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愛、平和、協調、理想。
それは僕にとって重要なものではなくなった。もっと言えば、それは僕にとって憎しみの対象になった。 愛、平和、協調、理想。 それを唱える人々をよく見てみればいい。彼らはみんな大切なものを持っている。失うものがあるからこそ、それを主張する。 愛、平和、協調、理想。 僕はもうそうした絵空事や、誰にも否定できないきれいごとを信じないことにした。 戻るべき場所だったフジロックフェスティバルの会場。それは僕にとってもはや帰るべき場所ではなくなった。そこは今では行く場所だ。行きたくなければ行かない。そして今ではもう行きたいと思わない。その途端に僕の今までの人生が大きく反転した。 僕は今まで音楽に人生を左右されてきた。だからフジロックの理想だとか、そういうものに浸りきってきた。だけれどもそれは終わった。それは同時に僕にとっての音楽の終わりだった。 音楽はもはや僕にとって重要なものではなくなった。だから今まで千枚以上買ったCDとかレコードは全部売り払うことにした。何枚かの一万円札の札束と引き換えに僕の部屋を占領していた音楽関係のソフトは消えた。僕の部屋は空っぽになった。残ったのは空になった棚とオーディオ機械だけ。僕の心の中と同じような空虚だけがそこに残った。 独りぼっちの時間も増えた。今まで音楽を聞いていた時間が全部空き時間になった。そこ頃にうまいタイミングでIPODも壊れた。 僕に残されたのは大きな空虚と凄まじく広大な心のすきまだった。それは心のすきまというのでは足りなくて、心の欠落とでも言うべきものなのかもしれない。 それは全て僕が人生の大きな部分を音楽に託しすぎ、依存しすぎたために起きた過ちでもあった。音楽を取ってしまったら何も残らない僕の人生。僕はそれを大きく悔やんだ。 音楽を取ってしまった僕に残された時間は労働時間だけだった。だからそれに自分を没入することにした。日常の雑務に追われ、忙しい忙しいと言っていれば何となく自分の生活が充実しているように見える。だから毎日の労働に自分を没入させることにした。 僕にとっての仕事の比重が重くなるほど、なぜか今まで気にならなかったことが気になるようになった。僕はこの職場で何番目くらいなのだ。僕は周りから評価されているのか。会社は僕をどのように思っているのか。 僕は周りを気にした。今まではそんなことはあまり考えなかった。もちろん人間関係は重要だけれど、それが世界で一番重要なことだとか、そんなふうに考えたことがなかった。 僕が「仕事」に没入するほど、その妙な力みが空回りし始めた。その空回りがますます気になって、仕事の失敗が多くなってきたような気がした。そしてその失敗は僕を大きく失望させた。 「何か最近変だぞ」職場の上司から言われた。 今までの僕なら絶対しないような失敗や凡ミスが多くなってきた。それに仕事の能率も確実に悪くなってきている。何か変なところに力が入っていて、努力が完全に空回りしている。そんなことを言われた。 「最近、お前の様子を見ているとすごくよくない空気を持っているような気がするんだよ。そんな感じでお客さんのところに訪問しても嫌がられるだけだろう。何か悩みでもあるのか?」上司は心配してそう言ってくれた。それはありがたい一言だった。でもそのときの僕はそう受け止めることができなかった。 今まで以上に仕事に打ち込んでいるのになぜそんなことを言われなければいけないのだ。オレはすごく努力しているし、よく頑張っているではないか。それなのになぜそんなことを忠告されなければいけない。オレはやっぱりどこへ行っても恵まれていない。 仕事が終ると何一つ残っていない空っぽの時間で一人っきりになる。今までそこにはロックンロールスターがいて、夢のような3分間のマジックがあって、僕は独りぼっちではなかった。でも今となっては、それは全てまやかしでしかなくなっていた。今まで僕が音楽を聞いて夢をみていた時間に、普通の人々は色々なことをしていた。例えば愛する伴侶を得るために努力したり、独りぼっちの空虚さをばねにスキルを磨いたり、将来のための投資をしたり。僕はそうしたことをせずに音楽に依存し続け、そして25年後にそれが破綻した。 そのショックを和らげようとして仕事を思い出すと、ますます気分が落ち込んでいった。 実際、最近は本当に仕事が不調だ。この前はついに、今まで真ん中よりちょっと上で安定していた成績が最下位に落ち込んだ。僕は自己啓発本を何十冊も買って、その空っぽの時間を過ごした。そのポジティブなメッセージに無意識で滅入りながら、そうした自分を変えるチャンスだと誤解して、より大きな空回りをし続けていた。そんな自分をおかしいと考える余裕もなかった。 今まで絶妙なバランスで成り立っていた仕事と自分の関係。それはだんだん崩れ始め、僕はますます余裕をなくしていった。 そんな僕を上司は心配していた。僕はそのときには全く気づいていなかったけれども。しかし僕を気にかけてくれた上司が異動で別の支社に栄転することになった。 それから僕は文字通りに仕事に追い詰められていった。 次に来た上司は僕の以前の姿を知らない。僕が、フジロックや音楽を信じていて、それがうまく仕事とバランスしていて、よい方向へ動いていた頃の自分。 彼にとって僕は成績最下位をいつまでも続けている出来損ないの社員でしかなかった。たまたま時期が悪くてとかそういうことではなく、始めから成績の悪い部位の属する出来損ないでしかなかった。 だから彼は僕を全く評価しなかった。容赦なく僕を怒鳴りつけたりした。 