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小説の最新の更新はbox244 慶介です ちは。ひろ。です。 おばあちゃんの病院に行ったお話の続きです。行きの新幹線の中の話とか、書いてみたら長くなったので、とりあえず、端折って、病院でのお話をあげますね。←それでも十分長いんですけど。汗 新幹線(2時間)+在来線(30分)を乗り継いで、私が幼少期を過ごした街の駅前にできた新しい病院に着きました。 おばあちゃんの病室は個室でした。 こっちにいるときにね、もう年齢的にもできる処置が限られていて、自力での回復の見込みもなくて、年内持たないかも、なんて、話を聞かされても、一番大きかったのは、信じられないって気持ちだった。いつも明るくて元気でおしゃべりが楽しくて、ヒトを笑わせてばかりいるおばあちゃんが死んじゃうなんてって。 だけどね、左半身はもう動かすことができない1回りも2回りもちっさくなったカラダで、ベッドに横たわってて、5分おきに、起きたり寝たりを繰り返して、起きてたら目も合うし声も出してくれるんだけど、言葉らしい言葉が出せなくなってて意思疎通ができなくなっちゃってるおばあちゃんを見てるとね、ああ、おばあちゃんは、死んでいっちゃうんだなって少し、理解できた気がする。 こんな風に死を予期したようなこと書いちゃうと、生きてるヒトに向かって、不謹慎じゃないか、って思われる方もいらっしゃると思うんだけど、ひろ。はこれまで、身近な大切なヒトのこういう形での「死」って出会ったことがなくて、みんな、体は元気で若いままで突然、自殺しちゃうって形の「死」しか出会うことがなくって、本当に、突然、呆然とするような形で置いていかれることばっかりだったから、おばあちゃんが、年齢と医療の限界の中で、静かに「死」に向かっていく、そういう穏やかな形の「死」への向かい方を見せてくれてる気がした。そしてそれはひろ。にとって非常に大切な経験で。 おばあちゃんが死んじゃうなんて、信じられないまま、遠くはなれた場所で、ただ、死んじゃうって言うそのことだけに怯えていた時間はとてもつらかったけど、おばあちゃんが、ゆるやかに死に向かっていく姿を見たら、その気持ちは少し癒えました。 おばあちゃんは、与えられた自分の人生をしっかりと生き抜いて天寿を全うしようとしているんだ。 だから、これは、悲しいけど、つらいことでも苦しいことでも、泣いて引き止めるべきものでもなくて、 ただ、見守って見送るべきこと。 そして、その後も、私はしっかり生きなくちゃ。 おばあちゃんが後に遺していく私が、 こんなに穏やかな気持ちで受け止められる形で迎えてくれる『死』を、 私自身も同じように、私が後に残していく私を大切に思ってくれる誰かのためにも、 きっと天寿を全うしなくちゃ。 って、そんな風に思えたから。 だから、もし、その日が来ても、 これまで誰かが死んでしまった後のように、 ヒロトやシホやHちゃんが死んでしまった後のように、 もっと何かできたんじゃないか、とか、 なんで死んじゃったんだろうとか、 自分だけ生き残っちゃったとか、 置いていかれちゃったとか、 そんな想いに苦しむことは、多分ないと思う。 それも、これも、会いに行けたから。会って、おばあちゃんの「死」の形を見せてもらえたから。 会えないままだったら、こんな「死」の形を知ることもなく、そして、きっと、会いに行きたかったって、会いにいけたんじゃないかって、ずっとまた苦しむことになったと思うから。 だから、自分もすごく迷ったのに、それでも連れてってくれたケースケに、 言葉では決して表せないくらい、すごく感謝しています。 (ケースケの話はまた次に書きますのでこのくらいで流しますね。w) みんなの気遣いで、おばあちゃんの病室で、2人きりにしてもらえたとき、私は、ベッドの脇に置かれたイスに座って、しばらく、おばあちゃんの手を握っていました。もう、動かせないっていう、少し冷たくなってる左手を自分の左手で握ってました。腕相撲するみたいに。笑 言葉は交わせないから、私も、なんだかうまく言葉が出てこなくて、ただ、見えてるのか認識してるのかは分からないけど、目が合うおばあちゃんの目、見つめて。