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映画観覚

眺 望の日記 [全45件]

2005.03.25楽天プロフィール Add to Google XML

「スウィングガールズ」 谷啓までおいしい青春コメディー  (83) 
[ レビュー ]  

「ウォーター・ボーイズ」の矢口史靖監督による、女子高校生ジャズバンド青春映画の登場である。

東北の片田舎の高校。補習組のぐーたら落ちこぼれ女子たちは、野球部の応援ブラスバンド用の弁当を届けるべく言われ電車で出発したが、なにぶんいいかげんないまどきの女子高校生の集まり。異様に時間がかかったせいで、それを食べたブラスバンド部員が皆食中毒になるという事件を引き起こしてしまう。
 一人難を逃れた男子部員の中村は、お前たちのせいだ、と次の試合までに即席ブラスバンドを作り、応援演奏をしろとつめよる。補習がさぼれるとばかりいい加減な気持ちで参加を決めた補習組女子ときわめて真剣な中村で、人数的に足りるビッグバンドを結成することになるが・・・


 こう書くと、ああ、それでちょろちょろっと苦労して、最後には嘘みたいに短期間で上手になって終わりね、と簡単に想像されるかもしれないが、この作品はその期待をいい意味で裏切ってくれる。
 いろいろな伏せんが張り巡らされる中で、、補習を逃げられた(?)数学教師竹中直人ももちろん絡んで、イマドキの女子高校生たち(その冒頭の弁当運搬のシーンはあまりのダメ人間ぶりで、見ていて腹が立つほどである)が、紆余曲折しながらも、「自分の力で吹いて」音を出さねばならない管楽器を17人一丸となってプレイするようになるまでを、この映画は「お決まりであってお決まりでない展開」でユーモアたっぷりに見せてくれるのである。単純なようで案外盛りだくさん、それがこの映画のおいしいところなのだ。(ここが、ダメ部員が成長する様を描く点でテーマがかぶる、「ロボコン」とは違う点だろう)

 また、「ウォーターボーイズ」よりも、その笑いのセンスに磨きがかかっているのも見逃せない。私がここ数年に見た映画で最も笑ったと断言できる「イノシシ」がからむシーンは、あきらかに安い大道具に、最新の画像技術という組み合わせの、あ、っと思わせる手法と、バックグラウンドミュージックとの抜群な相乗効果でまさにスタンディングオベーション(スタンディング大笑いでも良いが)に値する。 
 この映画のコメディセンスは、とにかく一言で言って、「センスが良い」のだ。ジャズのリズムにのって歩く生徒たちの上でたたかれる布団に、「そんなわけないだろ!」と思わず突っ込むほどの転げ落ち方の高校生・・・そういった小さなユーモアがストーリーの中に組み込まれるテンポの巧妙さ、軽快さは、今までの日本映画にはあまり見出せないものだ。(頭に浮かぶとしたら、岡本喜八監督の「大誘拐」くらいのものか)
 以前、「ゲロッパ!」で、井筒監督がハリウッド娯楽を(無意識に?)やろうとして失敗した、と書いたことがあるが、「スィングガールズ」は、むしろ、ハリウッド娯楽とともに育ったからこそ無意識にテンポの良さを身に着けた、という表現が当てはまるかと思う。それは、最近のジャパニーズポップスの若手たちが、明らかにかつての「歌謡界」よりも(メロウさは薄くなったが)リズム感で優れていることと同じであるのかもしれない。

 欲を言えば、多少映画としての「感動」が薄いことだろうか。もう少し笑いの前フリ部分を減らし、登場人物たちの内面の葛藤を深く織り込めば、最高に笑えて、最高に感動できて、最高にスィングできる映画になったのに、とだけ辛口で評しておこう。

ちなみに、モデルとなったのは兵庫県のこちらの高校。部員が少ないことからビッグバンドに転向、成功を収めている有名ジャズ高校バンドである。また、 「スウィングガールズ」のオフィサルサイトには、映画の登場人物たちのキャラクター紹介が映画を超えて事細かに書き記されているので、すでにご覧の方は必ずチェックのほどを。

