|
カテゴリ:カテゴリ未分類
以前、英国の学者たちのすばらしき一面を書きました。
(4月10日の日記「議論ということ」) その時は、「英国の学者たちは、自らの研究を様々な場で披露し、様々な人間に意見を求めます。それは、同じ学者にだけではありません。学部生や大学院生に対してもそうです。 年齢の違いとか、キャリアの違いは関係なく、率直に議論して、自らの研究を向上させようとします」 というようなことを書きました。 しかしながら、今日はその英国の大学教育にも問題点がある、 ということを書いてみたいと思います。 日本の大学が「レジャーランド」と化しているのに対し、欧米の大学は入学した後が 大変だと聞くことがあります。 厳しい高等教育を受けた欧米のエリートに比べ、日本人は個人での実力が劣るとか言われ、 (今ではブームは落ち着いたと思いますが、)海外でのMBA取得がキャリアアップへの必須であるように言われたこともありました。 確かにそれは、ある面では、間違いではないと私も思います。 しかしながら、その欧米の大学の「厳しい高等教育」にも、見方を変えると落とし穴があるのです。今日のテーマはこの「厳しい高等教育」です。 まず英国の大学のカリキュラムについて簡単に紹介します。 大学によって違いはあると思いますが、他の学校は知らないので、私の学校を例に書 きます。 英国の大学の1年は、10月に始まります。 学部生は秋、冬、春の3学期制で6月に終わり、大学院生は夏学期もあり、9月に終り ます。 学期が始まると、まず授業ごとに読まなければならない本のリストを渡されます。 まあ、「1回の授業についてぶ厚い本10冊くらい読め」 とかそのリストには書いてあったりします。 科目は文系の場合、学部生で1学年4つくらい。1つの科目で講義とセミナーがあっ て、1週間8コマの授業があります。大学院修士だと、週3コマ、講義はなくてセミ ナーだけです。 セミナーというのは議論の場ですので、ただ聞いているだけでなく、自分で話さないといけませんから、ちゃんと本を読んでないと恥をかくことになります。 ですから、セミナー前には必死に本を読むことになります。 次に数週間に1回くらいの割合で、エッセイ(日本ではレポートというのでしょう か)を書かなければなりません。 学部生だと1つの科目で3-4本、通常書かないといけないのかな。 大学院だと多分2本。 それに春学期に試験があります。1つの科目の試験時間は3時間。 学部によっては学期ごとに試験をやるところもあるようです。 大学院は試験をやらない学部もあります。その代わり、大学院は修士論文の提出があ り、大学院だけの夏学期はセミナーはなく、修論を書くのみに費やされます。 要はここで言いたいのは、 英国の大学生は常に課題に追われている状態だということです。 英国以外の欧州や米国の大学は実際に見たことはありませんが、厳しさはだいたい同 じようなもんだと聞いています。 しかし、これも私が見るにいいことだけではないんですね。 1回の授業でぶ厚い本10冊読めとかいっても、一部の天才的な人ならできるかもしれ ませんが、実際には、大半の学生にはまあ無理です。 とすると、要領を使うようになります。というか、使わないと行き残っていけない。 元々頭はいい子たちですから、実はなにも読まなくても、セミナーで適当にしゃべる ことを覚えたりします。 エッセイや試験も、原典をしっかり読むのではなく、種本みたいなのを一冊見つけて きて、さも何冊も読んだように書く技術を身に付ける。 学生同士協力し合って、分担して調べてコピーを渡しあったり、あと過去問の入手。 人間関係の作り方がうまくなったりする。 この辺の行動パターンは、日本の学生と実はそう変わりはないという感じがします。 ただ、英国ではそれが一年の一時期ではなく、年中それをやってるということが違う わけです。 それでも、やっぱり課題が多い分、英国のほうがましではないかと思われるでしょうが、私が思うに、それはそうとは言い切れないんですね。 英国の場合、優秀であろうがなかろうが、全員課題をこなすことに必死になります。 課題以上のことを自分の興味に従ってどんどん追究していくことはなかなかできない。 それが日本の場合は、課題が少ないということで、ある意味時間的に余裕がありとも言えますから、 やりたくなければ何もしなくてもいいですが、 逆に、自分が興味を持ったことを自由に、深く勉強していくことも可能だと言えます。 この違いの結果は大学院で現れてきます。 私の友人で日本の大学院と英国の大学院、両方で修士号(経済学)を取得した人が証言していました。 「日本では、いい就職をするために大学院に進むというのは、今でもあまりない。 ある意味オタッキーな人が大学院に進むというか、ほんとうに学問に興味がある人だけが進む。 だから、数は少なくても、大学院生になる学生はほんとうに研究分野の深いところまで理解して入ってくる。時間に余裕があるから、やりたければ自分の好きなように勉強できますしね。 英国では、大学院に進まないとほんとうにいい就職はなかなかないので、学問にほんとの興味がなくても、大学院に進もうとする。 だから、こっちの大学院生と話をしても、将来どんな仕事をやりたいかの話ばかり。 彼らにとって学問とは、将来の仕事のためにあるものですよ。学問そのものには興味ないんです。 大学院での学問のレベルは日本のほうが断然高いと思いますよ。」 この友人は、うちの学校の修士であまりいい成績が取れませんでした。 だから、多少のひがみが入っていたとは思います。 しかし、彼の言うことには、私も一理あると思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2003年07月01日 20時09分11秒
|