帰り道。
木彫り製品も名産。
田んぼは今は休耕期。
牛さんが放牧されてた。
小学校に行っている子供もいれば、沼で魚取りや釣りを手伝っている子供もいる。
カンボジアの人口は1431万人。
共産主義のポルポト派は、当時の国民約800万人のうち約100万人以上を大量殺戮した。特に、教師・将校・僧侶・役人・外国語ができる者などの知識人を抹殺した。その影響で、カンボジアの教育は崩壊し、援助などでだいぶ戻ったが、貧しさもあって、小学校の就学率は93%だが卒業は半分、中学校は34%しかない。
また、大量殺戮の影響で、中高年が少なく、子供が多い。
カンボジアに行って思ったことは、アンコール遺跡も素晴らしいが、貧しさとそんな中でも頑張って生きている若い人々、あまりにも違う環境。
それらが、強烈に印象に残る国だ。
さらに戻って、出店で、カンボジアシルク、砂糖ヤシを煮詰めて、砂糖を作って売っている。
牛つかいさんも。
ちなみにトゥクトゥクの日給は10$で、バンテアイ・スレイまで往復60kmを走ると、ガソリン代6$かかるそう。他にもいろいろかかるだろうし、流しで客がつかまらないドライバーや一般的な仕事よりはいいんだろうが、朝から晩までだし大変な仕事だ。
11時半過ぎ、東メボン。
2日目の昼過ぎは、小回りコース、大回りコースからめぼしいところを選んで行くスケジュールだったが、トムにおまかせした。
東メボンは、952年にラージェンドラヴァルマン二世が建てたヒンドゥー寺院。
当時は、東西7km、南北2kmの東バライ(貯水池)の中心に浮かぶように建っていたらしい。今は水は涸れているが、周壁が黒ずんでいるようにそこまで水があり、入り口は船着き場だったそうだ。
二重の周壁の中に、ピラミッド型に主祠堂が建つ。
チケットを見せ、東塔門から中へ。
第二周壁にも、シンハの像。
第一、第二周壁の間のスペースには、付属建築物の残り。
周壁の角には、象さん。
反対側にもゾウさん。
第二周壁の中はそのまま中段になっていて、さらに最上段テラスに5つの祠堂がある。
中央祠堂。
レンガ造りで、化粧漆喰なのだが、両側のデヴァターを含め周りはすべて下地になっている。かろうじて、扉の周りとリンテルにレリーフが残る。
ヒンドゥーの神が描かれている。
中には、今は仏像があり、上から光りが差してくる。
周りの祠堂も同様に、デヴァターが剥き出し、リンテルのレリーフは残る。
西塔門の方。
中段には経蔵。だいぶ朽ち果てている。
北西を見る。
経蔵は傾いていて支えが必要。
その奥の角に、第二周壁、第一周壁上に象がいる。計8頭になる。
また、周囲はカンボジアの森が見晴らしよい。
祠堂のレリーフの一つ。
カーラの上にヤマ(閻魔大王)だと思う。カーラの口からはナーガがわき出ている。
周囲のレンガの穴は、漆喰をとめていたものだろう。千年以上の時に耐えきれず、剥がれてしまったが。
アイラーヴァタに乗るインドラだと思う。
左右も象。
中段に降りる。
小さな祠堂にも飾りがある。奥の経蔵はだいぶ傾いている。
そして、そのまま角に行くと、第二周壁の角にゾウ。2m以上はある。
記念撮影。
さらに下段に降りて、下からゾウ。
https://mycabiv2.nifty.com/guest/myCabinetDocDetails.do?key=ka8EIb%2F5yYhhnGvdZDyPzvoKYSDUVS9ICbb%2F1sdhYaaNNkUb3R7YPRXANkqD9kkHs4eozYWD26dmwhIA8REOew%3D%3D
ゾウさんを3Dで。
トムが、ここではゾウさんをみてきて、と言った意味が分かった。
http://www.angkor-ruins.com/ruins/eastmebon/eastmebon.htm
東メボン