映画として 8/10
コメディとして 9/10
俳優たちが練習して演奏するまでになったことをたたえて 10/10




Last updated 2005.03.26 11:30:52
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2005.03.22

「シャーク・テイル」  内輪受けのセレブ嗜好映画  (2) 
[ 批評 ]  

かの職人集団 ドリームワークスによるフルCGアニメ。豪華な声優たちのキャスティングで話題を呼んだ作品である。


海底に広がる大都会リーフシティ。ここに暮らすオスカー(ウィル・スミス)は「いつかnobodyでなく大物somebodyになるんだ」が口癖の、洗鯨場で働く小さな魚。受付嬢のアンジー(レニー・ゼルウィガー)は、いい加減なところはあるが心優しいオスカーに夢中だし、社長のサイクス(マーティン・スコセッシ)にとっても、眼の上のたんこぶながらなんとなく憎めない存在だ。
 一方、サメ・マフィアのドン(ロバート・デ・ニーロ)の次男レニー(ジャック・ブラック)は気が優しくすぎて殺しも出来ず、兄と父親の悩みの種。そんなある日、オスカーとレニーの人生を一変させる出来事が起きる・・・。


 上にあげたキャストの他に、オスカーを誘惑する美魚(びぎょ)にアンジェリーナ・ジョリー、クラゲの片割れにボブ・マーレーの息子ジギー・マーレー、ヨボヨボマフィアにピーター・フォーク、など、声優たちはまさに豪華としか言いようが無い。2004年アメリカ公開時、3週連続でボックスオフィスの首位を守り、1億6000万ドルに迫る興収を記録したというのも、この豪華なキャスティング、それぞれの声優を模した魚たちのアニメーション、 乗りのよい音楽、といったものを大大的に宣伝したプロモーションに惹かれて観客が足を運んだからであろう。

 映画の中では、ウィルスミス魚やスコセッシ魚、デニーロ鮫が海に置き換えられた人間の街を歩き(泳ぎ?)まわり、随所に「ゴッドファーザー」や「グッドフェローズ」といった映画のパロディなどが散りばめられていたりする。

 が、しかし、So what?-だからどうだっていうんだ?と声を上げたくなるのが、この映画である。上にあげた三つ以外には何の魅力も無いのだ。

 キャラクターの豪華声優陣とビジュアルの模倣具合はおもしろいが、キャラクターそのものには魅力が無い。上昇志向の強いオスカーは、確かに憎めない奴かもしれないが、いい加減でだらしない嘘つきで、ラストで多少の成長は見せるものの、その過程は極めて短絡的に描かれる。マフィアのドンは息子が「男らしく」ないことを受け入れられないのが、これもきわめて深み無く、受けいるにいたる。合間合間のつじつまがあっていないとか、そういことを言いたいのではない。とにかく、二流テレビアニメ以下の、プロットの薄さなのだ。

 もちろんクスっと笑えるシーンもあるが、パロディ系の笑い大元を知らないと笑えないものばかりともいえる。これは、アメリカ人でも100パーセントというわけにはいかない笑いのはずだ。

 そして何より疑問に思ったのは、いったいどんな客層をターゲットにした映画なのか、ということだ。お魚が楽しいの~という年代の幼児には良いかもしれないが(しかし、メリハリが少ないし妙に人間臭いのが足を引っ張って、たいていの幼児は匙を投げるはずだ)、もう少し年齢が上の子供には、セリフに微妙なセックスや暴力のニュアンスが多いため、親としてはお勧めできない気分になる。それでは大人が、となると、筋が薄いため、最初は、「へぇ、この魚ウィルにそっくり」で喜べても、徐々に退屈になってくる。

 こう考えていくと、この映画で心底楽しめるのは、二つの人種しかいないのではないかと思えるのだ。

 ひとつは、セレブ礼賛の庶民たち。セレブが声をやっているというだけで、二時間過ごせる方々である。

 そしてもうひとつは、作り手側本人たちだ。私はこの映画を見終わった瞬間に、二つの言葉が思い浮かんだ。「後期のおれたちひょうきん族」と、「とんねるずの生でだらだらいかせて」である。娯楽の作り手がビッグになっていき、その名前だけで視聴者を集めることが出来るようになると、そこに必ずといっていいほど起こる現象がある。視聴者のため、を意識しなくなり、作り手たちの中で「おもしろい」ことを優先して番組を作るようになっていくのだ。その「娯楽」はすでに視聴者のものではなく、作り手たちの「内輪」のものとなる。笑いは「内輪」の中で閉じ、それをみるたいていの視聴者にはさっぱりわからない。「内輪ねた」で回るようになった番組は、精彩を欠き、面白みを失う。

