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日本歌曲の名曲として名高い「荒城の月」は滝廉太郎が22才にて、土井晩翠の詩に作曲したもので、1901年中学唱歌に載せられました。
原曲はロ短調、テンポ指定はアンダンテ(Andante)、8分音符主体のゆっくりとした感傷的な曲ですが、悲壮感は無く一般学生にも唄いやすい曲となっています。 現在我々が通常耳にする「荒城の月」は、日本歌曲の父とされる山田耕筰が1922年頃、ピアノ伴奏を付けて調性をニ短調、テンポをレント・ドロローソ・エ・カンタービレ(Lento doroloso e cantabile)に落として、8分音符から4分音符に変更したもので悲壮感漂う曲になっているものです。 瀧廉太郎-海老沢敏著(岩波新書) この「荒城の月」は冒頭にレント・ドロローソ・エ・カンタービレ(痛ましくも悲しみ歌うようにゆっくりと)とのいささか情緒過大な演奏指示があり、しかもニ短調をとって、先ず弱拍で始まられる4小節の前奏が、ピアノ伴奏で弾かれる。その後歌唱旋律が表現豊かに奏され、付点つきリズムで葬送の悲しみだと告げる様に響かせ、ピアニシモでトリルを加えて、歌唱に受け渡して行く。 テンポの遅さとニ短調と言う調性の選択は、原曲の持つ爽やかさ、晴朗な迄の哀しさを遙かに超え出ている。 この瀧=山田の「荒城の月」での瀧の役割は原旋律の提供者に過ぎない、ここに山田耕筰独自の世界が創り上げられている。 瀧廉太郎の原曲は唱歌であり、少年少女が声を揃えて斉唱で歌うものであり、 それは過去のもの、再びとは立ち戻って来ないものに対する感傷体験であったろう。 山田の「荒城の月」が無伴奏で、しかも多声で歌われる様になって、強烈な嘆きや悲しみの感情が向かい合う対象に変容したのだ。 インターネットで「荒城の月」唱歌原曲をダウンロードし、聴いて見ますと感傷的であっても、それ程の悲壮感はありませんし、山田耕筰が削除してしまったある音符のシャープ記号も違和感無く聴くことが出来ました。 山田耕筰は「ただ原作には何か西洋臭さを抜けきらぬ点があまりにも際だって見えるので先輩に対して非礼とは思いましたが旋律に一ヶ所筆を加えました」と言っているのですが、謙譲の美も何処へやら、自分の作風が最善と押しつける様で功罪半ばする所かも知れません。 上記の新書本に依りますと1922年発表当時からシャープ記号不要論はあった様です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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