2010年 2月 21日(日) 151日目(ブラジル11日目)
サントスへ行って来ました。
この町の名前、サンパウロへ来るまで知りませんでした。
着いた日に遭った、怪しそうな日本人のおじいさんに、サントスへ行ったら良い、
と言われ、そんな町があるのかと思ったのが最初です。
(ミカンジュースをご馳走になった人です。)
日本からのブラジル移民第1号の笠戸丸は、長旅の末、ここサントスに
着いて、初めてブラジルの土を踏んだ、日本移民史に欠かせない町です。
(ガイドブックより)
さらに、コスメル島の日本人宿、カサ・コスメレーニャの女主人の
ゆきこさんが、以前、1ヶ月も滞在した町であるそうなんです。
(miixiで、教えてくれました。)
実は、わたくし、カサ・コスメレーニャの、宣伝部長に就任しました。
ゆきこ社長の特命です。 どうぞ、皆さん、コスメル島の、カサ・コスメレーニャに
泊まって下さいまし。
肩書きが一つ増えましたです。名刺を作り直さねば・・・。
それで、リオへ移動を1日延ばして、行って見る気になったのであります。
地下鉄ジャバクアラ駅から、長距離バスが出ています。
エアコン付きの快適なバスで、1時間、サントスの長距離バス停に着きました。
モンチ・ハセーの丘へ行って見ました。ここがケーブルの乗り場です。
(長距離バス停から、歩いていけます)
ケーブルカーの値段が、18レアルと、信じ難いほど、高いです。
見上げると、頂上は見えていますので、歩くことにしました。
暑いですねー!
サンパウロから、わずかバスで1時間ですが、明らかにサンパウロより
気温は高いです。日差しもきつく、汗がボタボタ落ちて来ます。
たったの10分、500段ほどの階段を登って頂上へ着きました。
良く見えます。サントスの町を一望できます。
結構、大きな町ですね。
セントロの北西です。サントス湾も見えます。
この風景を眺めながら、木陰で、汗の引くのを待ちました。
風が気持ち良いです。
バス停へ戻り、ゴンザガ・ビーチ行きの、42番バスに乗ります。
そして、ビーチに着きました。物凄い人です。人、人、人の波。
暑いですねー! 腹も減りました。
ビーチ沿いのレストランに入り、早速ビールを頼みました。
昼間っから、ビールですが、皆さん、飲んでますねー。
久しぶりに、ローカル料理を食べる気がします。
魚に、牛肉に、鶏肉があり、ライスに、スパゲッティに、ポテトに豆まで
付いて、8レアル(400円)です。
ボリビアや、ペルー辺りなら、高いなー! 高すぎやでー!
と思うでしょうが、サンパウロの物価の高さを、体験しているので、
安いと思いました。
味もokです。
ほろ酔い加減で、ビーチを歩きます。
広いビーチです。多くの人が、思い思いにビーチを楽しんでいます。
カーニバルの踊り子のような後姿に、出逢います。
日系移民ブラジル上陸記念碑、旧コーヒー取引所、ラン園、水族館など
見所はあるのですが、とにかく暑くて、歩く気力が湧きません。
海岸を歩いただけで、サンパウロに帰って来ました。
サンパウロの東洋人街に帰って見ますと、市場がたっていました。
そうです、本日は、日曜日です。
どら焼きです。
日本の物らしき商品も売っていますが、どうも日本人や、日系でない
人たちが、売っているように思えます。
買いたい物はありません。食べたい物も、なかったですね。
東洋人街には、何でも売ってますから。
そうそう、先日、ここへ着いた時に、案内してくれた、怪しいご老人などと
言ってしまった方ですが、本日も、又、お会いしまして、ミカンジュースを
またもや、ご馳走になってしまいました。
今回は、私に払わせて下さい! とお願いしましたが、わざわざ、日本から
来た人に、払わせる訳にはいかぬ! と、支払ってくれたのです。
お礼状でも出そうと、住所を教えて下さい、と聞きましたが、礼はいらぬ、
って事です。ほんと、ありがとうございました。
長生きして、日本人旅行者への、親切を続けて欲しいと願います。
注記
この日より、当地は、サマータイムから普通時間に戻り、1時間遅く
なりました。
サントスにあった大時計と、自分の腕時計の時間がずれているので、
サンパウロとの時差があるのかなー? こんなに近いのに? と
不思議に思っていたのです。
毎年、2月21日の午前零時に、冬時間になるそうです。
早く気が付いて、良かったです。