今日は79才の誕生日、体力だけでなく、知力も衰えて、記憶の抽斗もガタガタで忘れ仕舞っていることも多くなりました。
そんな中、ふと琴線に触れるお返しの年賀状が届きました。
貴君の年賀状の写真が私の故郷の風景とそっくりなのに驚きました。今年も元気に行きましょう!
彼はIHIの同期入社、柔道でもしていたのか、がっちりとした体躯でしたが、優しい性格でしたが、仕事業務はバリバリと熟す良い友人で、お互い種々の相談もする仲となりました。
彼は奄美大島出身、阪大卒の秀才で、島を背負う様な逸材でもありました。
不幸にして50才半ばで、最愛の連れ合いに先立だれる不幸に見舞われました。
横須賀のお宅までお悔やみにも行ったのですが、沈み切っていて声を掛けることも敵わなかった悲しい記憶が残っていました。
その後、私の複数の転籍で、お互いの勤務地も異なってしまい、年賀状の交換に止まっていたのですが、不幸を乗り越えて元気に暮らしている様子が窺えて、嬉しい限りでした。
年賀状に添付した画像は下記の上五島の好きな風景の一つです。
似首峠から見る奈摩湾の景色、湾の入り口には国防の目的で設けられた矢堅目と呼ばれる尖塔には灯台も設けられていて眼につきますが、昔は遣唐使の通路目標ともなっていた様で、我が家の居間にも油彩にして飾ってあるのです。
多分、1970年頃で、峠付近には未だ人家は少なかった時代です。