2010年 3月 4日(木) 162日目(キューバ6日目)
諸々のミュージックの原点であるキューバに居ます。
ここで、ライブを聞きに行かないで、キューバに来たと言えましょうか?
ってぇ、ことで、町に出て見ました。
町を歩いて見ますと、カサパティクラルと呼ばれる、民宿が、ものすごく
多いです。ハバナでも、トリニダーでも、そこに泊まっています。
何を見れば、普通の民家と、民宿が分かるかと、言いますと、
民宿の許可を得ている家には、青い「錨マーク」が張ってあります。
これです。
分かりやすいでですね。
アジアの星一番が、泊まっている、「カサ・マリア」の入り口です。
ここのマークは、小さくて見え難いですが、一応、張ってありました。
マリアは、おばあちゃんの名前で、左がお母さん、右が孫です。
16歳位かな? お孫さんですが。
昨日の夕食です。
海老に、カボチャに、ポテトに、トマトに、味の付いたライスです。
スープは、いつも、豆がベースですね。
これで、7クック(850円程度)ですから、良い商売です。
因みに、昨日、町で食べた、ハムサンド2ケと、生ジュース1杯が、
0.75クック(100円程度)でした。
それでも、外国人価格で、多少、高く取られたと思うので、夕食代の
高さには、驚きます。
町の中心のレストランでは、昼間っから、サルサにあわせて、踊っている
客もいました。ここは、外から、タダで、写真を撮らせて貰いました。
夜を待ちます。
もう眠たくなる頃の、夜の9時過ぎに、もう盛り上がっている頃だろうと、
急ぎ足で、有名な、カサ・デ・ラ・トローバへ向かいました。
21時15分位に、着いたはずですが、あれ? 誰もいませんぞ?
演奏は、しています。
ラム酒のストレートをちびちびと舐めながら、聞いておりました。
1グループ、30分程度の持ち時間が決まっているのか、演奏グループが
変わりました。
この頃になると、客も集まりだして、ほぼ席も埋まりました。
22時頃です。
客が小さいステージで踊りだしました。
尻をフリフリ、軽快です。釣られて何組もの人たちが踊りだします。
又、演奏グループが変わりました。
そしたら、誰~も踊りだしません。確かに、同じような演奏なのですが、
若干、踊り難くそうな曲が多かったですね。
音楽や、踊りを見ていると、マンボとか、チャチャチャに似ているな、
と感じました。
しかし、当然なのですね。
元々、ソンと呼ばれる、ダンス音楽が、キューバで、生まれたのが、
19世紀です。それを、ルンバとして、紹介されたのが、1930年頃。
それが、ヨーロッパで大流行するのです。
そのルンバに、ジャズの要素を取り入れたのが、マンボで、1950年代に、
世界中で、これまた、大流行しました。
そのマンボを変形したダンス・リズムが、チャチャチャなんです。
それから、1970年代に、キューバ音楽にジャズ要素を加えた、リズム主体の
ラテン音楽を、サルサと呼んでいるのですね。
ですから、上に挙げたものは、起源は、全てキューバなんです。
リズムも、踊りも似ていて、当然です。
又、グループが変わりました。
途端に、大勢の人たちが、踊りだしました。
黒人の男性が積極的で、女性を誘っては踊ってましたね。
様になっています。
踊る阿呆になりたい、もんだ、と指を咥えて見てました。
ラム酒、アルコール度数が高いので、チビチビと舐めるように
飲んでいても、結構、酔いが廻ります。
23時半。
ずいぶんと混んで来て、座りきれない客も、入り口に溢れているので、
僕は、帰ることにしました。
良い気分で、歩いていると、軽快なリズムが聞こえて来ます。
自然と、足がそちらへ向いてしまいますね。
屋外で、やってます。
こちらは、すごい人数の客です。屋外なので、場所も広いです。