278087 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ken tsurezure

ken tsurezure

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

trainspotting freak

trainspotting freak

Freepage List

2023.02.12
XML
カテゴリ:創作
上野駅でも東京駅でも品川駅でも、どのターミナル駅でもいいのだけれども、停車中のグリーン車の中で大きな音を立てて座席を回転させている数人の男たちを目撃することがあると思う。これは座席の方向転換、僕らは方転と略して呼んでいるのだけれども、その作業をしている集団だ。
座席の方転とはどういう作業か。それはこんな作業だ。例えば東海道線でいうと熱海発で東京止まり電車がそのまま折り返してまた熱海に向かうとする。するとグリーン車は東京駅に着くときは進行方向の東京駅側を向いている。だから何もしないでそのままその電車が熱海に向かうと、グリーン車は進行方向の逆を向いて走っていくことになる。そのためグリーン車の座席を進行方向の熱海側に向かせようとすると、最終駅の東京駅で座席の向きを逆にして熱海側に向かせなければならない。その作業を方転という。
僕のやっている仕事はその方転作業を行うことだ。
僕の職場は東京駅地下の総武快速線・横須賀線のホーム。そこで東京駅止まりの総武快速線や横須賀線の方転作業をしている。
方転作業はきついと言えばきつい仕事だけど、慣れると意外と楽しい仕事だったりする。3分間しか停車しない折り返しの電車の方転を1分間くらいで終了させたりすると、不思議な達成感を感じたりする。
僕がこの部署に配属されたのは約1年前くらいのことだ。最初はおぼつかなかった方転作業も最近はだいぶ慣れてきて、だいぶテキパキとこなせるようになった。
僕は障害を抱えている。読み書きはそれなりにできるのだけれども、それを表現することがうまくできない。何かを話そうとすると体が硬直してしまって喋ることもままならないことがよくある。とっさに挨拶されたりすると恐怖とパニックで動きが固まってしまうことがある。パニック障害も持っていて、それに陥ると何もできなくなる。
見かけは健常者と変わりがない。だからこの障害のせいで時々誤解されたりする。
自分が伝えたいことを表現することがうまくできないせいで、色々嫌なことやつらいことも体験してきた。でも仕方がない。そのように生まれてきたのだからそれを生きていくしかない。
もちろんそのように思えるようになったのは、この会社にパートとして入社して2年ほど経ったくらいのことだ。
小学生の時は僕の持つ障害のせいでいらないいざこざや偏見に囲まれておどおど生きなければならなかった。中学から高校までは障がい者学校に通っていた。それでも周りとの誤解があったりして悲しい思いをしたことが何度かあった。
高校卒業のとき、僕のことを理解してくれる先生が進路指導を担当してくれて、今いる会社を紹介してくれた。
面接のときはあまり自己PRができなかったけれど、僕の真面目な態度を買ってくれた面接官が採用を決めてくれた。
僕が今いる会社はある大手鉄道会社の子会社で、駅業務の一部や清掃を請け負っていて、何人か僕のような障害を持つ人を必ず雇わなければならないのらしい。
僕はもともと鉄道が大好きだったので、今いる会社にパートとはいえ入社できたのはラッキーなことだった。
そして僕はまずゴミの分別処理の仕事を任され、その次は駅舎のゴミ回収や駅舎の清掃の仕事を任され、と少しずつ任される仕事が変わっていった。
学校にいるときよりもここの会社に入ってからの方が、僕にとっては幸せになった気がする。周りの職場の人々は僕の障害に理解があり、言葉に詰まっても、挨拶ができなかった時があっても笑って許してくれる。それに無視をしたり̪シカトをしたりしない。職場の人々は僕より2~3回り年を取った方々が大いにのだけれども、みんな大人で僕を職場の同僚として接してくれる。失敗すれば怒られるし怒鳴られたりもするけれど、それは嫌がらせではなく、同じ仕事をする相手としての忠告であるのが自分でも理解できる。
この会社に入って僕は初めて自分が周りから必要とされているという感じを得られた。それは学生時代には全く感じたことのない体験で、僕は少しずつだけど自分が生きていてもいいという感覚やちょっとした自信を得られるようになった。確かに給料はそこそこでしかなかったけど、僕はそんな感じを持たせてくれる機会を得られたことに感謝していた。
そんな僕が配置転換で、方転の仕事を任されることになった。
この方転の仕事を任されるに当たって、僕は晴れて契約社員に格上げされた。
それはとても嬉しいことだったし、契約社員になれたときは父親も母親も喜んでくれてお祝いのケーキを買ってきてくれた。
現在僕はここの会社に入社して7年。25歳になる。
基本的に僕の職場の仕事は、大半が泊りがけの24時間拘束仕事が中心となる。朝の4時から終電が終わってしばらく経つ2時ごろまで駅はほとんど眠ることを知らない。それに合わせてここでの職場の仕事は泊りがけの労働が中心となる。それを補佐する形で夜勤の仕事や日勤の仕事がある。
僕も泊りがけの仕事をしたいのだけれども、主治医の判断でそれはしない方がいいと言われている。
そのため僕は泊り仕事の補佐の日記の仕事を担当している。
方転の仕事を初めてしたときは大変だった。この仕事は基本的に急ぎの仕事なのだけれども素早く方転することがなかなかできなかった。
それに方転は机の破損事故と隣り合わせだし、油断して方転をしているとけがをしかねない。
そんなたどたどしい仕事をしている僕を周りの人は時には優しく、時には厳しく、辛抱強く仕事を教えてくれた。最初の頃は何が何だかわからない状態で仕事をしていたけれど、最近は多少余裕を持って仕事ができるようになった。それと同時に周りの様子も見えるようになってきた。

