テーマ:小説日記(233)
カテゴリ:創作
晴れ渡った空。時々見える綿菓子のような雲。暑すぎず、寒いこともなく、湿気のない空気が心地よく感じられる。
こんなにベストコンディションのフジロックは久しぶりではないだろうか。 今年の苗場も去年と、その前の年と、あるいは初めてここに来たときと同じように高揚感にみちている。 僕はこの祭りのために今まで生きてきた。だから今日の苗場も最高に楽しいはずだった。 ときどき 出て行かなくちゃって思うんだ ベルが鳴る 出て行かなければ もしそうしなければ おかしくなってしまいそう 彼女を置いて 行くべきなんだ あいつら とってもいいヤツらだからさ 会場に着いてからなぜか、The WhoのKids Are Alrightの歌詞が頭から離れなかった。なぜなのかはわからなかった。でも本当はわかっていた。単に気づかないふりをしているだけ。気づくのがとても怖いから、「わかっていること」に気づかないふりをしていた。 フジロックフェスティバルで一年に一回しか会うチャンスがない友人達もいる。でも僕は会いに行かないことにした。パーティーを台無しにしたくないから。 パーティーを台無しにしたくないから 僕は出て行くよ 落ち込んでいるのを見せたくはないんだ グリーンステージではThe Birthdayが大音響でロックンロールを演奏している。僕は後ろの方でみていた。でも20分くらいでつらくなってしまった。 こうして大音響の音楽に晒されているのが、自傷行為のように感じられた。 和むのでも癒されるのでも熱狂するのでもなく、単純に自分のハートをずたずたに切り刻む剃刀の刃のようなもの。その日の僕にとってのThe Birthdayはそんな音楽だった。 チバのことは知っている。1998年のフジロックでミッシェルガンエレファントをみてからずっと彼の音楽を聴き続けている。2000年のフジロックでのライブもみた。解散ライブも見た。ミッシェルの最後の曲は「世界の終わり」だった。そんな思い出も今は何も意味いがないように思える。 グリーンステージの音楽がつらくてたまらなくなったので、僕はそこを逃げ出して山を登っていったところにある「ところ天国」に行った。 そこは河原で、いつもなら疲れたときの絶好の休み場所なので、そこにいることにした。ビールも飲んでみたし、いつもならおいしい料理も食べてみた。でもビールはただ苦いだけだったし、料理も全然おいしくない。 しばらくするとその河原の近くのホワイトステージから大音響の音楽が聞こえてきた。その音楽は苦しく感じられた。なにかの拷問のように思えた。 頼むからその音楽が流れるラジオを切ってくれないか。 それは無理な話だ。一日中音楽が絶えない楽園がフジロックフェスティバルの会場。それを望んで、みんなが集まってきたのだから。 僕は色々な場所に移動して、音楽が聞こえない場所で休もうとした。僕はひたすら疲れていた。だけどそんな場所がここにあるわけない。 日が落ちて苗場の空気が寒くなった頃に、僕はギブアップしてキャンプサイトに戻った。そして風呂に入り、その他の一日の雑事を終えて、テントの中で寝込んでしまった。 ダメになってしまったとき 誰も君を知らない 翌朝目が覚めたのは九時ごろだった。とりあえず起床後の雑事や朝食を済まして、会場へ行こうとした。でも気が進まなかった。行きたくなかった。また音楽が絶えないあの場所に行かなければならないのか。そう思うと気分が落ち込んできた。 愛。平和。協調。理想。その言葉はフジロックにふさわしい言葉だ。それを実現しようと日々活動しているNGOを知りたければアヴァロンフィールドに行けばいい。フジロックの3日間で感じたいつもの日常では感じられない理想に満ちた幸福感。それを日常生活に持って帰りましょう。そんな言葉を今まで何回聞いただろう。 僕はそれを本気で信じていたのだろうか。今にして思う。なんだかんだ理屈をつけて、いつもの日常ではそれとは逆のことばかりしていた。 愛こそは全て それは多分正しいことだ。でも言っているだけではダメ。自分が生きている日常生活のうえでそれを実践しなければ何の意味もない。心地のよい音楽に陶酔しきって呪文のように「愛こそは全て」と歌っても何も意味がない。 それはキリストの再来のような奇蹟に属する事柄ではなくて、普通の人が努力すればきっちり実現できる普通のこと。なぜなら。フジロックの会場にはそうしたことを成し遂げた人たちが子連れ、恋人連れで来ていた。 愛。平和。協調。理想。 それが僕を責め立てている気分になっていた。なぜそのために努力しなかったのだと。 そして、君は今まで何を得たんだい? 僕は若いころを思い出した。本当に若いころ。17歳くらいのことだ。 その頃僕は高校生で、担任は英語教師だった。その英語教師は腕っ節が強いわけでもなく、何か強烈な人間的魅力を持っているわけでもない「普通」の教師だった。 英語の授業も教科書の英語を読んで、その次に日本語訳を読むだけ。退屈で何の役にも立たなかったから僕はずっと寝ていた。僕もクラスメートもその英語教師を全くレスペクトしていない。僕らはこんなつまらない大人にはなりたくない。僕はその英語教師をそう断罪した。 だけど。そういう性急な断罪は若さの特権だ。自分の未来がまだ不確定で可能性の方が若干あるがゆえにそのような断罪が許される。そうやって、英語教師だけではなく、それこそジョンレノンやニールヤングやキースリチャーズに至るまでいくらでも性急な断罪を僕らはし続けていた。 そして僕らは当たり前だけれど年を取る。その性急な断罪に対する落とし前をつけさせられるときが来る。 僕の今の年齢は、その英語教師が僕を担任していたときの年齢とそれほど変わらない。その英語教師は家庭を持っていた。多分子どもだっていたし、その子どももきっとハイティーンくらいではなかったのではないだろうか。つまり彼は自分に与えられた社会的役割をきっちりと果たしていた。 それなら君はどうだ? 僕には何もない。本当に何もない。守るべき大切なことも。何かを成し遂げられる大きな可能性も。 英語教師は少なくとも「大人の代表」として僕らの前に立ちふさがってくれた。それがレスペクトにみちたものではないにしろ、彼なりの役割を果たすために、彼のやり方でそうしてくれた。 今の僕にそんなことができるだろうか。 そう。僕の方が多分間違っていたのだ。 もし僕がフジロックを信じている、あるいはそうした理想が大切だと思うなら、僕はそれを日常生活で実践すべきだったのだ。 そのためのヒントはきっと今までたくさん与えられていたはずだ。 それなのに、僕はそれを無視した。 それで終わり。それが全て。 大音響の音楽が聞こえ始めた。2日目が始まったのだ。その音楽は僕の居心地を悪くさせた。ここにいるべきではないと感じさせる。清算日は来た。全ての負債は返さなければならない。どうすれば返済できるのか。僕にはわからないけど。 あなたは何を得たのかわかっていない それを失うまで 約一時間後、僕は誰も乗っていない越後湯沢駅行きのバスに乗って東京へ向かっていった。もう今年のフェスティバルは終わりだ。 フェスティバルでは今もまだ音楽が鳴り続けている。 愛。平和。協調。理想。 それを信じさせる何かがそこには存在している。 それを僕が実践できたかできないかは別にして。 [CD] ザ・フー/フーズ・ベター・フーズ・ベスト John Lennon ジョンレノン / Walls And Bridges: 心の壁、愛の橋 【CD】 2012年8月 「祭りの終わり」を大幅加筆訂正 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.04.22 14:20:13
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