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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2019.07.25
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カテゴリ:音楽あれこれ
ゼロ年代を代表するバンドとして銀杏BOYZというバンドがいる。感性がかなり古くなって、その年代に出現したバンドを全くというほど理解できなかった僕でも、銀杏BOYZについては感情移入をできるバンドだった。
彼らはデビューアルバムを2枚同時リリースし、その後はシングルの発表はあったが、長い間沈黙してしまった。
その沈黙後にリリースされた「光のなかに立っていてね」と「BEACH」というアルバムは銀杏BOYZファンの間でも論議された問題作となった。
デビュー時のパンクロックを想起させるストレートで性急でプリミティブな音楽から、マイブラッディバレンタインを想起させる音楽へ。その変化が大きな議論の対象となったのだ。
このアルバムがリリースされた直後の僕のこの作品への評価は「否」だった。デビュー作を初めて聞いて銀杏BOYZのファンになった人々を拒絶する感じ。あるいは峯田自身の心の闇をそのまま音にしたような自閉的で閉じたような感じ。そうした感じを僕はこの作品から感じた。そのような作品を峯田自身の変化として誠実に発表したこと、そしてこの作品にも感じる峯田の情念の強さ。そうしたことは評価できるけど、それまでのファンを拒絶するというか、その変化がファンに対して開かれていない。そのような理由から僕は「光のなかに立っていてね」というアルバムに対して「否」という評価を与えた。
しかしあれから5年くらいの月日が経って、本当に「光のなかに立っていてね」というアルバムがそれまでの銀杏BOYZファンに対して説明不足なのか疑問に思うようになった。このアルバムは驚くべき変化でも「問題作」でもなく、それこそデビューアルバムが発表された時点で予測可能なアルバムだったのではないか。もっと言うとデビュー作のあの荒々しいパンクサウンドの中に、すでに「光のなかに立っていてね」が内包されていたのではないか。そう感じるようになったのだ
だとしたら僕が「光のなかに立っていてね」というアルバムに対して「否」という評価を与えた時点で僕自身が銀杏BOYZを誤解していたということになる。
僕は銀杏BOYZに対して何を誤解していたのだろうか。

銀杏BOYZというバンドを「セカイ系」と位置付けてその内在的批評を試みた文章として横山宏介氏の「空気がノイズで澱んだあとでー世界の終わりについて」という文章がある。

空気がノイズで澱んだあとで

この文章は多分銀杏BOYZ現役世代であった著者による優れた銀杏BOYZ批評であると僕は思う。
ただ僕にはそうした切り口で銀杏BOYZについて論じることはできないし、技量もないため、自分がどのように銀杏BOYZを曲解していたかという観点から出発する。

銀杏BOYZを初めて聞いたとき、僕はブルーハーツというバンドを想起した。僕が初めて銀杏BOYZというバンドを知ったのは「DOORS」と「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」というデビュー作だった。その音楽や歌詞や佇まいから僕は銀杏BOYZに初期のブルーハーツを見出していた。
今でこそブルーハーツというと「伝説の偉大なバンド」扱いされているけれど、デビューアルバムが発表された直後は違った。日本のロックの堕落の一典型としてブルーハーツをあげる人々は多かったし、ブルーハーツアンチも多かった。それはなぜなのか。
それはブルーハーツの音楽や歌詞と、それから必然的に生じたブルーハーツとファンとの関係性に大きな理由があると僕は思っている。

初期のブルーハーツはどのようなバンドだったか。
簡潔に言うと「僕や私を代弁してくれる唯一のバンド」「僕や私だけが彼らのことを理解できるそのようなバンド」であり、「ブルーハーツは他のバンドとは違う特別な関係で僕や私と結びついているそんなバンド」だから「ブルーハーツは僕たち私たちだけのバンド」である。
だからブルーハーツを理解できない人々にとって、そうした思いに包まれたブルーハーツとファンとの関係は非常に不健全で一種のカルトのような気持ちの悪いものであったし、「人生系」と揶揄された「世間と自分との関係がうまく結べなくて悩んでいる僕」みたいな歌詞とブルーハーツファンのあり方は嘲笑の対象でもあった。だからこそ逆にブルーハーツファンはブルーハーツに対する自分の特別な思いを強くしていった。それが初期のブルーハーツの特長でもあった。

そして銀杏BOYZであるけれど、今述べた性質をそっくりそのまま引き継いだバンドである。僕はそういうふうに感じた。
僕も思いっきり素敵な恋愛をしたいけどできない。僕はあまりイケてないけどそれがどうした。彼女と一緒になるためならどんな困難があっても乗り切ってゴールインしたい。
そうしたことを歪んだギターノイズで、青春期独特の思い込みとパワーをそのパンクサウンドに乗せた銀杏BOYZの音楽。ひねりやギミックなしに自分の情念をそのまま音楽に反映させた直情的なサウンド。それは初期のブルーハーツとよく似ている。
そして銀杏BOYZに対するアンチの多さとそのファンのあり方に対する批判も初期のブルーハーツとよく似ていた。
だから僕は銀杏BOYZをゼロ年代のブルーハーツとしてみていたのである。

