|
カテゴリ:政治
NHKの「その時歴史が動いた」で西南戦争での抜刀隊の活躍、元サムライを使うことと徴兵の矛盾になやむ山県有朋をやっていた。
そこで、兵隊には命を投げ出す西郷のようなカリスマが必要だということになり、その後、明治天皇は軍服で描かれることが多くなり、軍の統帥者、カリスマにしたてあげられた。それがやがて、太平洋戦争の玉砕主義につながった―――としていた。 正直、「まぁそうかもね」のレベルだ。 その理屈が正しいがどうかは、あえてここでは検証しない。 ここで問題にしたいのは、 物事は何でも両義的なものであるということだ。プラスの面もマイナス面もある。 明治の元勲たちは、日本を近代国民国家に編成し直すに際し、天皇をカリスマ(?)としてまつりあげて、国民団結の象徴とした。(とされている。) それは、必要なことだったし、それによって、アジアで日本だけが列強に伍する力を持てるようになったのだ。 日清・日露戦争を語るとき、必ずオチのように、「それが太平洋戦争での・・・つながった」というのは、「それは悪いことだった」ということにしか聞こえない。 それは、実に片手落ちな見方だ。 昔、サーベルタイガーというのがいて、その時代の最強の獣だったんだけど、その巨大な牙ゆえに滅んだ、とかいうのありますよね。 環境に最適化しすぎて、環境が変わると滅んでしまうやつ。 どんないいもの、優れたものでも、環境が変われば、かえってそれが命とりになったりするのは、よくあること。 ダイエーも西部もみなそう。イギリスの工業が斜陽になったのは、古い工場が温存されすぎたため。 だから、よくすぐれた経営者は「成功に囚われない、成功の方程式も壊してしまう。常に新しい物を・・・」というじゃないですか。 環境が変われば、同じ方法が通用しなくなる。だから常に現状認識と課題の抽出と改善を行い続けるのである。 昭和前期の政治家・軍隊にミスがあるとしたら、このマネージメントを怠ったことだろう。 環境は刻一刻と変わる、いつまでも冷戦構造下の日本の行き方では、もう通用しない。環境は劇的に変わっているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.01 21:45:54
コメント(0) | コメントを書く
[政治] カテゴリの最新記事
|
|