだな~と思いました。 そして4番も、同じく素晴らしかったです。これぞベートーヴェン、という音楽を、じっくり聴かせてくれました。チッコリーニの至芸はもちろんのこと、ハウシルトさんと新日フィル(コンマスは崔文洙さん)も本当に見事な演奏でした。 なりやまぬカーテンコールにこたえてアンコール。シューベルトのクーベルワイザーワルツという静かで瞑想的な曲を弾いてくれました。 ・・・友人が読んだチッコリーニの本によると、チッコリーニは、初めて弾く曲も、既に前から良く知っている曲も、毎回毎回、なんと二年前から、ゼロから勉強を始めるそうです。そうやっていつも新しい目で、二年の時間をかけて作品に近づくというのです。すごいことです。 この日の演奏会、僕がこれまで体験したチッコリーニの演奏会の中でも、格別な高みに達しているような奇跡的な体験でした。まさに求道の精神を貫く天才だけがなし得る至高のベートーヴェン。チッコリーニさん、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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