カテゴリ:My Town
近頃自宅周辺を散歩していますとマテバシイの椎の実が散歩道に散らばっているのが目に付きます。固い皮に覆われていますので、鳥たちにも食べられず、そのまま転がっているだけなのですが、昔日は狸たちが食糧としていたのではと思いやってしまいます。
見上げて、木の葉を見ますと堅くて大きく楕円形の葉ですので、万葉集にある有馬皇子が謀反罪として処刑されるに際しての辞世歌とされる 「家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)を 草枕旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る」 の「椎の葉」はこれだったのだとも思い遣られます。 近くには「平久保(ビリクボと読みます)の椎」、「一本杉のスダジイ」等の巨木となったスダジイ(椎)の木も散見されます。 「平久保の椎」についてはこちらの日記をご覧下さい! マテバシイは漢字で「全手葉椎」と、スダジイは「頭陀椎」と書かれることをインターネット検索で知りましたが、クヌギ(椚)やナラ(楢)のドングリ類とは異なり、渋・灰汁が薄く、煎って食べられるそうです。私自身は試みたことはありませんが、 レシピ等の紹介Webサイトもあります。 マテバシイ、スダジイは暖地の海岸近くに自生すると言われていますが、多摩丘陵に昔は海岸からそれ程遠く無かった地域だったことから自生し続け、人間の食生にも利用されて来た様です。私が住んでいる多摩ニュータウン地区には数多くの縄文時代遺跡があり、木の実も同時に発掘されたそうです。 その殆どは開発から30年間に発掘調査され、大部分が埋め戻されて宅地となりましたが、一部は縄文文化を再現し保存されています。 京王線と小田急線の駅が隣接する「多摩ニュータウン」駅近く線路際の直ぐそばに東京都埋蔵文化財センターがあり、それに隣接する遺跡庭園「縄文の村」には、多摩ニュータウン遺跡を復元、保存展示されています。NHKテレビでも紹介されましたが、三棟の復元住居が縄文前期当時の植生と共に再現され、定期的に住居内の炉で焚火を行って住居の腐食化を防いでいます。この遺跡は、縄文時代前期(約6000年前)から中期(約4500年前)の遺跡とされていますが、三万年前の旧石器時代の石器も発見されています。 多摩丘陵は、当時は広葉樹の森や林で覆われていた筈で、木の実を主食とした定着生活をしていた人々が多く定住していたと言われています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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