 私は「シャーク・テイル」に、この現象が起こっているように思う。ハリウッド内にいる人物(セレブ)には、きっとすべてが「あれあれ!」という感じでおもしろいのだろう。「あいつこの声なんだぜ!」から、「あのセリフあの映画からだぜ!」「この音楽○○の替え歌だぜ!」までだ。一般人で、たとえアメリカ人でも、そのすべてを業界人と同じほど知っていて楽しめる人物は、きっと、少ないはずだ。ましてや、日本人大衆には・・・。

 セレブへの憧れとその真実を描こうとしながら(全くの失敗であるが)、セレブに閉じてしまっているこの作品を作ったドリームワークが、「ひょうきん族」や「生ダラ」の二の舞にならないことを、せつにせつに願うのみである。

映画として 5/10
セレブで回れる人 8/10
ハリウッド・アメリカ音楽業界情報通 8/10



Last updated 2005.03.23 03:25:54
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2005.03.21

トスカーナの休日  (7) 
[ レビュー ]  

ベストセラー小説、フランシス・メイズの『イタリア・トスカーナの休日』を、「写真家の女たち」のオードリー・ウェルズ監督で映画化したのが、この「トスカーナの休日」(Under the Tuscan Sun)である。

 サンフランシスコ。フランシス(ダイアン・レイン)は作家だが、最近は書評で評判を得ていた。が、突然の夫の浮気発覚、離婚。家を明け渡した失意の彼女に、友達のパティは妊娠でいけなくなった「ゲイツアー・トスカーナの旅」をフランシスにプレゼントする。
 迷いながらも旅に出たフランシスは運命的なものを感じ、一軒の古い家を購入し、トスカーナにとどまることを決意する・・・。

 いわゆる「女性の成長物語」である。しかし、この映画最大の魅力は、その再生の過程でも、もちろん魅力的ではあるものの、ダイアン・レインのかわいい中年女性ぶりでも、また、美しいイタリアの景色でもない。この映画の魅力は、その「気楽さ」にある。
 死語となってしまったが、かつて、「カウチポテト」という言葉がはやったことがある。カウチでのんべんだらりとポテトチップスでも食べながらビデオ鑑賞を楽しむ、というあれだ。「トスカーナの休日」は、まさにこの「カウチポテト」にうってつけの「気楽な」映画なのだ。
 
 一人の女性の再生の物語でありながら、その語り口はあくまでも軽快だ。浮気をされた側であるのに家を追い出され、単身者用のアパートに移り住んだフランシスの惨めさはコメディタッチで描かれ、「ゲイ・ツアー」で戸惑う様子もまたおもしろい。そして、トスカーナの美しい景色。随所に出てくる美しいイタリアの田舎の景色は、叙情的でも芸術的でもなく、さらりと、ある意味セットのようなさりげなさで、それでいて登場人物の振る舞いや会話の中でロマンチックに描き出される。じっと胸に響く景色というよりも、あくまでもイタリアらしいロマンを演出するためのイタリア、であるのだ。

 登場人物にしてもそうだ。高校時代、友人と「待ち合わせ、イタリア男ならどうやって待つと思うか?」という笑い話をしたことがあるが、右手にジェラート左手にパスタを持って噴水の前に立ち、女が前を通ると「ベニッシモ!プレーゴ!アマコルド!(意味不明)」と口笛を吹いている、と想像したイメージ、そのままのイタリア人が目白押しである。自称フェリーニの知り合いで、いつもジェラートを食べながら現れる女性キャサリンや、くどき文句も名前も典型的なイタリア男のマルチェロ、といった、アメリカ人が、そしてわれわれ日本人が、想像するとおりのイタリア人ばかり登場するのである。
 
