カテゴリ:Opinion
原爆記念日を2日後に控えて、今日から広島市で原水爆禁止の国際大会が始まりましたが、相も変わらず党略に基づいた分裂した大会運営が行われている様です。
歴史は長いのですが共産党が事務局を牛耳る原水協大会、朝日新聞・広島市主催の核廃絶国際シンポ、2大会が同じ広島市で違った会場で行われます。 党利党略を乗り越えて合体して貰いたいと思うのですが長年こんな状態から抜け出せないのはどうしたことでしょう! 事務局を1年交代で担当する等、拡大的に合体させる方向で模索して欲しいと思っていますし、人類の悲劇を党利で論じて貰いたくはありません。 昭和59年NHKの大河ドラマ「山河燃ゆ」の原作である、山崎豊子女史の「二つの祖国」にこんな記述がありました。 賢治は東京を出発する前GHQでメモしてはならないと言う制約の下で読むことが許されたエノラ・ゲイ号の記録が、広島行くことで生々しく蘇ったからだった。 1945年8月6日午前2時45分、原爆投下の作戦暗号名シルバー・プレート作戦開始、砲弾型ウラン爆弾を搭載したエノラ・ゲイ号はB29爆撃機はチベッツ大佐を機長としてテニアン島を発進。機首にペンキで記されたENOLA GAYは、大佐の母の名前であった。細長く見栄えのしない爆弾は約4トンでリトル・ボーイと呼ばれ、青銅で出来た胴体には“天皇を葬れ”と落書きされていた。 テニアンを出発したエノラ・ゲイ号は、硫黄島で僚機2機と合流した。その2機には科学的な記録を収めるための科学者達が搭乗していた。 午前6時、太陽は昇り始め、良好な気象状況の中、エノラ・ゲイ号は日本本土まで一直線の“ヒロヒト・ハイウェイ”を飛び、広島上空で3万2千フィート迄上昇した。投下1分前から単調な無線音が発信され、その音が停止した時が、原爆投下の時刻であった。 投下の瞬間、エノラ・ゲイ号の機体はふわりと浮き上がり、フル・スピードで右へ急旋回して、爆風から逃げ出した。 チベッツ大佐はゴーグルをしてコックピットの計器類を見て驚いた。真っ暗で何も見えない。尾翼が揺れ、体に急激な重力が掛かる。やっと切り抜け、水平飛行に移った途端、コックピットに突然、見たことが無い強烈な閃光が走った。エノラ・ゲイ号からテニアン基地へ、そしてトルーマン大統領に「爆発良好」の報せが送られた時、大統領はポツダム会談を終え、大西洋上をワシントンに向かう飛行機の中で昼食を取っている所であった。 トルーマン大統領からブッシュ大統領に至るまで「戦争を早く終わらせ、米兵の損害を少なくするため」と原爆投下の正当性を繰り返しています。 もし、再びその様な事態になれば核兵器使用も辞さないと言うのです。 核拡散防止条約を批准しない世界最大の帝国アメリカ、核兵器製造の疑いでイラク、イランを追求し、製造した北朝鮮には廃棄を強要しています。自国のことは別にして他国を非難して、一体世界秩序をどうしようと言うのでしょうか? 核兵器開発を進言・参画した科学者の一部は、その悲惨さに苦しみ核廃絶運動にも加わることになりました。 20世紀最高の科学者アインシュタインもその一人ですが、大国の軍事優先政策の前には貧者の一灯ともならなかったのは残念なことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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