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ken tsurezure

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trainspotting freak

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2020.01.28
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カテゴリ:音楽あれこれ
90年代、特に1994年以降の日本を言い表すのに最適だと僕は思っているのだけれども、「90年代は社会学と心理学の時代だった」。そんなことが言えると思う。
オウム真理教事件の勃発が最も先鋭化された時代の象徴であると思うけれども、90年代に入ってしばらくしてから社会の不透明さが鮮明に意識されるようになった。オウム真理教事件と酒鬼薔薇聖斗事件という二つの事件90年代を象徴する事件だと思うが、それに即してみると社会がその事件に対してどのような処方箋を求めたか。それによって90年代に何が求められたのかがわかると思う。
オウム真理教事件のとき、繰り返し疑問として言われたことは、この平和で豊かな日本社会でどうしてオウム真理教のような集団が現れたのか、なぜオウム真理教はサリンによる毒ガステロを起こしたのか、そのようなオウム真理教に一流大出身のエリートが集まったのか。そうしてことである。そのような問いに対して語るべき言葉を持っていたのが社会学だった。そうした背景のもとで、例えば宮台真司氏のような大スターが90年代を闊歩し、活躍した。
そして酒鬼薔薇聖斗事件でよく多発された言葉が「心の闇」というフレーズである。そのような言葉に対して求められた処方箋を期待されたのが、心理学だった。
社会の不透明さが増す中でその社会を見通すマップを提示することを求められた社会学、そしてその不透明な社会でとりあえず適応して自分が大きなけがを負わないやり方を求められた心理学。その二つは90年代のサブカルチャーと呼ばれる分野にも大きな影響を与えている。
その90年代を代表するミュージシャンとして、小室哲哉と小沢健二をあげることができる。そう言っても過言ではないだろう。
90年代に行った小沢健二の最大の仕事は「LIFE」というアルバムを制作したことだと僕は思う。恋愛の絶頂期をフィーリーソウルの形式を借りて、ハイテンションなラブソングという形で表現した名曲集。「LIFE]。それは例えば僕のような暗いタイプのサブカル少年の心の中にも深く突き刺さった。それは軽薄で単に感動の押し売りとしか思えない凡百なラブソングとは違っていた。
そこらへんに転がっている凡百なラブソングと小沢健二のラブソングの違いは何だったのか。それは小沢健二が、そのラブソングに対して明示的にまたは暗示的にあるメッセージを託していたことにある。今思うとそんな気がする。
「ドアをノックするのは誰だ」は「ボーイズライフ Part 1」の副題がつけられ、「戦場のボーイズライフ」は「ボーイズライフ Part 2」の副題がつけられている。だからこの曲は連曲であると考えてもいい。
「ドアノック」の方はボーイミーツガールのストーリーをドラマチックに表現した「LIFE」を象徴するような名曲である。
一方の「戦場のボーイズライフ」は「この愛はメッセージ 祈り 光 続きをもっと聞かせて」というフレーズが印象的なある種のメッセージソングだ。
戦場のボーイズライフの「戦場」は、岡崎京子氏の名作「リバーズエッジ」で印象的に引用された「The Beloved」という詩の「平坦な戦場」に対応していると思う。つまり「ボーイズライフ Part 1と Part 2」の連曲で、平坦な戦場を生き延びるために必要なことを小沢健二なりに回答したものではないのだろうか。
平坦な戦場で僕らが生き延びること。そのために必要なことは結局「愛」なのではないか。男女でも同性でも一対一の恋愛は社会的単位の基本的な結びつきである。それが充実し、お互いが愛し愛されて生きていければ、少々の社会変動などは何とかやり過ごしていけるのではないか。結局のところ愛こそが全てである。それが小沢健二の回答だった。そう思う。
でもそのようなことは使い捨ての産業ポップでも嫌というほど聞かされる。それに対抗して「愛こそはすべて」を聞き手に届かせるためには、あのハイテンションで向かうところ敵なしといった恋愛絶頂期のラブソングでなければならなかった。
そしてある時期まで小沢健二はその路線で時代を一気に駆け抜けていった。
しかし小沢健二は突然ミュージシャンとしては沈黙してしまう。それは本当に長い長い沈黙だった。

2017年の3月。小沢健二は突然「流動体について」というシングルを発表する。ミュージシャン小沢健二の帰還である。
そして2019年の11月に本当に待望されていたニューアルバムが遂にリリースされる。「So Kakkoii 宇宙」と題されたアルバムだ。
このアルバムをCDラジカセに入れて一回目に聴いたときの感想はこんな感じだった。「流動体について」で帰還してから今までをドキュメントにしたようなアルバムだということ。これまでの小沢健二の音楽キャリアを網羅しているようなアルバムだということ。2019年の小沢健二を率直に表現したかのようなアルバムだということ。そして、例えば「LIFE」に比べるとずいぶん地味なアルバムだということ。一番気になったのは「地味」なアルバムだということだった。
その後もこのアルバムを何度か繰り返し聞き続けた。そして気が付かされたのは、この「So Kakkoii 宇宙」というアルバムが聞き手に対して「語りかけ」を行っているアルバムだということだ。
90年代に「LIFE」や「球体の奏でる音楽」といったアルバムをまさにリアルタイムで聞いていたその頃の若者に対して、2019年の「今」はどんな感じだい?そのような語りかけ。90年代に10代20代だった小沢健二のファンも今は40代だ。そんな40代になったかつてのファンたちに対して特に焦点を絞ったアルバム。
そのような性格のこのアルバムを僕はなぜ「地味」と感じたのか。小沢健二ならそうした語りかけのアルバムをもっと派手に脚色することができたはずだ。あるいは90年代の頃の小沢健二ならそうしたことは可能だった。
だとしたらこのアルバムは失敗作なのか。あるいは小沢健二の才能の枯渇を意味しているのか。