 これを紋切り型で深みが無い、ととらえる真面目な視聴者もいるであろう。しかし私は逆に、この、悪く言えば深みのなさが、「気楽に」見れる娯楽映画としての最高の魅力なのではないかと思う。見ている側に自己を深く考えさせたり、心にずしんとのしかかるのではなくて、風がさっと通り過ぎたような、そんな軽妙さ、さわやかさ。ダイアン・レインはこの軽妙さをそこなわない程よいコメディエンヌぶりを発揮している点で、ゴールデン・グローブ賞をとるのも納得である。ちなみに、パティ役のサンドラ・オーは、「アバウト・シュミット」のアレクサンダー・ペイン監督の奥さんである。

 軽妙で気楽、濃すぎず重すぎず―単純なアメリカ娯楽映画として、「カウチポテト」でもするか、な気分の女性たちにお勧めしたい一品である。

映画として 7,5/10
単純お気楽娯楽映画(女性用)として 10/10







Last updated 2005.03.21 22:42:50
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2005.03.19

「ビヨンド the シー」 スペイシー監督に才能あり    (5) 
[ レビュー ]  

ビヨンド the シー ~夢見るように歌えば~ スペイシー監督の才能を感じさせるエンターテイメント作品

 アカデミー俳優ケヴィン・スペイシーが、製作・監督・主演の3役を努め、一切の吹き替えなしに歌い踊ってみせる、1960年代の大スター、ボビー・ダーリンの生涯の映画化である。

 ボビー・ダーリン(ケヴィン・スペイシー)は、自分の人生を映画にしようと考えていた。若いころのアナタを演じるには年をとりすぎなのではないですか、という記者たちの批判をよそに、子役の少年と会話を交わしつつ、「思い出を月光のように」つづっていく。

 リウマチ熱で15までの命と宣言されながらも、音楽好きの母親と、シナトラをめざし歌い踊ったブロンクスでの少年時代。歌手としての成功、女優サンドラ・ディー(ケイト・ボズワース)と結婚…。しかし、もちろん、すべての思い出が月光のように美しかったわけではなかった・・・



 たとえボビー・ダーリンの名前をご存じなくても、「マック・ザ・ナイフ」(クルト・ヴァイルの「三文オペラ」からのアレンジであるのは意外と知られていない)「ビヨンド・ザ・シー」(最近では、ディズニー映画「ファインディング・ニモ」のエンドクレジット曲として記憶に新しい)を聴いたことのある方は多いかと思う。いや、それとも、サンドラ・ディー位はご存知であろうか。「グリース」で歌われる、"Good bye, Sandra Dee"の、サンドラ・ディーである・・・ボビー・ダーリンは、彼女の夫でもあった。

 映画内で10曲以上披露されるケビン・スペイシーの歌の上手さ(踊りは微妙)、ボビー・ダーリンへのなりきり加減についての賛辞は、どのページを見ても見つかるものであるから、ここでは割愛しよう。歌のうまさはとにかく、書くまでも無い。10年構想を暖めながら練習した、というのもさもありなんのできばえである。

 さて、実はこの映画のおもしろいところは、その「作り」だ。ボビー・ダーリンが、自伝映画を作っている、という設定で物語りははじまる。若いころのアナタを演じるには年をとりすぎなのではないですか、という記者からのボビーへの質問は、実はケビン本人に実際に言われた批判だったという。そんな質問をさらっとかわし、子役の子供と言葉を交わしながら映画はすすむ。

 素晴らしい思い出は歌と踊りでつづられ、そのミュージカル場面は、ブロンクス時代はまるでそのセットや衣装そのまま「ウェストサイド物語」を見るかのようだし、ディーとの恋愛のエピソードは、「ローマの休日」をも意識した「パリのアメリカ人」風である。合間合間に子供との会話や撮影シーンが差し挟まれ、ああ、そうか、映画を作っている設定だったな、と思っているうちに、いつの間にかダーリンの結婚生活などリアルな私生活が描かれ、一時間も見るころには、「映画を作っているという設定」だったことはすっかり忘れてしまうような展開だ。このへんの匙加減、進め加減は、スペイシーの監督としての才能を感じさせる。