お前の代わりは他にもたくさんいるんだ。文句があるならいい成績を上げてみろ。と。 僕はそれが気になり、そしてそれを気にするほど、ますます追い込まれていった。 ポジティブ思考。今起きていることはあなたにとってのチャンス。山を越えていくことであなたはより大きな成功を手にすることができる。 そうした言葉もだんだん効かなくなってきた。何しろ僕は成績最下位を脱出できなくてこうして苦しんでいるのだ。成功者達はいう。山はあった。谷はあった。それを乗り越えたからこそ今の自分がある。それはその通りだろう。彼らはその通りの人生を送ってきた。だけど僕はあなた方とは違う。あなた方が言うとおり成績最下位を乗り越えたら、あなた方が手にしている成功を僕が手にできるというのだろうか。僕は場合は比較にならないほど次元が低すぎる。 そんなことが日常になってから僕は酒に逃げるようになっていった。僕のそのときの酒はひどいものだった。もともと酒に弱いたちだから、ちょっと飲んだだけで饒舌になり、あとはわけのわからないことをわめき散らして、用心棒に追い出される。そんなことを繰り返していた。朝、気がついたら顔を腫らしていることもあった。ワイシャツには血がついていた。そしてその腫れた顔で会社に行ったりした。僕の会社での評判はますます悪くなった。上司もそんな僕を毛嫌いしていた。そうやって僕は自分がいる場所をどんどんなくしていった。 その日は金曜日だった。翌日が休日だから僕はヤケ酒を飲んだ。最後に覚えているのは何か会社のことだとか、自分の不運を呪うようなことを叫んで周囲の人たちに抑えられている場面だ。そのあとは何をやったか、何があったかわからない。気がついたら、ひどい頭痛と嘔吐感とともにビルのゴミ捨て場で目が覚めた。 今日は確か土曜日だったっけ。ゴミ袋を枕にして見上げる夜明けはひどく淋しい明かりにみえた。その淋しい夜明けを見て、僕はフジロック最終日の夜明けの瞬間を思い出した。苗場の夜が明け、永遠に続く土曜日の夜が終わってしまう瞬間。全ての音楽が終わってしまうその瞬間。 そういえば、もうそろそろフジロックの出演者が決まる頃だ。今まではそのときの高揚感がたまらなかった。その出演者が苗場のあの空気の中で演奏している風景を想像するだけで何もかもがよかった。でも今となっては何の感情もわかない。チケットは買ってなかった。何もかもが終わってしまったことだったから関係がなかった。 約4日間の素晴らしいパーティー。それがあれば何とかやっていける。僕はなぜそんなことを信じられたのだろう。僕の心変わりのせい?それは年月が流れると起こる必然的なこと? 僕にとって今まで「帰るべき」所だった苗場。でも今の僕が帰るべき場所は何も残っていない空虚な部屋で、そこには音楽も楽しい雰囲気もなく、ただ独りぼっちのくすぶった空気しかない。 僕はなぜ席を立ったのだろう。僕はなぜパーティー会場を出たのだろう。それはかつてなら信じ切れた場所だったはずなのに。 パーティーを台無しにしたくないから 僕は行くよ がっかりしているのを見せるのは嫌なんだ 僕の居場所もないし もうそろそろ行ってしまおう もし彼女が来たら もう出たって伝えてよ ちょっとだけ飲んだし 構わないんだ 彼女がいないのに こうしているのはつまらないだろう どうしたっていうんだろう こんなに待っているのに 彼女を探しに ちょっと 歩いてみるよ 彼女が本当に来ると思っていたの。誰かが待っていると思っていたの。そこで流れる音楽を本気で信じてしまったの。音楽で世界が変えられると思ったの。マジックが起きると信じていたの。今まで裏切られてきた素敵な何かが起きると思っていたの。 本当のことをいうと僕はすべてを信じていなかった。あえていえば信じているふりをしただけだ。そうすれば少しは楽しいから。 だけどそのうち本気になってしまった。あまりに日常がつらすぎたから。あまりに日常で手にしてきたものが実りのないものになってしまったから。 それは全てフェスティバルが悪いのではなく、僕が日常を充実させるための何かをしなかったために起きてしまったことだ。 それに気づかされてしまったからパーティー会場を抜け出した。 別に「愛、平和、協調、理想」が悪いわけではない。それを日常で実践できなかった自分に気づいたから、パーティーを抜け出した。 もうあてのない彷徨で自分をごまかすのはやめにしたほうがいい。たとえそれまでの自分が過ちだったとしても、それを悔いても仕方がない。もう過去は変えられないのだから。 そしてパーティーはそのまま続いた方がいい。それで幸せになれる人が確実に存在するのであれば、それは永遠に続いてもいいはずだ。たとえ僕がそこにいられなくなったとしても。 僕は頭痛と吐き気でふらふらしながら、そのゴミ捨て場から立ち上がった。そろそろ夜明けから朝に変わる時間だ。 「愛、平和、協調、理想」 それが自分の人生の中で実現できるかどうかはわからない。 だけど自分の過ちで世界を呪っているくらいなら たとえそれが誰にも否定のできないきれいごとだとしても 信じてみる価値はあるもかもしれない。 「愛、平和、協調、理想」 もう帰るべき場所ではなくなった苗場の美しい夜明けを思い出しながら 僕はそのゴミ捨て場から歩き始めた。 【新品CD】 ザ・ビートルズ「ビートルズ・フォー・セール」 5月の日記、「あなたが何を得たのか」の続きとして考えられた創作です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.11 13:55:16
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