そうした僕の見方がどう思い違いだったのか。それは初期のブルーハーツと銀杏BOYZの違いを追っていけばよくわかる。だからまずブルーハーツについて書いていきたい。
ブルーハーツを今聞くと、意外なことだけれども社会に対する歌が多いのに気づかされる。
ドロップアウトしてしまった自分、あるいは社会にうまくなじめない自分と社会に対する距離感や違和感や疎外感。そしてその先にある社会に対する異議申し立てや宣言にも思えるような歌。そしてそれはいわゆるラブソングにも反映されている。
例えば「No No No」という曲ではこのように歌われる。

どこかの爆弾より 目の前のあなたの方が
震えるほど 大事件さ 僕にとっては
原子爆弾 撃ちこまれても これにはかなわない

恋愛という個人的な事柄の方が例えば北朝鮮の弾道ミサイルよりも重要な大事件だと歌われるこの曲は、社会や世界のことよりも恋愛の方が大きいことである、恋愛の方が原子爆弾の投下という破滅的事態よりも大きなことだという恋愛絶頂期の思い込みにも似た感覚が歌われている。
しかしこの歌には実は前段にあたる歌詞があって、そちらの方がどちらかというとインパクトが強く、また人々の目を引く

どこかで誰かが泣いて 涙がたくさん出た
政治家にも 変えられない 僕たちの世代
戦闘機が買えるくらいの はした金ならいらない

「政治家」とか「はした金」といったキーワードを使った「僕たちの世代」の宣言。それは自分を取り巻く社会に対する何らかのアクションであると聞き手に思わせざるを得ない。
恋愛の絶頂期の感覚を歌う前になぜこうした宣言をしなければならなかったのか。それはブルーハーツがその当時の時代状況から逃れられなかったことを示している。
ブルーハーツファンの中心的な年代である15歳から19歳までのハイティーンたち。その多くは中学生や高校生だった。その頃の中高生が直面していたのは管理教育であり、いじめであり、理不尽な校則や、学歴社会の出口のなさだった。
いじめにしろ、理不尽な校則にしろ、学歴社会という問題にしろ、それを考えるとどうしても「社会」と対峙せざるを得ない。それらはすべて人間が作った制度だからだ。
そうした制度が自分を圧迫し、自分を社会の一部分として矮小化しようとしている。
それに対する宣言として「戦闘機が買えるくらいのはした金ならいらない」というマニフェストと共に「目の前のあなたの方が震えるほど大事件さ」という言葉が必要だった。社会にとって僕とあなたの問題は小さなことだけれども、僕にとっては社会なんかよりもあなたのことの方が重要な大事件である。
ブルーハーツのラブソングを聞くと「あなたと私との関係性」や「社会の中でのあなたと僕との関係性」に言及した曲が多いことに気づかされる。だから失恋を歌う場合も、僕と私の関係性に問題があったのではないかとか、演歌的な表現を使うと「世知辛い世間に負けた」的な表現も少なくない。それはつまり恋愛の破綻を歌う場合、誰でもわかるような形で反省的にその恋愛を語ることができるという強みを持っている。特に真島昌利の作る曲にその傾向は顕著である。