 女優サンドラ・ディーとの結婚生活のエピソードは、ユーモアも交えて描かれ、最近みた「喧嘩シーン」では、一番のできばえのように思う。笑わせておいて、ケンカの最後では、ほろっとさせる。その辺の描き方も、うまい。

 サンドラ・ディー役のケイト・ボズワースの使い方も実に上手である。彼女はそっくり、というわけではないが、雰囲気がそのまま、私たちが想像したとおりのサンドラ・ディーなのだ。その可憐さ、かわいらしさ。当時の風物や実在の人物たちを引き立てる衣装やメイク、セットにも何の手抜かりも無い。

 難を言えば、確かにスペイシーが年をとりすぎていて、登場人物たちの年齢がどうも分かりづらいところであるが、(ボビー・ダーリンは38歳で死去)細部まで手を抜かず、構成もよく練りぬかれた作品であるといえよう。

 大御所「レイ」の陰に隠れてしまったのが残念だが、(映画の中には、なんとレイ・チャールズについての言及もある。伝記映画が目白押しのハリウッドを意識してのことだろう)ボビー・ダーリンの劇的な人生ともあいまって、歌に踊りに酔い、ドラマに泣け、そしてラストまでスィングを忘れない、素晴らしいエンターテインメント作品だと、太鼓判を押しておこう。

そして、歌と踊りばかり取りざたされているスペイシーの監督としてのこれからに、大いに期待したい。 

映画として 9/10
ボビー・ダーリン=スペイシー 10/10
サンドラ・ディー=ボズワース 10/10



Last updated 2005.03.20 00:19:20
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2005.03.17

「ゲロッパ!」 井筒監督の深層心理を見た? 
[ 批評 ]  

 数日後に収監されることになったヤクザの組長・羽原(西田敏行)には心残りなことが2つあった。1つは25年前に生き別れた娘かおり(常盤貴子)と再会を果たすこと。そしてもう1つは大ファンであるキング・オブ・ソウル、ジェームス・ブラウンの公演に行くこと。彼の心中を察した弟分・金山(萩原一徳)は子分たちに“いますぐJBをさらいに行って来い”ととんでもない命令を下すのだが・・・。


井筒監督といえば、日ごろのマスメディアでの辛口映画評が思い浮かぶ。歯に衣着せぬその言いっぷりは、ならあんたどんな映画を撮るんか、と言いたくなる口ぶりであったが、その、井筒監督の作品である。

 正直に言おう。井筒監督は、「かわいいね~」の一言に尽きる。

 実はこの映画は、そのストーリー展開、合間に差し挟まれるミュージック・パフォーマンス、テンポといい、まさにハリウッド映画の要素をすべて取り入れているのだ。いつもあんなに辛口を聞かされていたから、こんなにハリウッド映画に影響を受けているとは思わなかった、というのが本音だ。そう、井筒監督はハリウッド映画が好きすぎて、あんなに辛口になっていたのである。(ご本人がこれを認めるかどうかは知らないが)

 ハリウッド娯楽映画をハリウッド娯楽映画にしている醍醐味といえば、ホロっとさせたり、ハラハラさせたりしながらも失われない、そのウィット、コメディーセンスにある。たとえば、「隣のヒットマン」や「花嫁のパパ」でもいい。ホロっとさせたり、ハラハラさせたりしながらも、いつもウィットと笑える要素を失わないのだ。そして、皆がいつも陽気で明るい。井筒監督は、この醍醐味を、日本映画に入れ込もうとした。

 JBを誘拐しようとドタバタとする子分たち、エアロビの先生?をしている元やくざ、かおりを狙う取引先上司のいやらしさ、JBのパフォーマンスをしてみせる組長に、「ブツ」をめぐって繰り広げられるドタバタ活劇・・・そういったパーツが、まるでハリウッド娯楽映画そのものなのだ。

パーツを上手くストーリーに組み込んだことは、この映画を先の読めない面白いものにしているし、俳優達も、なかなかいい演技を見せている。もちろん西田に岸辺はどんな演技子お手の物だし、山本太郎他脇を固める役者陣も精一杯小気味よく演じていると思う。娯楽映画としては、まずまず楽しめる仕上がりだろう。

