テーマ:徒然日記(22903)
カテゴリ:Books
南原繁没後30年となったそうです。平和主義に基づくナショナリズムの定着を目指した旗手を知る人は今では少なくなりました。
南原繁(1889-1974)氏は、戦後最初の東大総長に就任、「民族の復活と新生」を悲願として活動を展開、中でも1949年の敗戦後の平和条約締結に際して全面講和を唱え、吉田茂首相から「曲学阿世の徒」と罵倒されたことは良く知られています。 憲法問題:第9条の戦争放棄条項には、「自衛の戦力を保持すべきだ」と疑念を呈し、現憲法は将来のある時期、日本国民によって書き換えられるべきだと主張。 国際問題:国際平和の為には世界の二極化を回避することが良いとした。その為、日米安保条約に反対し、サンフランシスコ条約では全面講和を主張。又、自衛の戦力は「国際共同の武力」に組み込まれるべきだと説いた。 教育問題:戦前の押しつけ「皇民」育成と教育統制に反対した。将来の日本の為には、普遍的な自立的な人格形成と教育自由化の必要性を説き、「教育基本法」制定に協力した。 人間の尊厳と平和主義の尊重に日本国民の誇りを寄せるナショナリズムの定着を悲願とした南原繁氏、その門下からは丸山真男氏も育ったのですが、彼も逝去してしまいましたので、その主張を受け継ぐ人材が見えなくなりました。 日米安保体制堅持から自衛隊を戦力とし、パックス・アメリカーナへの軍事加担を目指そうとする近頃の動きは、彼の意図する方向とは全く逆の方向であることは間違いありません。 岩波新書版「南原繁」が書棚にあった筈なので読み返して見ようかと探しましたが、残念ながら行方不明となってしまいました。 そこで、インターネットで検索した所、彼が平和問題推進の為1965年ラッセル平和財団に参加する際の声明が次の様に掲載されていましたので、紹介させて頂きます。 バートランド・ラッセル博士は、元々数理哲学者であるけれども、第一次世界大戦の時から、徹底した平和主義・非戦論者であった。第二次大戦後は、アインシュタイン博士と共に、壊滅的な核戦争の防止のために起ち上り、世界の科学者や指導者の注意を喚起すると同時に、自ら挺身して、時に示威運動にも加わり、為に拘留されたことがあるのも、我々の知る所である。 ラッセル博士は、大衆運動とは別に、寧ろこれに対して思想的根拠を提供し、平和の問題について更に研究を促進するとともに、政府の声明やマスコミの報道からの独立した真実の情報を蒐集し提供する任務を重要と考えるに至った様である。 平和運動につき、教会の間にありがちな反対、少なくとも消極的態度に対する博士の激しい非難は傾聴されて良い。カントの表現をもってすれば「戦争あるべからず」というのは、むしろ宗教以前、人が人である以上、すべての人間に妥当する道徳の至上命令である。 更に戦争は、一人個々の人間性と人格に対する犯罪であるばかりでなく、人類に対する犯罪、人類の共同存在を否定する犯罪である。世界の諸国民は、戦争においても、又平和をもたらす上においても、一つに固く結合しなければならない。此処に、これまでの個人の良心的反戦反抗の他に、人類的連帯性において、さまざまの組織や運動が企てられる理由がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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