テーマ:本日の1冊(3684)
カテゴリ:Books
存在感のある人間が、今求められている。大不況の前で、揃って足踏みしているのでは無く、広い野原へ連れ出してくれる大きな人にあって見たい。
この様に「石坂泰三の世界」(城山三郎著 文芸春秋社)のあとがきで述べているのは1994年晩秋のことです。この本は文春文庫として1998年6月に「もう、君には頼まない」として刊行されています。 それから10年経ちますが、経済不況情勢は変わらず指導者不在も何の変化も見受けられません。 近頃の奥田経団連会長の経済不況脱却に対する政府への要請による自己責任の転嫁も苦々しい限りです。 若者への夢を提供して来たソニーも出井会長の「今年は消費者が購入して呉れる年です」も難局打開の意気込みま感じられません 日本の政・財・官界では、好景気の時に同質化が進み、仲良しクラブ的な付き合いばかりが増え、拳骨を突き出す人が稀になった。 石坂泰三は、禅僧から聞いたと言う「無事是貴人」なる言葉を好んだ。「何事も無いのが最上の人生」と言う訳である。 だが、そうは言いながら、この男、頼まれれば、激しい労働争議に明け暮れる会社の社長に就任したし、成否が危ぶまれた日本で最初の万国博覧会会長を80才目前の身で引き受けている。その何れもが、他に引き受け手のいない役職であった。無事を望むどころか、求められれば天下の難事に身を進んで賭けているのです。 その男が、誰よりも信頼したのが、土光敏夫であった。石坂の強い押しが無ければ、土光経団連会長は実現しなかったと言われている。 但し、石坂と土光の人柄は可成り違う。 土光は単純明快、大いなる分かりやすさが魅力で、俗を排し聖に近い生き方「社会は豊かに、個人は質素に」となる。 一方、石坂は俗を容れ、聖に囚われぬ、大いなる分かりにくさが魅力。 そうした二人だが、何より気骨という一点で共通し、深く信じ合う仲であった。 石坂の気骨と言うか硬骨漢ぶりは、並大抵なものでは無かった。現職の大蔵大臣、現役の日銀総裁に対しても啖呵を切った。 「自由経済の下では、設備投資をどうするかは経営者が考えれば良いことで政府が決める問題では無い。日銀総裁は金融政策に取り組み、公定歩合をどうするか考えれば良い。寧ろコンピュータを総裁にすれば良い。」 事実、コンピュータ君に劣る日銀総裁が幾人か現れ、権力者の顔色を伺うあまり、適切な政策を取るのを誤り、日本経済に災いをもたらした。コンピュータ君の方が良かったとは、国民の実感であった。 竹中金融大臣の株価連動投資信託の推奨、奥田経団連会長の政府による土地買上発言等をみていると国民への視点を全く無視しているの思うのは僻みでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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