が、いかんせん、いくつか残念な点がある。

ひとつは、「ハリウッド娯楽映画的」にするのなら、他の点もハリウッド的にするべきだった、という点だ。それは何も、お金を掛けろといっているのではない。この映画のハリウッド的な最大の難点は、その「色」だ。井筒映画にはその独自の色がある。どちらかといえば、砂埃でもかぶったような、もったりとした、ある意味日本的な色だ。これが、力強い描写と重なると、なんともいえない重厚感や迫力を生み出すわけだが、いかんせん、「ゲロッパ」は、娯楽ハリウッド風作品である。 そうなると、このもったり色が、テンポをそぐことになってしまうのだ。もったりとした色合いの中で、テンポのよいパーツが次々と展開しても、垢抜けないのである。衣装・舞台セットといった基本的な色合い―これがもっとビビッドで、気を使ったものであれば、そのビビッドな色が画面をドタバタと動き回ることで、余計にテンポが小気味よく感じられるはずである。ハリウッド映画というのは、その辺までも十分計算し尽くされたものであるのだ。

 もう一点は、上と逆説的になるのだが、井筒監督が「ハリウッド風」を、意識的か無意識的か、作り出そうとしていることにある。ハリウッド娯楽のおもしろさがどこにあるかをこれだけ理解している井筒監督なら、日本独特のしっとりと静かな笑いの情感を、上手い具合にあのハリウッド娯楽のもりだくさんなウィットと混合し、消化し、新しいジャパネスク娯楽が作れるのではないか、と思えるのだ。その世界観であれば、井筒監督の独特な「色」もまた味わい深いウィットの一部分となると思えるのである。

井筒監督がこれから、そのどちらを選択し、映画を作り続けていくのか―それが気になる、映画であった。最後に、もちろん「ゲロッパ」とは、JBのGet Upの呼び声のカタカナ表記である。(なにをどおやってもそうとしか、聞こえない)

映画として 7/10
娯楽として 8/10
ゲロッパ 10/10





Last updated 2005.03.17 15:56:13
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2005.03.15

「アイ, ロボット」  (4) 
[ レビュー ]  

 ロボットが人々の生活に溶け込み始めた、西暦2035年シカゴ。新型ロボットの発売を控えたUSロボティック社で、ロボット工学の第一人者ラニング博士が謎の死を遂げる。大のロボット嫌い、スプーナー刑事(ウィル・スミス)は、ラニング博士のホログラムに導かれ、その捜査を担当することになる・・・


 大々的にスポットが流されていたら、映像をご覧になった方もおいだろう。人間風の半透明の顔がついた、すこしロボットらしからぬロボットとウィル・スミスの、派手なアクション・シーンなどだ。これからご覧になる方は自宅で見ることになるだろうから、よほどの大画面TVか、ホームシアターでなければ、この映画をCGの迫力だけで「最高!」と言い切るのは難しいかもしれない。ロボットのデザインをはじめとして派手な爆発シーンといったものも、テレビの画面に音だと、CG臭さが見えすぎてしまうのも、興をそぐ。

 が、CGを除いた「アイ、ロボット」には、まだ見所がある。 
 サスペンスとしても「最高!」というほどではないが、通常の(SFでない)サスペンス映画と同じぐらいのひねりや謎解きはある。いや、逆に、SF映画としてはめずらしく、そこそこヒネリのきいたサスペンス魂を持っている。そして何より、実はそのウィットに富んだセリフに、この映画の魅力はある。脱力系クールガイ、ウィル・スミスと同僚や、さまざまな登場人物とのやり取りは、時にニヤリとおもしろく、また、ああ、うまいこと言うな、と納得させられたりするセリフが多い。案外ウィル・スミス本人のアドリブも入っているのかもしれないが、ストーリーに絡んだところにも垣間見えるウィットは、やはり脚本家アキヴァ・ゴールズマン(実は、彼はかのアカデミー受賞作「ビューティフル・マインド」や「依頼人」の脚本家であり、スピルバーグ製作の芸者映画「SAYURI」の脚本は彼の手による)と、この映画の原案者でもあるジェフ・ヴィンターによるところが大きいのだろう。変に知的ではない小粋さを楽しめるSFとして、推薦しておこう。

