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October 22, 2008
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本能寺の変の後、信長の遺体は見つからなかった。信長ははどこへ消えたのか―。
光秀謀反にちらつく秀吉の陰謀。阿弥陀寺の僧侶が握る秘密の鍵。
信長に仕えながらも、本能寺の変直後の動乱には参加できず、
その後、秀吉に仕えながらも、信長の死の謎を調べるのは
「信長公記」の著者であり、この物語の主人公・太田牛一。
彼が最後につかんだ驚愕の事実とは。

歴史ミステリ…になるのだろうか。
大雑把な歴史しか知らないので、秀吉の陰謀、丹波ものの暗躍、
本能寺、阿弥陀寺や南蛮寺に隠された秘密の解釈は興味深かった。

ただ、秀吉に依頼された執筆、その後の秀吉直々の添削作業風景、
忍びとの恋などがずるずるしていたりして、
途中なんの話だか忘れそうになってしまったのはご愛嬌…かな。
まぁ、執筆―添削風景は、こうやって勝者によって歴史は改竄されていく、
また、歴史は観る人の角度によってがらりと様相を変えるということを表現するために
必要だったのかもしれないけれども。

~ネタバレメモ~

信長は本能寺から近い南蛮寺(教会)に抜け道を作っていたが、
そこを塞がれ、死亡。(丹波ものの暗躍あり)
死体は信長の縁者である阿弥陀寺の僧侶により葬られることになるが、
遺骨が後の権力者に利用されぬようにと無縁仏の埋葬地に印を付けて埋められる。
牛一が最後にそれを知り、遺骨を掘り出そうとするが、印が失われていたため、断念。

秀吉はただの農民ではなく、忍の流れを汲む丹波出身だったため、数々の活躍が可能だった。
本能寺の変直後の素早い動きは、以前から本能寺の変を予見していたため。
さらに、信長が逃げられないようにしたのも秀吉だったという解釈がされている。






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Last updated  October 22, 2008 10:56:42 PM
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