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テーマ:まち楽ブログ(32261)
カテゴリ:歴史・文化
こんにちは~ またまたまたの投稿、Tate PON ですぅ 海津市が誇る天下の奇祭"今尾左義長"も終わり、これからドンドン春めいてきますネ
えっ、なんの関係があるのかって
皆さんの地元では言いませんか? 「寒い、寒いも左義長まで。」って (※事務局注:海津市でも誰も言いません!)
毎年2月に行われる左義長の頃は、冬将軍が最後の力を振りしぼるゾ!って感じで寒気がやってきて、祭りの準備期間や当日に雪混じりのみぞれが降ることがよくあるんです
だから、「いくら暖冬でも、2月中旬までは油断できないヨ~((+_+))」というわけで、Tate PONは毎年左義長が終わると、春まっしぐら!という気分になるんです (その前に、花粉の飛散で春を実感するかも...)
さて、前置きが長くなりましたが 海津×会津 エピソード1に引き続き エピソード2をお送りします 大河ドラマ「八重の桜」観てますか~ いよいよ会津藩にとって悲劇の幕開け、 藩主松平容保が京都守護職に任命されてしまいますね
新島八重イメージキャラクター"八重たん" Ⓒ福島県
無法状態になっている京都の治安を守るという、重要かつ危険な任務を引き受けるにあたり、会津藩の行く末と幕府・天皇への忠誠とで板挟みになった容保は、悩みに悩みます そして、苦渋の決断を下すわけなんですが...。
ここで、容保の実のお父さん、われらが高須10代藩主松平義建の出番です 会津松平家に養子に入ったとはいえ、同じ江戸にいて父子の交わりは続いていました
容保は、京都守護職を受けるかどうか迷っていた時期、義建にこんな和歌を贈っています 「行くも憂し止まるも辛し如何にせん 君と父とを思う心を」 (先へ進む事も、今のままとどまることもできません。どうしたらいいのでしょうか。主君と父上どちらも大切に思っている私ですが。) *筆者口語訳 松平容保
これに対する義建からの返歌は、 「父の名はよし立てずとも君が為 いさお(勲)表せ九重のうち」
松平義建 と、父親のことよりも主君のため、武士としての務めをしっかり果たすよう激励された容保は心を決め、過酷な運命を受け容れる覚悟をしたといわれています
ちなみに、容保はわりとお酒を好んだようですが、義建の前では酔っぱらって乱れたり、醜態を見せるようなことはなかったそうです (旧高須藩家臣の談)けっこう厳しい父親だったんでしょうかねー だからこそ、あえてイバラの道を行かせるというか、情よりも義を重んじたんでしょうね、きっと
ではでは、エピソード3でお会いしましょう♪♪♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年02月15日 16時44分46秒
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