 ところで、「アイ、ロボット」と聞くと、あのSF文学の巨頭、アイザック・アシモフが1950年に発表した短編集を思い出す人も多いだろうが、この映画はアシモフを映画化したものではまったくない。原作に着想を得た、インスパイア映画(?)の類である。アシモフの「われはロボット」に出てくるロボット三原則、

第一条:ロボットは人間に危害を加えてはならない.また,その危険を看過することによって,人間に危害を及ぼしてはならない.
第二条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない.ただし,あたえられた命令が,第一条に反する場合は,この限りでない.
第三条:ロボットは,前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり,自己をまもらなければならない.

を大前提としてロボットが活躍する近未来社会をリアルに映像化して見せたことが、同じアシモフからのインスパイア映画「アンドリューNDR114」などのセンチメンタリズムとは違った醍醐味であろう。

映画として 7/10
サスペンスアクションとして 7.5/10
CGの醍醐味 6.8/10


以下、結末も含むネタバレがふくまれますので、ご注意ください

 実はこの映画は、アシモフのロボット三原則の使い方が悪いと、SFファンたちからは評判が悪いらしい。あの金字塔を全く無視した展開だ、というのがその理由だ。なんといっても、映画ではアシモフを題材にとっているにもかかわらず、人間の危害を与えるはずのないロボットが、バンバン危害を与えまくる。しかも、この三原則をプログラムされていないロボットまで登場するのだ。アシモフにインスパイアされながら、全くそれを反対に使っているというのが、酷評の理由のひとつだろう。
 しかし、あるいは私には、この映画はあの金字塔をしっかりとベースに映像化した上で、そこに新しい物語を作ったところを、評価するべきではないかと思うのだ。それはいわゆる「やおい」に近い発想である。大好きだからこそ、それをベースに新しい物語を作ったのだ。私たちが子供のころ、読んだ本や漫画の世界を、床で夢想したように、である。その原作への愛は、侮辱ではなく、限りなく純粋な愛であるように思う。そもそも、「アイ、ロボット」なんてタイトルなしで、ロボット三原則も引用することなしに、凶暴なロボットが出現する未来社会を描く映画であっても、全く良かったのだから。
 主人公?のロボットサニーが、いわゆる救世主としてロボット世界を切り開くであろう、というラストもまたさわやかだ。ロボットと一騒動あった後の、「人間が完全にロボットを淘汰する社会」で終わるのではなく、ロボットによるロボットのための平和社会が示唆されているラストはなかなか新しい視点だなと思わされた。

 予告編を見たときは、つまらない三文映画なのではないかと思っていたが、そのウィットと、原作への子供心を忘れない愛情に、評価を置いてあげたい作品であった。 






Last updated 2005.03.16 02:06:41
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2005.03.10

CODE46  (2) 
[ レビュー ]  

「ひかりのまち」のマイケル・ウィンターボトム監督の2003年度作品である。

 近未来、上海。ウィリアム(ティム・ロビンス)は、パペルと呼ばれる都市間通行許可証の偽造事件の調査に訪れた先で、マリア(サマンサ・モートン)に出会う。出会った瞬間から彼女に惹かれるウィリアム。そして、二人の運命がつながり、新たな人生がはじまる・・・

 この映画に関して何よりもまず賞賛せねばならないのは、ウィンターボトムの映し出す「近未来」だ。それは、SFXを多用することによって未来を描く現代のハリウッド映画の多くへのアンティテーゼともいえる。彼自身ゴダールの白黒SF作品「アルファビル」のような近未来を描きたいと語っていたとおり、上海という(監督にとっての)異空間の中に「未来」を見出し、そこを切り取り、そして監督独特のビビッドでありながら澄んだ色彩を、流れる光を取り込むことによって、まるでSFXで描かれたのと同じ色合いの近未来を映像化してみせる。 
 遺伝子操作が可能な未来に普通車が走っている―といった点を、SF好きの観客は不満たっぷりにつついてみせるかもしれない。しかし、逆に、普通車が走っているフツウの現代を、何のSFXも無しに未来のように映し出してみせた、という監督の手腕を賞賛してほしい。そしてなにより、現代で近未来を描き、近未来で現代を描くというこのトリックに浸ってほしい・・というのが私の言い分である。

