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ALICE
aka NECO Z ALENKY Jan Svankmajer 84min(1:1.33) (桜坂劇場 ホールCにて) (つづき) 病的なものがあったかどうかは知らないが、少なくも犯罪的なものはなかったと思うが、原作のキャロルは少女好きだった。思うに今書いた少女の不思議性、それがこの原作に一種独特のダークさを与えているのだと思う。アリスは白兎軍団の攻撃を受けるけれど、抵抗するようでもあり、また身を任せるようでもある。男児であれば徹底的に反撃をして全面戦争になるだけだ。しかしアリスの場合には、抵抗、忍従、甘受、無関心、包容、受容、好奇、嫌悪、好意、驚愕、逃避、冷淡、等々が混在している。そしてその少女的感覚をクリスティーナが演じると同時に体現している。 エロティックなイメージもシュヴァンクマイエルの特徴らしいが、コンパスの針を刺して出血するのも、考えようによっては象徴的だ。ミルクに落ちた彼女は外側を殻(マトリヨーシュカの一つ外の殻のようなもの)に被われ、囚われの身となって一室に幽閉される。彼女は殻を破って外に出るが、これは蛹(サナギ)からの脱皮のようでもあり、少女から大人の女への成長なのかも知れない。そこは雑多な物々が置かれ、物置のような部屋だ。アリスが缶詰を缶切りで開けると、中からゴキブリのような虫がウヨウヨと出てくる。これを性的感覚のメタファーと解釈するのは行き過ぎだろうか。 誰も履いていないたくさんの靴下が膨らんでいて、ニョロニョロ(?)、あるいはイモムシとなって、床に無数に空いた穴を出たり入ったするシーンがあった。これを「可愛らしい」というレビューを読んだが、ボクにはむしろ気持ちが悪かった。食物や衣類に穴を開けてウゴメク這い虫を想像させ、これも性的感覚のメタファーとも感じられる。 そもそも引き出しのノブを引っ張ったら外れて後ろに尻餅をついたり、白兎の部屋で元のサイズに戻って小さな部屋に這いつくばるようにいたりで、カントリー調のワンピースのスカートからは太ももや股間がむき出しに写される。大人の女性は「文化」化されていると書いたが、それ以前だから、あるいは「おんな」としての意識が未分化でその意識がないから、かえって生の形で少女の「女」性が感じられたりもした。 冗漫になってきたのでこの辺で終わります。文全体から映画の雰囲気を想像していただければ幸いです。チェコ語の原題は「アリスの何か」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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