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2018.09.13
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カテゴリ:プロレス・格闘技



超獣コンビとも呼ばれたスタン・ハンセンと
ブルーザー・ブロディによるタッグチーム
超ミラクルパワーコンビは全日本プロレスにおいて
かつてないほど強さを誇ったチームである。

ブロディとハンセンはウエスト・テキサス州立大学の
アメリカンフットボール出身の親友ある。

1974年、アメリカ中南部を拠点としていた
NWAオクラホマ地区にて初結成し、
10月には同地区認定のUSタッグ王座を獲得。

1976年下期にWWEに進出した。

1981年末、新日本によるブッチャー引き抜きの報復として
全日本プロレスがハンセンを引き抜き、
年末の世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦で
ハンセンはブロディ&スヌーカのセコンドとして登場。

試合終盤、場外でウエスタン・ラリアットを放ち、
ブロディ組の優勝に貢献した。

その後、その師匠格でもあるファンクスに対して
「テキサスの化石になれ」と宣戦布告し
1982年より二人は本格的にタッグを組む事になる。

これは鶴田、天龍が師匠・馬場越え、
藤波、長州が師匠・猪木越えを唱えたように
外国人トップの世代交代を迫る意味合いもあった。

以降、全日本の馬場&鶴田の師弟コンビ、鶴龍コンビ、
NWAのファンクス、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助、
リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド、
AWAのハイ・フライヤーズ、
ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクル、
WWEのブリティッシュ・ブルドッグス
EMLLのマスカラス・ブラザーズなどの
世界5大メジャーの強豪チームと対戦したが、
超獣コンビの強さは抜きんでていた。

日本の至宝タッグ王座であるインタータッグ王座には
1982年に挑戦し、馬場・鶴田の王者コンビは完全に圧倒され、
防戦一方でかろうじて両者リングアウト防衛、
これ以降、二度と超獣コンビが同王座に挑戦する事はなかった。

超獣コンビの世界最強タッグの戦績は、
1982年はファンクスに反則負けで敗れるものの、1983年に初優勝。
1984年は鶴龍コンビに次ぐ準優勝。
しかも彼らの黒星は、殆どが反則負けによるものであった。

1984年4月には新設されたPWF世界タッグ王座の
初代王者決定リーグ戦で優勝。

最終戦で馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組を破った時に
馬場をツープラトンのパイルドライバーでKO、
馬場は翌日の試合を欠場し、
デビュー以来の無欠場記録が3711試合でストップしている。

1984年末、新日本プロレスを退団した長州力らにより設立された
ジャパンプロレスと全日本プロレスがが業務提携した為、
主力外国人によるメインイベントが減少化の傾向にあった事、

初来日のロード・ウォリアーズが自分より厚待遇だった事などに
全日本に不信感を抱いたブロディは、
1985年3月に新日本プロレスに移籍。

翌月末、ハンセンとブロディはオーストラリアに遠征しているが、
同年をもってミラクルパワーコンビは事実上の解散となった。

なお、このチームは日本マットでピンフォール負けした事は一度もない。


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Last updated  2018.09.13 20:00:17
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