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貧乏旅人 アジアの星一番が行く 世界への旅

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2023.05.08
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テーマ:世界への旅(308)
カテゴリ:世界への旅

ギリシャ、イタリア方面の旅22日目 2023年5月6日(土)

本日は、ナフプリオンの町からスパルタ教育で有名なスパルタへ移動します。
ペロポネソス半島の交通の要所、トリポリでバスを乗り換えて行く予定でした。

しかしながら土曜日にはトリポリ行きのバスがないとの事です。
それで、ペロポネソス半島とギリシャ本土を繋ぐコリントスまで戻らねば
なりません。尚コリントスはイストモスとも呼ばれていたようで、バス亭の
おばさんはイストモスと言いました。

ナフプリオンの町からコリントス(イストモス)までバスで、1時間20分でした。
11時半のバスが、スパルタまで行きます。

丁度時間があるので、コリントス運河を見に行って来ました。
高さ80mもありますので上から見ると怖いです。幅はわずか23mです。







出発前の朝食です。キヌエさんが米からおじやを作ってくれました。
美味しいです。絶品ですな。皆さん食欲がないと言う事で、アジアの星一番の
お皿は大盛りです。

嬉しいなー! 美味しいおじやが食べられて元気モリモリです。







トマトとキューリも沢山あります。







オレンジも1Kg買って来たので、まだまだありました。







キヌエさんが鶴を折ってギリシャ語でありがとう、と書いてくれました。
ここのオーナーさん、スープや、ご飯、野菜やパンなど沢山頂きました。
今までで一番親切なオーナーさんでした。

キヌエさんが感謝の鶴を折ってくれたのでオーナーへお礼が出来て
良かったです。







8時半、宿を出発し歩いてバス亭に向かいます。アクロナフプリア要塞が
見えます。見納めですね。

さようなら、アクロナフプリア要塞さん!







9時半、バスは定刻通り出発しました。一番前の席で見晴らしが良いです。
しかしながら、シェードが下ろされてしまって、残念ですな。

ナフプリオンの町です。







こんな景色を見ながらバスは進みます。







冒頭に記載のように、1時間20分でコリントス(イストモス)に着きました。

ここはコリントスのバス亭です。11時30分発のスパルタ行きのバスチケットを
買いました。それに昼食のパンも買いました。







時間があるので、荷物の見張りを交代しながらコリントス運河を
見に行って来ました。ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶ
橋の上から写真を撮りました。これは海側を見た方向です。







因みにここの地名ですが、古代ギリシアでは、この地をイストモスと
呼んだそうです。イストモスは、古代ギリシア語で「頸(くび)」(neck)を
意味する言葉であるそうですが、のちに「イストモス」(isthmus)は地形
としての「地峡」を指す一般名詞として使われるようになったようです。

それでコリントス地峡を指して「イストモス地峡」と呼ぶこともあるそうです。

反対側へ来て撮りました。1893年に完成と言いますから、手掘りで
掘ったのでしょうね。大変な作業だったでしょう。







再びバスに乗りちょっと遅れて11時40分に出発しました。アテネから
来るバスで始発ではないので、出発時間は不確定ですね。

ほぼ半分位の乗車率です。







昼です。買ったハムチーズパンを食べます。硬いパンです。
食い千切れません。手で切って食べました。

パンは柔らかいのが好きです。







こんな岩山がありました。バスの窓が汚れているので写真がはっきり
しませんな。ぼろいバスですよ。







1時間でトリポリに着きました。本来であれば、ここトリポリで乗り換えを
したかったのですが、トリポリ行きがなかったのです。

ペロポネソス半島のバスは不便です。







バスは山の中を走ります。オリーブの木も、オレンジの木も、葡萄の木も
なにもありません。







バスは坂を下りだしました。スパルタが近いのかも知れません。







大きな山も見えています。







2時間でスパルタに着きました。宿を出てから5時間と15分かかりました。
このバスに乗って来たのですよ。







バス亭のお兄さんに宿への行先を教えて貰って歩きました。
キヌエさんとのりちゃんは、バッグを転がしながらなのでちょっと
可哀そうですが、1.2キロ位なので歩いて貰いました。