僕が彼女に気付いたのはそんな風に周りの景色を見られるようになってしばらくしてからのことだった。
横須賀線、午後8時50分発の横須賀駅行のグリーン車に彼女はいつも乗車していた。彼女はその電車のグリーン車に乗ることにしているようで、その電車がホームに到着する数分前にいつも現れた。その午後8時50分発の横須賀線は東京駅で折り返しの電車なので、方転をしなければならない。
だから彼女はいつも僕の目の前の一番先頭の列で必ず待っていた。
ショートヘアの彼女はいつもセンスのいい服を着ていて、マスク越しで見える彼女は聡明な感じのする女性だった。誰もが振り向くような美人というわけではないけれど、帰りのラッシュ時の横須賀線ホームでは輝いて見えて、とりわけ僕にはその姿が印象的に感じられた。
多分僕がこの部署に配属される前から彼女はその電車に乗っていたのだろう。僕が慌てふためきながら必死に仕事を覚えていた時にも彼女はそのホームにいたのだろう。でもそのときに彼女が僕を見ていたのか、それについてはわからない。電車が停まって方転作業の最中にお客さんが考えていること。それは早くグリーン車の座席に座りたい、それだけだからだ。その電車で誰が方転しているのか。そこでどのような作業をしているのか。そういうことにお客さんは無関心だ。彼女にしても同じことだろう。
だけど彼女がいつも午後8時50分発の横須賀線のグリーン車に乗ることだけは変わらなかった。彼女はいつもその電車が来るホームに現れ、列の先頭に並んで方転が終わるのを待っていた。
平日の午後8時30分ごろに僕は別の電車の方転を終えて横須賀線のホームに降り立つ。8時35分に彼女が待っている列の近くで仕事のスタンバイをする。そして8時40分ごろに電車が駅に着いて法典を開始し、2~3分後くらいに終わる。安全確認を行い、彼女に「どうぞ」とグリーン車の中に入ってもらう。
彼女と直接接触する機会はグリーン車に入ってもらうときに、「どうぞ」と声をかけるそのときだけだ。
僕が彼女の存在に気づいてからしばらく経つと、僕は彼女のことが気になるようになった。横須賀線の折り返しは座席が重かったり、降りてくるお客さんが酔っぱらったりしていて、はっきり言ってやりたくない作業のナンバーワンだった。
そんな憂鬱な作業も、彼女がその場所にいてくれる、ただそれだけでその作業が楽しみになるようになった。
僕は彼女のことを「横須賀の彼女」と命名した。そして横須賀の彼女と会えることが毎日の作業の楽しみになっていった。
彼女はどんな女性なのだろう。それについては謎だった。着ている服のセンスの良さからすると彼女は丸の内のブティックの店員さんなのかもしれない。あるいは丸の内の一流企業に勤めるOLなのかもしれない。そして多分横須賀駅に帰宅するためにいつもこの電車のグリーン車を利用しているのだろう。
彼女の午後1時の勤務時間中はどんな感じで過ごしているのだろうか。聡明そうなその顔つきからしてとても仕事がよくできるタイプなのだろうなと思った。
彼女はグリーン車の方転がおわるまでいつも本を読んでいた。時には携帯を見ていることもあった。僕が方転をしている最中は特に車内に関心を持つこともなく、僕が「どうぞ」と声をかけると軽く会釈をしてグリーン車に乗り込んでいった。
日が経つにつれて僕は彼女のことについて関心を持つようになった。
できれば彼女に一声かけて、例えば今日の天気のことだけだっていい。彼女と世間話の一つでもしてみたい。そんなことを思ったりもした。
だけどそれは許されることではなかった。僕は方転の仕事のためにこのホームに立っている。制服を着ている僕は会社の一員としてここにいる。ホームにいるお客さんは僕をこの駅のスタッフとして、そして親会社である鉄道会社の一員として僕を見ている。
そんな僕が自分勝手に横須賀の彼女に声をかける。そんなことをすればこの駅で働く多くのスタッフに迷惑をかけてしまう。それくらいのことは僕にもわかる。
彼女への気持ち。それは決して表に出して実現させることができないいわば禁断の気持ちでもあった。
だからこそ僕の気持ちはどんどん燃え上がっていった。それは多分「恋」と名付けられるくらいの思いだった。その気持ちは実現に向けて走り出すよう僕に迫った。
横須賀の彼女に自分の気持ちを告白したら、彼女はどんな顔をするだろうか。多分ストーカーのように感じて不気味がるかもしれない。ならばどうしたら自然な形でこの恋を実現させることができるだろうか。それは難問だった。彼女のことについてわかることは午後8時30分ごろに横須賀線のホームに現れるということ。それ以外何も僕にはわからないのだから。僕は彼女を横須賀の彼女と呼んでいるけど、もしかしたら彼女は途中の大船駅辺りで下車してしまうのかもしれない。
僕の狂おしい気持ちが高まるのと同時に、僕は彼女を思わず見つめている瞬間が多くなった。彼女に気付かれないようにそうした行為をした瞬間に目をそらすようにしているけれど、彼女が好きな気持ちは抑えることができなかった。
だけど秋が深まったある日から、突然横須賀の彼女は姿を消した。午後8時30分ごろの横須賀線のホームに彼女はいなくなった。
もしかしたら彼女は僕の気持ちに気付いたのかもしれない。僕が彼女に気付かれないように隠していた気持ちも聡明な彼女にはお見通しだったのかもしれない。
僕は後悔した。僕が妙な気持ちを持たずに方転の仕事のためだけにこのホームに降り立っていれば彼女と今でも会えていたのかもしれない。僕が彼女を好きになりさえしなければ今まで通りに彼女と出会えることを楽しみにここへ来ることができたのかもしれない。
でもそれは無理な話だ。誰だってこの横須賀線のホームに佇む彼女の姿を見たら恋に落ちるに決まっている。それほど僕にとって彼女の姿は光っていた。彼女は横須賀線のホームに舞い降りた天使のようだった。
しばらく僕は横須賀線の午後8時30分のホームに来るたびに彼女を探した。同僚の人たちにばれないようにグリーン車が停まるホーム付近をチラチラと見まわした。だけど何度見渡しても彼女はいなかった。
そんなことをしているうちに僕は諦めた。彼女はもういない。その諦めは僕には少し痛手だったけれども。

