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カテゴリ:プロレス・格闘技
超獣コンビとも呼ばれたスタン・ハンセンと ブルーザー・ブロディによるタッグチーム 超ミラクルパワーコンビは全日本プロレスにおいて かつてないほど強さを誇ったチームである。 ブロディとハンセンはウエスト・テキサス州立大学の アメリカンフットボール出身の親友ある。 1974年、アメリカ中南部を拠点としていた NWAオクラホマ地区にて初結成し、 10月には同地区認定のUSタッグ王座を獲得。 1976年下期にWWEに進出した。 1981年末、新日本によるブッチャー引き抜きの報復として 全日本プロレスがハンセンを引き抜き、 年末の世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦で ハンセンはブロディ&スヌーカのセコンドとして登場。 試合終盤、場外でウエスタン・ラリアットを放ち、 ブロディ組の優勝に貢献した。 その後、その師匠格でもあるファンクスに対して 「テキサスの化石になれ」と宣戦布告し 1982年より二人は本格的にタッグを組む事になる。 これは鶴田、天龍が師匠・馬場越え、 藤波、長州が師匠・猪木越えを唱えたように 外国人トップの世代交代を迫る意味合いもあった。 以降、全日本の馬場&鶴田の師弟コンビ、鶴龍コンビ、 NWAのファンクス、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助、 リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド、 AWAのハイ・フライヤーズ、 ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル、 WWEのブリティッシュ・ブルドッグス EMLLのマスカラス・ブラザーズなどの 世界5大メジャーの強豪チームと対戦したが、 超獣コンビの強さは抜きんでていた。 日本の至宝タッグ王座であるインタータッグ王座には 1982年に挑戦し、馬場・鶴田の王者コンビは完全に圧倒され、 防戦一方でかろうじて両者リングアウト防衛、 これ以降、二度と超獣コンビが同王座に挑戦する事はなかった。 超獣コンビの世界最強タッグの戦績は、 1982年はファンクスに反則負けで敗れるものの、1983年に初優勝。 1984年は鶴龍コンビに次ぐ準優勝。 しかも彼らの黒星は、殆どが反則負けによるものであった。 1984年4月には新設されたPWF世界タッグ王座の 初代王者決定リーグ戦で優勝。 最終戦で馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組を破った時に 馬場をツープラトンのパイルドライバーでKO、 馬場は翌日の試合を欠場し、 デビュー以来の無欠場記録が3711試合でストップしている。 1984年末、新日本プロレスを退団した長州力らにより設立された ジャパンプロレスと全日本プロレスがが業務提携した為、 主力外国人によるメインイベントが減少化の傾向にあった事、 初来日のロード・ウォリアーズが自分より厚待遇だった事などに 全日本に不信感を抱いたブロディは、 1985年3月に新日本プロレスに移籍。 翌月末、ハンセンとブロディはオーストラリアに遠征しているが、 同年をもってミラクルパワーコンビは事実上の解散となった。 なお、このチームは日本マットでピンフォール負けした事は一度もない。 【お得なラーメンスープセット】 まとめ買いがお得 ラーメン スープ 中華 希釈タイプ 1.8リットル セット売り 送料無料 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.09.13 20:00:17
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