ギリシャはどこの町でもそうですが、路上にこのように駐車しています。







宿に着きましたが、ブザーを押しても誰も出て来ません。困ってしまって
近くでコーヒーを飲んでいたお兄さんに、宿に電話を掛けて貰いました。

そしたら、宿の入り口に鍵を入れた箱があり、パスワードを合わせると
ボックスが開いて鍵が出て来ました。

それで中へ入れた次第です。バス亭の職員さんと言い、このお兄さんと言い
親切ですね。

150m2と言う、とてつもなく広い家ですが紹介します。

この部屋はキヌエさんの部屋です。







この部屋はクリスさんの部屋です。シングルベッドが2台あります。







この部屋もシングルベッドが2台ありますが、のりちゃんの部屋です。
お一人、一部屋づつ使えます。

この部屋は、この手前に、ソファーがあり、6人ほど座れます。
広い部屋ですよねー!







ここはリビングですが、ソファをベッドにして貰いました。予めメールで
ソファベッドにしてくれるよう依頼しておきました。

このリビングルームがアジアの星一番の部屋となります。







ここがダイニングルームです。







ここは廊下なんですよ。広いでしょう? この向こう側がのりちゃんの

部屋の応接間です。







バスルームです。バスタブもあります。お湯が溜まるかなー?
溜まるようだったら、ゆったりとお湯に浸るかなー?







洗濯機もあります。






キッチンには、コーヒー、紅茶を始め、キッチン用品も全て揃って
おります。オーナーと連絡が取れないのはちと困りますが、
まぁ至れり尽くせりです。

バルコニーにも椅子とテーブルが置いてあります。
早速皆さんで紅茶を頂きました。

この部屋で、お一人様一泊、4300円ですから安いですよね。
良い部屋を見つけました。







各自、各部屋でゆったりとして、18時夕食に出かけました。

宿を出て少し歩くとレストラン街がありました。何軒か見て入りました。
デブの青年が店員さんです。







早速アルファビールを頼みます。500ccが3ユーロ=450円です。
昨日は5.5ユーロでしたから、良心的なお店ですな。

デブの店員さんですが、年齢を聞くと18歳と言います。大学生でバイトを
しているようです。気の利く青年でした。







シーザーサラダです。

シーザーサラダってどんなサラダ? と思いますね。調べて見ました。

「レタスを中心とし、好みでアンチョビー、オリーブ、チーズ、サラミ等を
用いるサラダ」で、「メキシコ北西部の都市ティワナのレストランで考案された」

そうです。因みにシーザーとは、イタリア系移民のレストランオーナーの
名前から来ているとの説もあります。







ドイツ人カップルが食べていた物と同じ物を注文しました。ポークを
剥ぎ取ったような、ケバブに挟むポークのようなものでした。

ドイツ人カップル、親しいですぞ。遠くの席からお互いに乾杯したり、
食事が終わったら我々の席まで、話に来ました。ドイツ人は親しくて
良いですね。これがフランス人やイギリス人なら席になど絶対に来ませんよ。







スブラキ串焼きです。1本2ユーロ=300円也。
お一人一本ずつ注文しました。美味しいですねー! 肉が柔らかくて
味付けも良いです。

ミコノス島のスブラキ専門店で食べたスブラキに匹敵する美味さでした。







隣の広場では子供たちが無邪気に遊んでいます。スパルタ教育とは
既に何ら関係ありません。

スパルタ教育、後でどんな教育だったのか調べて見ましょう。







同じレストラン街で可愛い女の子たちが何かを飲んでいました。
写真を撮らせて貰いましたぞ。

どこの国も子も可愛いですね。この年頃、無邪気ですよ。







本日は、ナフプリオンの町からイストモス経由、スパルタに移動しました。

スパルタと言う名前を聞いて、是非行って見たいと思いました。
しかし極普通の町で、極普通の子供たちが遊んでいました。

スパルタ教育とは何ら関係ないですね。民主主義です。






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Last updated  2023.05.08 11:06:56
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