冬が近づいてきた。僕は仕事を終えて行幸通りを歩いていた。僕は東京駅には大手町駅から徒歩で通っている。だから行幸通りは僕の通勤経路だ。
クリスマスを1か月後に控えた行幸通り付近は人通りが多い。丸ビル近くの木々には電飾が飾られ、夜の丸の内を鮮やかに彩っていた。
そんな電飾ツリーをバックに写真を取ったり、デートをしたり、そんな楽しげな人々で行幸通りは賑わっていた。
その日も僕は行幸通りをいつものように歩いていた。幸せそうに歩いているカップル。酒が少しだけ入って上機嫌なサラリーマンの集団。東京駅舎のライトアップを見に来た大荷物の観光客や外国人の人々。この場所はまるで人生の晴れ舞台のように明るく輝いている人たちで賑わっている。今日もそんな感じだった。
行幸通りで最高の人生の晴れ舞台に立っている人は、多分ウェディングドレスを着て記念撮影をしている女性たちだろう。多分結婚式場のサービスで、東京駅や華やぐ丸の内をバックに結婚写真を写しているのだと思う。
その日は少し暖かで、そんなウェディングドレスの姿の女性がいつもより多かった。
僕が何気なくそんなブライド姿の1人の女性を見たとき、僕は声をあげそうになってしまった。
その女性は間違いなく横須賀の彼女だった。白く華やかなウェディングドレスを身にまとっている彼女は間違いなく横須賀の彼女だった。
彼女は美しかった。横須賀線のホームにいるとき以上に美しく輝いていた。そして彼女は幸せそうに微笑んでいた。そんな表情の彼女を僕は知らない。だからこそ彼女はいつもより美しく映えて見えた。そのときの彼女を言葉にするならば、彼女は丸の内のプリンセスだった。丸の内の景色は彼女のためにあった。東京駅のライトアップも丸ビル付近の電飾も彼女を引き立てるためにそこに存在していた。彼女はそのとき丸の内の主人公だった。
あまりの美しさに僕は見とれてしまった。その場に立ちすくんでただ彼女のことを見つめていた。
そしてしばらくしてすぐに気付いた。丸の内のプリンセスには、彼女をエスコートする王子様がいるということを。
結婚衣装を身にまとったその男性は多分僕よりも年上だ。多分20代後半だろう。背も高くて王子様にふさわしい身のこなしをしていた。
僕の想像だけれど、彼は丸の内の一流会社のそれなりの地位で仕事をしているやり手のサラリーマンだろう。上司からも一目置かれていて大きな仕事をこなし、まさに日本の将来支えている重大な地位にいる、そんな人物なのだろう。
丸の内のプリンセス、いや横須賀の彼女のハートを打ち抜いた男にふさわしい彼はやっぱり眩しくて僕はジッと見ることができなかった。
そして彼女の幸せそうな笑顔を見ると、それでよかったのだと本当にそのようにしか思えなかった。
僕は輝かしい横須賀の彼女の姿をもう一度だけ見て、その場を離れた。
彼女が幸せであるならそれでいい。すべてはこれでよかったのだ。僕はそう思おうとした。それなのに僕の心の中では何かがくすぶっていた。
どうして僕ではなかったのだろう。彼女の心を射抜けなかった僕はなんてみじめで情けないのだろう。そんな気持ちが沸き上がってきて涙が出そうになった。
今までも好きになった女性は何人かいた。働き始めてからも、恋に落ちた相手は少しはいた。でもそれはなかなかゴールにはたどり着かなかった。
僕の愛情表現の仕方が拙いせいかもしれない。あるいはそれは僕の性格によるものかもしれない。
誰かを好きになること。それは僕にとって何かを失うことだった。だから僕はなるべく誰かを好きにならないようにしていた。失うのが辛いから誰かと恋に落ちないようにしていた。
それなのに恋は突然訪れる。ある時どうしようもないくらいに誰かを好きになってしまう。
僕にとって恋とは失うものだった。好きになればなるほど、誰かを大切に思えば思うほど失うものは大きい。
僕はまだ25歳だ。まだ何十年もの月日が僕を待っている。その間に僕は何人かの人を好きになるのだろう。そしてそのたびにまた失ってしまうのかもしれない。

