芥川賞「おらおらでひとりいぐも」を読んでみようかと、掲載されている文芸春秋を久しぶりに購入しました。
著者の若竹千佐子さんは63才の恐ろしく高年のデビューで、冒頭の東北弁が読みにくいのですが、何となく心地よさが感じられました。
著者の10才上の74才女性を想定し、過去、現在、未来を縦横無尽に展開しつつも、未来に希望を託するストーリ、自分でも愕くほど、読書力や読書スピードが劣化していることが分かってしまい、情け無い限りでした。
途中を端折って何とか読了、受賞の言葉が掲載されていましたので、転載します。
人にはそれ抜きにして自分を語れない「時」があるのだと思う。私の場合、夫の死だった。悲しかった。それでも、私は喜んでいる私を見つけた。悲しみは悲しみだけでなく、其処には豊穣があると気付いた。このことを書かずに死ねないと思った。
子供の頃からどうしても捨て切れなかった小説家の夢、機は熟したので、あとはただ書くだけだった。
私の先にある老い。独り孤独を生きることの痛みと喜びを知る老女を描いた。完成した時、涙の向こうに「やったね」と笑っている夫の顔が霞んで見えたのです。
私も連れ合いを亡くして9年経ちますが、仕事を辞め、余暇とも思われる趣味と散歩、年1回の家内の実家管理等、に明け暮れる日常で、趣味の一つである油彩も煩わしい手間が面倒になって此処数年は一枚も描かない自堕落の生活です。
一念発起する女性は強いものだとつくづく思い知らされることとなりました。