 ストーリーに対しても同様だ。それを通常のSFとして「つじつまを合わせて」考えていくと、しっくりとはいかないだろう。しかし、これを人類の大きな寓話と考えれば、また、その悲しいラブストーリーの叙情にだけでもひたっていただければ、それだけでもこの映画の真価はわかってもらえるのではないだろうか。これからご覧になる方には、「SFサスペンスラブロマンスー!」というレッテルだけははらずに、どちらかといえば現代美術を鑑賞するような心持で見ていただきたいといっておこう。

以下結末も含めてネタバレがふくまれます。ご注意ください。


CODE46とは、同一、または高いパーセンテージで重なる遺伝子を持つ男女の生殖行為を禁じる法律である。クローンが日常となった世界では、確かにありうる話である。
 この映画の世界では、人々は「内」とよばれる都市部に密集して暮らし、「外」は砂漠化し、同時にさまざまな伝染病がはびこる世界である。都市間移動の許可証パペルは厳しい審査のうえでのみ発行され、発行されないのにはかならず「理由がある」といわれるほどの代物だ。

 マリアとウィリアムは、遺伝子上では親子に当たる存在でありながら、生殖行為を行ってしまう。一度目は、避けがたいほどマリアに魅力を感じたウィリアムと、夢で彼を運命だと感じたマリアという間柄で。そして二度目は、おそらく消しきれなかった愛の記憶に突き動かされるマリアと、遺伝子上の母と知りながらその願いを聞き入れる、ウィリアムの間で。

マリアの記憶も、ウィリアムの記憶も、それは消され、書き換えられ、それでもなおかつ彼らは互いを探し、愛し合う。愛の記憶は、繰り返され、消され、繰り返され、そして永遠に続く。それがCODE46であろうと、だ。

 そもそもわれわれは元はアフリカの一人のイブではなかったか。イブと、その息子ではなかったのか。
 現代に生きるわれわれすべてが彼女の子孫であるなら、私たちは皆、マリアとウィリアムの二人のように、親子であり、また兄弟であるのだ。

私たちはその中で、引き裂かれ、出会い、愛し合い、死ぬ。そしてまた繰り返し、繰り返し出会い、愛し合う。新しい記憶を持って、新しい場所で、新しい体で、私たちは生まれ変わり、愛し合う。

マリアとウィリアムは、私たちを二人に集約したにすぎない。

古典「オイディプス」(知らずに父親を殺し母親を娶るも、後に悟り眼をつぶして荒野へ出る、永遠のさまよえる人間像である)で荒野へと出るのは男オイディプスであり、残されるのは母親であるが、この映画では、「内」へと戻っていくのはウィリアムであり、「外」の荒野をさまようのは女性であるマリアのほうだ。

偽のパペルを渡したことで死ぬにいたった友人を幸せと言い、「内」から「外」に戻ることを夢に見る彼女は、記憶を抹消されながらでも人の手による社会には制御不能な存在である―そんな最初の一人の「女」、マリア=イブが、荒野で「あなたに会いたい」とつぶやくとき、私たちはまた生の営みをはじめからたどり、くりかえすのである。



映画として 7/10
映像作品として 8.5/10

追記:あちこちで、サマンサ・モートンはよかったがティム・ロビンスがミスキャストという声が聞かれた。しかし、この二人が並んだ場面を見てみてほしい。二人の身長の差の大きさ―モートンが小柄なため二人は父親と娘のように背が違うが、実際はその間柄は逆である。これが母親と息子との永遠のラブストーリーであるなら、そして私たちの愛がイブとその息子から永遠に続いているなら、この「身長差」は明らかに監督の意図したものといわざるを得ない。

 ちなみにティム演じるウィリアムの妻役の女優は非常に背の高い役者を選んでいること(ティム・ロビンスは相当な長身であるので、それに並ぶ女優を探すのはたとえ西洋でも難しいことである)も、これを裏付けているように私は思う。



Last updated 2005.03.11 02:14:39
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