少し涙でにじんだ冬の気配を感じながら僕は思った。
横須賀の彼女と出会えてよかった。彼女を好きになれてよかった。そして彼女の幸せそうな笑顔を最後に見ることができてよかった。と。
それは実現できない一方的な恋であるとしても。
そして彼女と横須賀の港町を、手をつないで散歩をしている妄想をした後、僕は彼女のことを思い出すのを少しの間やめた。そして地下鉄の駅までそのまま歩いて行った。

今夜眠る前の布団の中で多分僕は横須賀線のホームに佇む彼女の姿を思い出しているだろう。そして彼女のために少し涙を流しながら彼女のために哀しい思いを募らせているのだろう。
横須賀の彼女は僕を取り残してどこかへ行ってしまった。まるで始めからそうなることが決まっていたかのように。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.02.12 16:57:05
コメント(0) | コメントを書く
[創作] カテゴリの最新記事


Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

鬼の居ぬ間に洗濯 長次郎尾根さん

Comments

trainspotting freak@ Re[1]:世界の終わりはそこで待っている(06/19) これはさんへ コメントありがとうござい…
これは@ Re:世界の終わりはそこで待っている(06/19) 世界が終わるといってる女の子を、「狂っ…
trainspotting freak@ Re[1]:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) zein8yokさんへ このブログでコメントを…
zein8yok@ Re:ある保守思想家の死 西部氏によせて(03/02) 「西部氏の思想家としての側面は、彼が提…
trainspotting freak@ コメントありがとうございます aiueoさん コメントありがとうございます…

© Rakuten Group, Inc.