一方の銀杏BOYZはどうだろうか。銀杏BOYZのデビューアルバムのタイトルは「DOORS」ともう一方のアルバムは「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」である。そのタイトルが銀杏BOYZの性格を物語っている。つまり、君と僕の恋愛は第三次世界大戦という世界の破滅的事態と同じくらい重要なことである。
銀杏BOYZの代表曲というか、非常に有名な曲に「援助交際」という曲がある。
この曲は自分が恋している(多分片思いである)女性が、援助交際をしていて切なくてたまらないという恋心を歌っている。
その歌詞を見てみるとある特徴的な感覚が描かれている。
「あの娘を愛すために 僕は生まれてきたの」
「あの娘のメールアドレスをゲットするため 僕は生まれてきたの」
「だけど悲しい噂を聞いた あの娘が淫乱だなんて嘘さ 僕の愛がどうか届きますように
 ああ 世界が滅びてしまう」
自分が生まれてきた理由が「あの娘を愛する」ためである。そしてこの愛が叶わないと「世界が滅びてしまう」。それは非常に大げさな表現だ。まるでこの恋愛が叶うか叶わないか、そうしたことが世界の運命を左右してしまう大事件である。
また「あいどんわなだい」という曲でも「純情可憐な君の正体は魔法使い」といった歌詞がある。
自分たちの恋愛が世界の運命を左右してしまう大事件であるという感覚、あるいは表現。それはゼロ年代の初めに登場したある種の漫画や小説のジャンルに登場した感性である。それは「セカイ系」と呼ばれる感性である。
セカイ系とは、自分たちの恋愛の成功が世界を救ったり、逆に自分たちの恋愛の失敗が世界の破滅につながったりという形で、僕とあなたの関係性が世界の運命に直結してしまうというストーリーを特徴にした世界観あるいは感性をいう。
セカイ系の代表的作品として「最終兵器彼女」がよくあげられるが(僕は映画しか見ていない)、その作品が連載、発表されたのは2000年ごろから。銀杏BOYZのデビューアルバムが発表されたのは2005年ごろだから、時系列を見ても銀杏BOYZは「セカイ系バンド」だったという説の妥当性を裏付ける。
アンチ「セカイ系」の人々がよく口にするのは、「セカイ系」は自分たちと世界の運命が直結してしまっていてその中間項の「社会」が存在しないということである。
「セカイ系バンド」としての銀杏BOYZはまさにそのことが自らの行く末を左右してしまった。
「セカイ系」は現実ではありえない設定である。
自らの恋愛が世界の運命を左右すると妄想するのは勝手だけれども、実際の世界ではそのようなことはない。恋愛が叶ったとしてもこの世界は相変わらずこのままだし、恋愛がうまくいかなくてもこの世界は何一つ変わらない。恋愛の結果とは無関係に、リンゴは上から下へ落ち続けるだろうし、水は高いところから低いところへ流れ続ける。
「恋愛」も人間が行う一つの行為だから「社会」から切り離して成り立つことができない。僕とあなたとの関係は社会の網目の一番基本的な結びつきでもある。二人の関係がどのようなものであるか。「二人」という最小のユニットであるからこそそれは社会の網目の基本として無視できない関係である。
結果として「セカイ系」は「社会」に負ける運命にある。マンガや小説ならレトリックを使って「セカイ系」を正当化することができるかもしれない。
でも残念なことに「セカイ系バンド」である銀杏BOYZにはそうしたレトリックに頼ることができなかった。それは彼らの音楽の魅力が、直情的に自分の感情をギミックなしに荒々しく演奏することにあったからでもある。
世界に負けてしまったという事実に直面して、彼らは何を表現すればいいのだろうか。それは絶望感と虚無感、そして「僕らは世界を変えることはできない」という自己認識である。
「僕らは世界を変えることはできない」は銀杏BOYZの初期にすでに発表されていた曲名でもある。実は彼らは初めから自分たちの表現が破綻することを予感していたのかもしれない。そしてその必然として「光のなかに立っていてね」というアルバムがある。
だから僕が「光のなかに立っていてね」というアルバムに「否」という評価を与えたのは銀杏BOYZを理解していなかった証拠でもある。単に佇まいがブルーハーツに似ているからということでは銀杏BOYZの本質に迫ることができない。逆に銀杏BOYZというバンドを誤った目で見てしまう。

それではこれからの銀杏BOYZはどこへ行くのだろうか。「セカイ系バンド」としての方向性がある種の絶望につながった後、彼ら(あるいは峯田)は何を歌えばいいのだろうか。
それは自分の恋愛の小ささを自覚しながら、それでもそれは「震えるほど 大事件さ」と歌うことではないだろうか。あるいは僕が想像できる方向性はそれ以外にない。「エンジェルベイビー」という曲ではそうした方向性が垣間見られる気がしている。

銀杏BOYZ初期の「僕たちだけのバンド銀杏BOYZ」というファンへの受け入れられ方はブルーハーツに似ている。それは誤った見方ではないだろう。しかしブルーハーツの前には「社会」という壁が存在していたのに対して、銀杏BOYZの前には「社会」は存在しなかった。その違いは多分歴史的理由があると考えられるし、また日本のロックの歴史的発展や他のサブカルチャーとの関係も深くかかわりあうのだろう。
でもそうした大きなテーマはここでは論じられないし、そうした力量は僕にはない。
第三、第四のブルーハーツが現れたとき、それはどのように若者たちを鼓舞するのだろうか。それは時代の流れと無関係ではないはずだ。

参照
横山宏介 「空気がノイズで澱んだあとでー世界の終わりについて」
空気がノイズで澱んだあとで
セカイ系の定義について  ウィキペディア


ザ・ブルーハーツ/THE BLUE HEARTS 【CD】


銀杏BOYZ/君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命 【CD】





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Last updated  2019.07.25 10:10:32
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