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カテゴリ:ドラマ・映画
宇都宮を出る前に朋友から借りたきりほったらかしの「ゲンセンカン主人」を漸くにして見る。
城戸さん、不義理してすまなんだね。 反戦思想だか何かでもって原作の詩情を見事にぶち壊してくれたNHK製「紅い花」と違い、映像表現も美しく、俳優諸氏の演技抜群、音楽だけは時代なのか時折違和感を生じさせながらも、つげ役の佐野史郎は全く特筆すべき魅力を発し、僕はゲンセンカンの女主人があられもない姿態をギョヘギョヘと晒しているその間も、「佐野史郎は乳首がきれい」という美しい新事実に打ちのめされて、それどころではなかったのであった。 今後 何かを美しいと言って誉めるときには、佐野の乳首を引き合いに出すことにしよう。 朝日で韓国人のヒゲに対する意識が変わりつつあるとのコラム。 そういえば僕はソウルで堕落したヒモ暮らしを楽しんでいたが、その間ヒゲを伸ばしに伸ばして麻原か某古書店の店長のごとき有様をしていた。 あすこまでゆくと、日帝のシンボルとか何とかそんなちんけなイメージを超越して、韓国の美大によくいるような、韓服を常用して長髪を束ね、ヒゲを生やした両斑気取りと同じような印象になる。 いや、ならない。それを忌避して髪を茶色に染め、ソバージュをかけていたからだ。むしろ正体不明の魑魅魍魎と言ってもよい。 若しくは縄文人だ。 なんでそんなふうにしていたか。 恐らく、学校にも行かずただ女と寝て犬の世話をし、時には美術館や名所をうろつき、酒を呑む日々の無為を・・・正確には虚無の露見を恐れたためだろう。 異相であるがゆえ注目され、更に外国人であるがゆえに注目される。 愛するひとは傍にいるものの、寄る辺はただそれだけ。 自分がない。自分を創るために動くことすらできない体になってしまっていた。 恐らく、留学終了による帰国というデウス・エクス・マキナが永遠に降臨しなかったとしても、僕と彼女の破局は避け得ないものであったろう。 今では納得づくのそんな色々のことが、しばしばひょんなきっかけで、今は短くなった僕の頭に去来するのであった。 ・・・にしても伊勢崎の古本屋の女主人、「裸者と裸者」を探しておいてと頼んでもう一週間になるのに、ちっとも便りを寄越さない。 もうアマゾンで買ってしまおうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年09月11日 01時07分19秒
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