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ラッコの映画生活

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2009.02.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
TOKYO!
Michel Gondry
Leos Carax
Bong Joon-Ho
110min(1:1.85)
(桜坂劇場 ホールBにて)

(つづき)

「つづき」と言っても12月14日以来2ヶ月以上も間が開いてしまいましたが、めげずに続けることにします。

(承前)それはストーリーが日本的だとか、脚本や監督が要求する演技が日本的だというのでは必ずしもない。監督の思想、監督が世界、つまり物語や人物や感情、そうしたものを捉えている感覚や意識や思索が違う。そしてブルーニ・テデスキも藤谷文子もそういう監督の思想を汲み取って、普段の自国文化の中には無いものまでを体現、表現する。

映画『CQ』の中で監督ローマン・コッポラは映画監督役のドパルデューに「役者は監督のために演技する」と言わせていた。あるいはベルイマン監督との仕事に関して語る女優リヴ・ウルマンの言葉などに特に感じられるが、役者というのは監督に気にいってもらおうと演技をする。だからセリフ台本なしの撮影ででもブルーニ=テデスキは諏訪敦彦監督の真意を汲み取って(、考え、感じて)諏訪映画の役を演じ、結果としてどこか日本的にもなる(『不完全なふたり』)。同じ諏訪監督でもこちらは台本有りだけれど、『パリ、ジュテーム』の諏訪作品のジュリエット・ビノシュは実に日本テイストだった。そしてここでは藤谷はフランス人ゴンドリーの考えるヒロインを体現する。だから舞台は日本で、日本人ヒロコの役だけれど、出来上がった映画の人物ヒロコはフランス人女優のようであり、映画もフランス映画テイストになるのだ。

そして余談で、しかも熟考したわけではまだない軽い印象でしかないけれど、監督の意を汲み取って、監督に喜んでもらおうと監督のために演技をするのは、女性の役者(つまり女優)と男性の監督の場合にいちばん顕著なような気がする。恋愛感情に一種似ているかも知れない。まただからこそ監督と女優がカップルとなるケースが少なくないのかも知れない。
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(つづく)

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Last updated  2009.02.19 00:23:58
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