「LIFE」というアルバムは小沢健二が自分のメッセージを伝えるためにあえてハイテンションで多幸感にみちたアルバムにした。
それに対応していうならば「So Kakkoii 宇宙」というアルバムは別のことを伝えるためにあえて、あるいは必然的に、「地味」なアルバムになってしまった。
それならば「So Kakkoii 宇宙」は何を伝えようとしているのか。それは「平坦な戦場で僕らが生き残ったということ」だった。
90年代の若者たちが直面していた「平坦な戦場」。それを「生き延びる」ためにどうすればいいか。小沢健二だけではなく90年代に活躍していたアーティストたちの関心はそこにあった。そこから享楽的に逃避するにしろ、逆に正面から直面するにしろ、90年代を生きた若者たちが対峙していたのはその不透明で把握しづらいけど、確かに存在していた生き辛さのようなものだ。
90年代にそれを全て総括し、清算して克服できれば幸運だった。しかし2000年代に入り、その「生き辛さ」は増大していき、30歳代の死亡理由の一位は自殺であるという不幸な時代が深刻化していき、混迷の度を増していく。そして2010年代もそれは解決できなかった。というより、このままだと社会全体が持続不可能ではないかという危機感を多くの人が潜在的に感じている。
「平坦な戦場」をめぐる20数年はそのように進んでいった。
そんな僕らが歩んだ20数年間を小沢健二なりに総括した曲が「彗星」という曲だ。
小沢健二は90年代、2000年代の「平坦な戦場」を振り返りその中を「全力疾走してきたよね」と歌う。そして今ここにあるこの暮らしが「奇跡」であり「宇宙」であると歌う。

今ここにある
この暮らしでは 全てが起こる
儚い永遠をゆく 波打ち砕ける

真っ暗闇を撃つ 太陽みたいに
とても冴えた気持ち グラス高くかかげ
思いっきり祝いたいよね 
        「彗星」より

そのように歌うこの曲は2020年に40代後半に差し掛かった僕らを祝福する、そのような歌だ。
「LIFE」というアルバムも「So Kakkoii 宇宙」というアルバムもリアルタイムで出会えた。それだけでも奇跡なのだと。
しかしこのアルバムはそれ以上のことはあえて触れていない。2020年代以降にますます激化すると思わるいわば「平坦な戦場3.0」とでも言うべきこの先について。
それに対抗するにはやはり「愛こそはすべて」なのかもしれない。あるいは小沢健二にはそれ以外のビジョンが見えているのかもしれない。
彼が「平坦な戦場3.0」にどうかかわっていくか。それについてはわからない。しかしその前に見なければいけないことがある。それは僕らの現在の生活(LIFE)がどのようなものであるのかを。それをしなければスタート地点にすら立てない。
その「スタート地点」に立つことを主眼にしたアルバム。それが「So Kakkoii 宇宙」というアルバムだったのではないか。
スタート地点に立つためにあえて、あるいは必然的に、小沢健二はかつての90年代の頃の修辞法を捨てざるを得なかった。それが「So Kakkoii 宇宙」というアルバムなのではないか。そうするとこのアルバムが「地味」であると感じたわけがわかる。
アメリカから羽田沖に到着する旅客機の中の風景から、自分がなぜ活動を再開しなければならないかを歌った「流動体について」。
すでに子持ちの40代後半の家庭人として大人になった自分を歌う「フクロウの声が聞こえる」
小沢健二にとっても、90年代の時代にとっても巨大な存在であった岡崎京子との出会いと今も変わらぬ友情とリスペクトを歌った「アルペジオ」。
それは言うなれば「平坦な戦場で僕らが生き残ったこと」を私小説のように表現したものだ。

そしてスタート地点に立ち、これからどこかへ行こうとする小沢健二に僕が期待することはこんなことだ。40代~50代前半に差し掛かった90年代の元若者だった小沢健二のファンたちが「平坦な戦場3.0」を生きるために何をするか。その答えがどのようなものであれ、あるいは答えなどないにしても、それを主題にして「ラブリー」や「ある光」を更新できるほどの力強い曲を作ることができるか。
それを今の小沢健二に期待している。


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Last updated  2020.01.28 15:14:07
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trainspotting freak@ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

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