しばらくしたら、おばあちゃん、目を閉じちゃった。だから、私も、ちょっと、おばあちゃんのベッドに頭乗せて目を閉じて、しずかに、おばあちゃんの呼吸に自分の呼吸合わせてみたり。 そんな風にしてたらね、ひとつ、思い出したことがあったんです。 それは、私が、まだ、きっと5歳にも満たない頃の話。もしかしたら、最初の記憶らしい記憶かも。 私が幼い頃、父は今とは違う仕事をしていました。それは夜勤もある仕事でした。母のいない私は同居してくれていたおばあちゃんに兄と一緒に面倒をみてもらっていたんだけど、何かでおばあちゃんが留守にするときは、親戚のおうちに預けられることがあったんですよね。起きてる間はいとこと遊んだり楽しく過ごすんだけど、問題は夜中で。 ていうのも、そのおうちにお泊りすると、きまって、なぜかおねしょしちゃってたんです。毎回。自宅では、そんなこと全然なかったのに。 朝起きるたびに、あーまたやっちゃったって、怯えて起きて、それでも、やっぱり、叱られまくって、いっぱい泣いてた覚えがあります。 今、思えば、そこはおばさん(おばあちゃんの長女で、死んだ母のお姉さん)のおうちだったんだけど、そのだんなさんが(今は随分まるくなったけど当時は)すご~く怖くて、おばさんも、おじさんの顔色伺いっぱなしなとこがあった。だから、私も自然と気をつかって、でも、おねしょしちゃだめだって思うとなおのことダメだったのかも、と思います。。 そんなおねしょ三昧のお泊りだったんだけど、おばあちゃんも一緒に泊まってる夜だけはおねしょしなかったんですよね。夜中に、ふっと、手に手を触れられて、名前を呼ばれて、目を開けるとおばあちゃんがいて、おトイレに連れてってくれた。そして、また、眠るまで手を握っててくれて、安心して眠った。 そんな思い出が、目を閉じておばあちゃんの手に触れてたからかな、蘇ってきました。 したら、ふって、ココロの奥があったかくなった。おばあちゃんは、本当に私のこと愛してくれてたよなー。って、おねしょの話で申し訳ないけど。笑 そんなこと、思い出しながら、気がついたら、ちょっとうとうとしてたみたい。←緊張感なさすぎ。 ふと、目を開けたら、おばあちゃんの、右手がいつのまにか、私の頭の上に乗っかってた。撫ぜるみたいに。撫ぜてくれてたみたいに。おばあちゃんの顔みたら、目が開いてて、なんだかね、そのときだけ、瞳が潤んで揺れてるみたいに見えました。そのときすごくココロが通じ合ってる気がしました。おばあちゃんもそのときのこと思い出してくれてた気がしました。気のせいかもしれないですけど。 そこで初めて、 「おばーちゃん」 って声に出して呼んでみた。したら、やっぱり気のせいかもしれないけど、瞳が揺れて反応してるみたいに見えて、ちゃんと聞こえてそうに見えたから、 「ありがとー」 ってだけ、ちゃんと言葉で伝えました。 ありがと、おばーちゃん。おばーちゃんがいなかったら、私、もっと、つらくて暗くて寂しい子供時代を送って、きっと、おねしょくらいじゃない大変なこといっぱいあったと思うから。 しばらく見つめあってた(つもりだ)けど、おばあちゃんまた目を閉じちゃって、そーっとおばあちゃんの手も、私の頭からパタリって落ちちゃった。 しばらくしたら、ケースケがこっそり入ってきて、私の顔、いつもどおりアマ笑顔で見て、 ケ:話せた? って、(おばあちゃんもう話せないのに)フツーに。 ひ:うん。 って言ったら、ケースケ、 ケ:よかったな。 って笑って、私の頭ぽんぽんってしてから、ベッドのあっち側に回って、おばあちゃんの耳元でなんかこっそりささやいてた。 なあに? って思って、でも、その場では聞かなかったけど、後で、教えてもらったケースケの言葉は、 長くなったので、次にしますね、の、ひろ。@12/22 4:25pm ケースケ、なんか、ケースケにもありがとーしか言えない。ありがとー。 *いつも誤字脱字すいません。 小説は、こちらから。 ふぉろみー?
☆休んじゃダメ、だよ?☆ 2012.01.17
☆おめでとー☆ 2012.01.03 コメント(10)
☆トモダチってカテゴリにおさまんねーくら… 2011.12.12 コメント(6)
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