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イラクへの国連査察団による大量破壊兵器解明査察が行われる現状、北朝鮮拉致問題が膠着する現状がメディアで報じられていますが、独裁体制が如何に創られ、維持され、国際社会の中で利用され、黙認されて来たのかを知る時に、何とか戦争以外に解決策は無いのかと考えざるを得ません。
この新書は、イラクについての現状・歴史的背景を冷静に纏めた書籍と思われます。発行が2002年8月なので、国連安保理決議以降については記述されていないのですが、熱狂ジャーナリズム報道になっていない所も逆に魅力かもしれません。 イラクとアメリカ-酒井 啓子 岩波新書796 2002年8月発行 フセイン体制が終わりかと思ったことが過去二回あった。湾岸戦争と大統領娘婿が亡命した時がそれだが、二度とも生き延びた。 2001年9月の同時多発テロ事件で、深手を負ったアメリカが、ビン・ラーデンから次にはサダム・フセインに向いて行くだろうことは、容易に想像がついた。 果たしてこれが「三度目の正直」となるのか、「二度あることは三度ある」ことになるのか現時点では分からない。 だが、フセインの創り上げたものが「イスラム」と言う我々にとって「他者」の世界に独特なものでは決して無くて、冷戦構造や独裁国家や国によるこの管理と言った、我々の慣れ親しんだ「西欧文化のなれの果て」から出現したものだ。「フセイン的なるもの」の持つ危険は、「彼等」の問題でなく、常に「我々の社会」に内包された問題として考えて行くべきでは無いだろうか? 中東はアメリカの国際外交にとって最重要地域で、米国石油メジャーの権益が確保されている最大の産油国サウジアラビアを守ることが至上命題であった。イラン革命以前では、イスラエルとシャー時代のイランと言う強力な「代理人」の存在に安心し、米ソ二極構造の中で解釈し処理出来たのである。 イラクについては、アメリカは1970年代迄「親ソ」と敵陣営に追いやって来たにも拘わらず、「反米イラン」封じ込めの為に、イラクを「親米」の枠組に取り込み、その枠内に取り込み対処し軍事大国化させてしまった。 軍人では無いサダム・フセインは、親族支配・政敵の放逐によって独裁体制を確立後、こうした「二極対立」を日常生活のあまねく場所に密告制度と共に蔓延させ、社会の対立を操作することで、絶対的な支配を継続させて来たと言えよう。この「二極対立構図」が如何に易々と世界に浸透するかは「9.11事件」以後、即座に「文明の衝突」と言う単純な図式に基づく世界認識が蔓延してきたことを見ても良く分かる。アメリカはカウボーイ型の「正義か悪か」の選択を突きつけるが、フセインのやってきたことも又同じ「二極対立」構図をそのまま鏡に映したものに過ぎない。 又、フセイン政権に自力で抗する能力を持たない微少な反体制派達は、フセインとアメリカと言う「二つの力」が対立し合う二極構造を利用することでしか、自らの目的を実現することは出来ないと考え方も、「イラク対アメリカ」の対立図式の中で、呼び覚まされているとも言えよう。 しかし、問題は、こうした意識構造から如何に抜け出すかと言うことで、フセイン個人の存在にあるのでは無い、寧ろ大きな「恐怖を生む二極対立」でしか自己表現していく方法から抜け出し、フセイン自身を生み出した「フセイン的なるもの」を如何に乗り越えることこそが、将来の最大の課題だろう。 石油資源と言う魔物を保持するイラクは、アラブ諸国の協力(一時的にせよ)もあって国連査察団の解明努力もあって改善して行くように思われますし、又期待します。 だが一方、北朝鮮はどうなるのでしょうか? ブッシュ政権の悪の枢軸発言で、ある程度の内情が国際的に明らかにされつつありますが、国際社会が守るべき天然資源も無い現状で極東の問題として片づけられてしまいそうな懸念は拭い去れません。友好国とされる安保常任理事国である中国、ロシアも静観の構えを崩していないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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