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ラッコの映画生活

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2007.02.04
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カテゴリ:ヨーロッパ映画
L'ENFANT
Jean-Pierre et Luc Dardenne
2005年第58回カンヌ映画祭パルムドール受賞作

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寸評:議論はあるがかなり良い映画。けっこう好きです。

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この映画、カンヌでパルムドールを受賞したように、どちらかと言えば批評家受けが良かったようです。映画評には、映画作法・演技・音楽・物語・・と多面があって、観客の評価は最後の物語を中心とする場合が多いですが、主人公ブリュノがあまりに子供で身勝手で、それへの批判が観客の評価の低さになっていると感じます。批評家的な評価という意味ではなく、ボクにとっては、好き嫌いとして好きな映画でした。生まれたばかりの自分の子供を売ってしまうというのは、センセーショナルな感じもありますが、実はこの映画の中では一つの契機、つまり物語を動かす原動力のようなもので、サブテーマとしての父性・母性の問題を別にすれば、あまり重大視する必要はないと思います。他の別の何かでも良いということです。

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(以下ネタバレ)
物語:舞台はベルギー・リエージュ郊外の労働者都市スラン。20歳のブリュノは中学生を使ってカッパラったものを売ったお金でその日暮らし。同棲中の18歳の彼女ソニアが出産で入院中には勝手にアパートを短期賃貸ししていて、新生児を抱いて戻ってきたソニアも自分の家に入れない始末。夜は結局2人で簡易宿泊所へ。ブリュノはカッパライで儲けた金でお揃いのジャンパーをソニアに買い、乳母車を買い、車を借りて2人でドライブ。子供のように楽しそうにはしゃぐ2人。ソニアの求めでブリュノは快く子供を認知の手続きもする。ある日ソニアが職安に仕事を求めて並んでいるとき赤ん坊の世話を頼まれたブリュノは、盗品のバイヤーから聞かされていた赤ん坊売買の話を思い出して5000ユーロ(約70万円)で売り飛ばしてしまう。それを知ったソニアはショックで倒れて入院。彼は思い直してお金を返却し子供を返してもらい、ソニアの手に赤ん坊は戻ったが、彼女はブリュノを拒絶した。行くあてもなく一人となってしまった無一文のブリュノ。お金は返したが、更なる違約金として要求された5000ユーロが残ってしまう。彼女が拒絶した乳母車とジャンパーをリサイクルショップに売るが、それでできたのはたったの66ユーロ。赤ん坊の密売人に襲われ、その66ユーロは巻き上げられ、残り4934ユーロの支払いを要求される。ブリュノはカッパライ仲間、14歳の中学生スティーヴを誘って店の売上金を銀行へ持っていく女性店員を襲い、バッグを奪って逃走するが、目撃者に車で後を追われてしまう。冬の冷たいムーズ川(撮影時の気温は10度、水温は6度)に浸かって隠れるが、凍えて脚が動かなくなってしまったスティーヴだけ捕まってしまう。パンクしたバイクを押してソニアのアパートを訪れるがドアのノックに反応はない。またバイクを押して警察へ。スティーヴに面会し、バイクの鍵を返し、盗んだ金を出して自分が主犯だと警官に言う。刑務所の面会ルーム。ソニアが服役中のブリュノに面会に来た。手を握り合い、涙を流し合う2人のアップがラスト。

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この映画は手持ちカメラのドキュメンタリー風な映像で主人公たちを追っているが、巧みな脚本に重要なポイントがいくつか折り込まれている。それは警察に対して口裏を合わせるようにブリュノが頼みに行く母親であり、盗品売買のこと細かな金額であり、違約金の残りを要求するヤクザであり、子供の引き渡し時に自分のジャンパーを脱いで子供の下に敷く姿だ。もちろん多くの人が気付いているように凍えたスティーヴを介抱するブリュノの姿もそうだし、あとは荒漠・無味乾燥な工業都市の寒々とした背景もそうかも知れない。

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ブリュノは中学生を使ってカッパライをさせているのだろうが、それをバイヤーに売りに行って得られた金額を決して誤魔化しはしない。ビデオカメラが450ユーロで売れれば少年たちにも450ユーロと伝えて規定の率の分け前を与える。また仲間が溺れそうになれば助け、凍えれば介抱もする。それは決して自分に足がつくことの予防ではない。つまりあくまで子供であるだけで、悪気はない男なのだ。

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この主人公がどうしようもないヤツで、最後に涙なんて流したって務所を出たら元の木阿弥だ、って非難する観客評をたくさん目にした。でもそういうのってどうなんだろう。自分は大人として、我慢もして社会的責任を果たしているのに、こんなヤツは許せないという一種の嫉妬、あるいは自己アイデンティティーを守ろうとするエゴがないだろうか。このブリュノ、確かにどうしようもないヤツではあるけれども、我々はその存在自体を否定していいのだろうか。こうして現にこういう彼が存在しているのだ。母親に会いに行って子供が出来たと言っても、今の男とどういう事情にあるかはわからないけれど、家にも入れないような母親なのだ。そんな子供への愛情のない母親に育てられて大きくなったブリュノがまともに成長できなかったのは彼の責任が100%なのだろうか。親だけではなく社会全体というのも含めて。もちろん同じような環境でもまともに大人になっているいる人はいる、と人は批判する。しかし全く同じ環境など存在しないし、生まれながらのDNAだって違う。そもそもこのブリュノをそんなに批判するなら、どうして赤ん坊売買斡旋のヤクザの方は非難しないのか。ブリュノのような存在は、親を含めて社会全体の失敗作であって、それには多かれ少なかれ我々社会の構成員すべてに責任があることなのだ。そういうことをこの兄弟監督は提示していると思う。そして映画を突然終わらせ無音のクレジットロールを流すことで、観客に考えることを促しているのだ。せめてブリュノを見放すのではなく、彼の改心とこのカップル、そして赤ん坊ジミーの将来の幸せを願おうではないか。

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Last updated  2007.02.06 04:39:11
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