テーマ:今日聴いた音楽(73733)
カテゴリ:音楽あれこれ
1991年。マッドチェスターの熱がまだ冷めやらぬ頃、あるバンドがデビューした。そのバンドの名前はファイブ・サーティー。
デビューアルバムの「ベッド」というアルバムはロッキンオン誌でピックアップアーティストとして合評の対象となり、僕のような熱烈なロッキンオン読者を中心にして非常に注目されたバンドだった。 five thirty abstain ファイブ・サーティーというバンドを一言で説明すると「青春系」のバンドと言えるのではないか。例えば初期のザ・ジャムだとか、「ハイランド ハードレイン」の頃のアズテック・カメラだとか、日本だと初期のブルーハーツだとか。10代後半から20代初期までの「若さ」ゆえの希望だとか悩みだとか生き急ぐ意思であるとかを秀逸に表現したアーティストたち。 誰でもその時期になると「自己」に目覚め、自分が何であるかとか自分のあるべき姿がどうであるとか、自分のアイデンティティーに関することで悩んだり希望を感じたり、時には絶望的な気分になったりする。その時期は非常に不安定な時期でもあり、また「なぜそこまで」と思ってしまうほど潔癖であったりする。そうした時期の真っただ中にあって、しかもその時期の心象風景を非常に鋭く描き出すことができる秀逸なアーティストたち。ジャンルは様々だけれども、そうした性質を持ったアーティストたちを僕は便宜的に「青春系」のアーティストと括っている。 ビートルズもザ・フーもスモールフェイセスも「青春系」ではないか。というかロックバンドで「青春系」でないバンドはあるのかといった指摘を受けるかもしれないし、それはその通りだとしか答えることができないが、ファイブ・サーティーというバンドを考えるとき「青春系」というカテゴリーは説明の補助線になりうる。 five thirty strange kind of urgency strange kind of urgencyという曲はファイブ・サーティーというバンドを特徴的に示した曲だ。 「僕はこの切迫した妙な感じが好きだ。この感じのために殉じたい気にすらなる。この若さゆえの非常事態。僕は明日が欲しい。今日この日に明日が欲しい。明日が。」非常に大雑把に要約するとそのようなことが歌われている。「切迫した妙な感じ」誰もが思春期にはそんな気持ちに囚われる。今現在は何者でもない僕。思春期に目覚めた「自我」は僕をそのままの状態であることを許さない。僕は今よりもより良い自分へ、そして自分が理想に思う何かに近づかなければならない。可能性としての未来は自分の目の前に広がっているが、その時間を漫然と過ごしていたら自分が軽蔑する「つまらない大人」に堕落してしまうように思える。だから急がなければならない。自分が走れる速さよりももう少し速いスピードで生きなければならない。生き急ぐ「僕」には明日が来るまでの時間の流れすらももどかしく、そして遅く感じる。そうやって毎日を焦燥しながら燃えていくような速い生を僕は望んでいる。 「生き急ぐ」私。だからこそ感じる焦りに似た切迫感。そうしたことをテーマにした曲は、例えばザ・フーのMy Generationやザ・ジャムのAway From The NumbersやアズテックカメラのWalk Out To Winterなど枚挙にいとまがないが、ファイブ・サーティーのstrange kind of urgencyという曲もそうしたタイプの曲である。 five thirty supernova ファイブ・サーティーはそうした思春期に特有な「切迫した妙な感じ」をテーマに歌を作っていたが、同時にそうした熱情の季節が永遠に続くものではないことに気づいていた。 確かに今は「切迫した妙な感じ」をリアルに感じ、そして燃やし尽くすようなスピードで毎日を生きている。だけど彼らが見てきた大人たちは日々の生活に追われているうちに疲れ、そして最後には理想も「切迫した妙な感じ」も捨てて、つまらない大人へと堕落していってしまう。 「君はスーパーノヴァ」君は超新星だと歌うこの曲は、今現在まばゆいほど光を放っている眩しい「君」 や「僕」を歌っている。だけどそうした光輝く僕や君もそのうち消え去ってしまうに違いない。そんな不安も歌われている。 彼らは「青春」がいつかは終わる夏の日々のようなものでしかないことに自覚的だ。今は当たり前のように光り輝く存在であっても、そのうち光を失い消えていく。そんな儚い存在であることを知っている。 five thirty catcher in the rye 「僕はライ麦畑のキャッチャー」と歌われるこの曲。それは彼らの意思表明であると僕は思った。思春期の「切迫した妙な感じ」や生き急ぐその在り方に自分は殉じていくのだという意思表明。僕はそのように解釈した。 catcher in the ryeという題名はJDサリンジャーの名作「ライ麦畑でつかまえて」から取られている。この作品は色々な意味で青春の代名詞にもなっている。それを曲のタイトルにしたこと。それは多分彼らのある意思を表明したものであると。 青春に殉じ、生き急ぐようなバンド、ファイブ・サーティー。当時20歳前後だった僕はこのアルバムを何度も何度も繰り返し聴いた。このバンドの音楽も歌詞も好きだった。 だけど一つだけ気になることがあった。