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2003年1月4日朝日新聞の1面に「大学の力(転機の教育)」シリーズの第三回として「産学連携」が掲載されました。
大学発の研究成果を事業化を通じて産業の発展に繋げ、競争力回復を目指す「産学連携」が、ここに来て急速に発展の兆しが見えて来た。 「産」は不況で大学の技術開発能力を期待し。「学」は国立大法人化を控え、社会との接点強化に生き残りをかけている。つまり、危機感がバネとなって急接近した。 ただ、産業との壁を完全に崩すのは、ベンチャー先進国の米国でも慎重だ。MITは学外での教員のコンサルタント活動は“一週間に一日迄”とルールがある。教育研究活動を疎かにしない為だ。MIT技術移転機関のウィルソン所長は「研究成果をどう使われるかを皆が考えることは大事だが、それが学問の自由の放棄に繋がってはならない。」と言うのです。 しかし、主要企業の経営者は人材養成機関としての即戦力を育て得ない大学に不満を感じ、産学連携に関心は高いが、技術移転ノウハウ・環境整備の不足から具体的な成果に結びついていないと考えている様なのです。 そうした不満意見の中で阪急百貨店社長の椙岡氏が「集団の時代から個の時代へと確実に変化している。より高い専門教育よりも個の時代の生き方のベースになる所を充実して欲しい」と述べていますが果たしてそうでしょうか? 戦後教育は戦前の集団教育の反省から個の教育を目指して始められました。しかし、文部省(現在の文科省)の指導により、日本型の経済成長に沿うべく徐々に集団教育に変質させられたのです。現在の経営者はその経緯を体験している筈で、その推進の応援者でもありました。 従って、不満を述べる経営者が、その学生時代に創造力豊かな即戦力として育てられたとはとても思えません。物量の無い時代に育った彼等は何とか勉強・努力して、何とか会社に就職して物を得ようとしたに過ぎません。既存の経営形態を持続する為に彼等なりの希望を述べているのですが、飽食の現代にあっては現在の学生には通じないのです。功利主義に基づいたマスメディア主体の物質文明では、彼等の「生き甲斐とは何か?」の問いに対する回答になり得ません。親の世代が懸命に働いても人生に得る所が少ないと見えるのです。全ての人が技術を好きな訳でなく、全てが商売を好きでは無いのですが、嫌々ながらその分野で活動しなければ生活していけないと見えるのです。 やはり、適材適所に人が配置され、何か“Project X”が成し遂げる組織に貢献出来そうだと判断出来れば、彼等は生き甲斐を感じ苦しいことも厭わなくなる筈で、創造力は必然的に生まれます。技術担当、経理担当、営業担当は各々その得意分野で能力を伸ばし、プロジェクトに貢献出来る人材が確保されれば日本は安泰です。 そこで今は廃れてしまった儒教の精神を再認識することも必要でしょう。先ず“隗より始めよ”で、経営者自ら功利主義を離れた「自分を知る構造改革」が必要だと思うのです。 講談社学術文庫「大学」-宇野哲人全訳注の序文に曰く「天が人を生む以上は、きっとこの人に仁義礼智を生まれついて与えたはずである。しかしながら、人の気質は、人々によって異なり、誰でも聖人君子の如く清き気質を受けて生まれたのでは無く、或いは濁った気質の人もある。そこで人々が皆、その本然として備わっている仁義礼智の徳を知ってこれを全うすると言う訳にはいかない。本然の性に四徳の備わっていることも知らず、これを失う人も少なくない。万民本然の性を知らずしてこれを失うに当たりて、一度聡明叡智にして、良く自分の本性を明きらめ尽くす者が、その間に出づれば、天は必ずこの人に命じてもって天下の万民の君となりてこれを治め、師となりてこれを教育せしめて、もって万民をして各々その本性の善に立ち帰らしむるのである。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.07.12 15:50:41
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