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2010年1月18日(月)
円安トレンドに入ったと断定するにはまだ早計ですが、今回の外人のどっと買いの 背景には米景気、世界の景気は大きなショックはないまま、そのまま回復していく のではないか。乱高下はあるものの、トレンドはドル買い円安ではないか、ならば 世界の株式市場で景気敏感セクター比率の高い日本株のウェートを低くしたまま で楽観してるのは危険。TOPIX指数に勝つために重要なセクターはハイテク、銀行株、 輸送株、機械株など。企業収益を見たとき、全体の利益の増額分はハイテク、 自動車。機械などの加工産業が素材セクーよりも高いのでみんながあわてて買い付け をしたのでしょう。三井住友FGの公募に応募するかどうかでもライバルファンドと 銀行セクターのウェートが変わり、それだけで運用競争に負けてしまう。 今日の株価の動きも、内外の機関投資家、および、個人投資家を脅すために 乱高下。さあみんなどうする? 回想: 円安→。ハイテク。自動車、機械、。。後は小売り。(今日の高島屋の動きみたかい?) 機械株の上昇は1986年2月とそっくりだね。 1995年のプラザ合意時の超円高不況から、工作機械業界のどこか1社が最初に 前年同期比でプラスになったら、優良機械株もボロ機械株もあっというまに (約2~3週間で30%以上上げてしまった状況と類似してますね。 どれも赤字。PERなんて計算不能。某証券のロンドンに赴任して日本株の 営業開始。。外人にどうやって買いを奨めるべきや悩んだもんでした。 どんな優秀なアナリストも鉛筆の倒れた方向で予測をたてるしかない。 取材してる間に、我先にみんなは買う。 相場をわかっている人が買うんだよね。 この1985年の円高で日本企業はほとんど全滅。この認識が大事ですね。 NEC、富士通。。。いっぱい。大手有名企業のニュースが日経1面に載ることが ほとんどなくなったもんね。 その10年後も円高。 1995年神戸淡路大地震。相場全面安。。 当時確か、「大地騒乱の時代」だかの文庫本が出てたようにも思うね。 外人はびっくり。やはり売った。 次は東京だと、某大手証券ロンドン支店に注文はテレックス打つな。 イギリス時間の深夜(東京の寄り付き直前に)電話して執行してくれと頼んで、 三菱地所を400万株ほど、外人が売ったとはわからように、極秘で売ってくれと 頼んで執行したのを想い出す。 実はあのときから為替は円安に向かいだした。 銘柄を入れ替えた。 一気に劇的円安に向かったのは1995年の8月16日前後。お盆のまっただ中。 僕はフランスの休暇を3週間ほど楽しんで戻ってきたら、 ボスに頼んでいた日産自動車の買い 850万株を彼は出してなかった。 その夜、そにうち650株全部執行、買いつけ完了するために出した。 成り行き400万株。全然できず。深夜、野村の株式部長に電話して 状況を聞いているうちに。。提灯が全国からついて、成り行き買いが3500万株にも なっていた。愕然としたもんです。相場がわからない上司を持つとこんなもんです。 結局、1995年上半期のイギリス投信ランキングでトップに立ったものの、 下期に成績が落ちて、年間のトップ実現できなかった。 相場を知らない上司、日本株が何もわかってない部下や同僚を説得しながらも チームで運用してトップに立つのがいかに難しいか。 3000億円の運用資金も20個ぐらいの口座に分かれるけど、均等にどれもいい パフォーマンスを出すことの難しさ。。 いろいろ勉強になりました。 2010年の相場。波乱含みだけど おもしろくなりそうね。 三郎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年01月18日 16時10分02秒
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