彼らが結局一枚のアルバムを出した後に解散したのもそれが理由だったのかもしれない。 その解散の前に彼らは一度だけ来日公演を果たしている。その来日公演も僕はもちろん行った。 ロッキンオンに注目された期待のバンド、ファイブ・サーティーということだけあって、そのステージは非常に熱狂的に迎えられた。 客席も盛り上がっていたし、公演は成功したと言っていいと思う。 だけどライブを見てファイブ・サーティーというバンドの問題点がよく見えてきた。僕はそんな感じを持った。 それはファイブ・サーティーというバンドに「過剰さ」がないということだ。 例えば「モータウン・ジャンク」を発表した当時のマニックストリートプリーチャーズ。そのバンドのフロントマンのリッチーは雑誌のインタビュー中にカミソリで「4 REAL」とリストカットして大けがをするような過剰な思いを持ってバンドを始めた。あるいはニルヴァーナのカート・コバーン。彼の叫ぶような「うた」を聴くと何か異常なまでのエモーションに満ちていて、心がザワザワする。 それに比べるとファイブ・サーティーにはそうした「過剰さ」がない。演奏もうまいし曲もいいし、何でも器用にこなすことができる。だけど「器用にこなす」だけでそれ以上の何かが感じられない。歴史に名を残したザ・ジャムやザ・フーは「過剰」な感じがその音楽の質量を重厚なものにしていた。それに比べるとファイブ・サーティーにはそうした重厚さあるいは重さに欠ける。 解散に至る経緯は知らないのだけれど、来日してしばらくしてファイブ・サーティーは解散してしまった。 そして僕自身もファイブ・サーティーの音楽をそのうち聴かなくなってしまった。 ただ唯一iPodにも入れて時々聞いていた曲がある。それが13th discipleという曲だ。 five thirty 13th disciple マッドチェスターの風が吹いていた頃を思い起こさせるホワイトファンクナンバー。ストーンローゼズのfools goldやジェイムスブラウンといった人々の影響を感じさせる名曲。 その頃発表されたマッドチェスター系の曲と比較しても、この曲は名曲の一つに入れていいものだと僕は思う。 いつしか忘れてしまったファイブ・サーティーというバンドだけれども、偶然この前、中古CD屋で2010年のExpanded盤の「ベッド」というアルバムを見つけた。そしてそのアルバムを改めて聞いて思い出した。ファイブ・サーティーというバンドに20歳前後の僕が何を託して聴いていたかを。 * * * ファイブ・サーティーの1991年発売の「ベッド」の日本盤には当時ロッキンオンのライターだった川崎和哉氏のライナーノーツがついている。 このライナーはファイブ・サーティーというバンドがどういうバンドであるかをよくわかるように、そして文学的に説明した名文であると僕は思う。 そのライナーの最後は、このバンドの生き急ぐ感じのスピード感を共有できなくなったとき僕らは大切な何かを失くしてしまうのだという川崎氏の感想で締めくくられている。 当時20歳のぼくも同じようなことを思った。 実際僕はファイブ・サーティーというバンドを忘れてしまったし、「ベッド」というアルバムを25~6歳から48歳までしなくなっていた。それはファイブ・サーティーというバンドのスピードが僕に合わなくなった。そういう理由があるのかもしれない。 だけど自覚的にファイブ・サーティーのスピードを拒絶できるとき、僕は大切な何かを失うと同時に同じくらい大切な何かを得ていたのだと思う。 「ライ麦畑でつかまえて」のように、思春期特有の潔癖さでいつまでも世の中を断罪したところで何にもならない。そうした潔癖さをいつまでも信じて大人になってしまうと、最期にはジョン・レノンを射殺した犯人のような気持ちの悪い大人になってしまうのかもしれない。 だからこそ僕はそうした「青春」を否定しなければならない。そしてそれに見合うだけの何かを僕は得なければならない。 そう言ってファイブ・サーティーを否定し続けているとき、僕はまだ何かのために生きようとしている。 しかし日々の生活と加齢は僕を確実に疲弊させ、そのうちそうした否定の意思自体も忘れさせてしまう。そのうちこう思うようになる。20歳の頃は若かった。ただそれだけで素晴らしいことだったと。 そのときファイブ・サーティーは別の顔をして現れる。日々の焦燥感を叩きつけるようなヒリヒリした音楽ではなく、単なるノスタルジーとして。 ノスタルジーのフィルターにかけられたファイブ・サーティーの音楽はまるで20代を懐かしむムードミュージックのようなものだ。 そのときになって僕は新たに思う。本当に「大切なものを失う」のは、生き急ぐスピードすらも懐かしいと感じさせてしまうくらいまでに老いた、自分の感性の老化を目にする時だと。 結局ファイブ・サーティーの音楽は僕にとって2度死んだバンドの音楽になってしまった。 では3度目にファイブ・サーティーの音楽が死ぬとき、僕の目の前にはどんな風景が待っているのだろうか。あるいはファイブ・サーティーの音楽はもう2度と死ぬことはなく、ノスタルジアの博物館に陳列されて終わってしまうのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.14 16:22:52
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