テーマ:気になる技術動向(1298)
カテゴリ:Technology
1980年代は日本の半導体業界は、米国に敵視される程、我が世の春を謳歌していました。
しかし、1980年代は半導体に限らず他の産業も活況を呈していたのです。 太平洋終戦後、日本の物造りは米国の教えを請い、技術提携等を通して精進しての品質向上が功を奏し、家電、自動車、重機械類は米国製品を圧倒し、日米摩擦が生じて、自主規制しなければならない程だったのでした。 1981年:64KDRAMで世界No.1シェアを確保、1986年NEC、東芝、日立等、トップ10の内6社が日系で、1987年に256KDRAMの世界シェア80%を占めるに至った。 1987年3月:米国政府による通商法301条に基づく報復関税措置、これに対して日本は米国製半導体の輸入拡大、日本製品の第三国向け価格の引上げを行うことで対応。 1987年11月:日本に席巻された米国では、業界横断的組織を活用して戦略的対応を打ち出し、1993年に米国体シェアは日本シェアを逆転する米国半導体の復権に繋がった。 同時に韓国、台湾の半導体メーカの半導体市場参入、米国メーカの復権により日本メーカはシェアを落とした。特に1990年代後半の不況を経て、 韓国では半導体産業の再編と 積極的な開発・投資戦略でDRAMでのステータスを急速に上げた。 その後は、半導体ビジネスは量産低価格化に対抗出来ずに低落の一途を辿り、韓国、台湾に後れを取り、経営戦略の梃入れも無く現在に至っていますが、このままでは国家戦略上宜しくないとされ、民生用から軍事用まで広く使われ「産業のコメ」と呼ばれる半導体ビジネスの復権に向けて政官民一体となって図ろうとの気運が生まれつつある様です。 経済産業省は、半導体の開発や生産体制の強化に向けた新戦略をまとめ、国際的な存在感が低下した半導体産業の再興に「国家事業」として本腰を入れる。米国と中国の技術覇権争いの中で、その安定調達が経済安全保障にも直結する「戦略物資」であり、各国・地域が強力な政策支援を通じて半導体産業の競争力底上げに動く中、日本の出遅れ感は否めず、政官民の本気度が問われる。 自民党有志の半導体戦略推進議員連盟は6月3日に菅首相に手渡した決議文で、「死活的に重要な戦略基盤技術、将に半導体を制するものが世界を制するといっても、過言ではない」として、異次元の支援による半導体の国内製造基盤の強化を求めた。 日本は半導体工場の数が多いが、先端的でない製品を手掛ける工場が多く、老朽化などの課題も抱える。技術開発でも競争力が低下している「日の丸半導体」凋落の主因を、経産省は「半導体・デジタル産業戦略」の中で、次の様に列挙した。 -1980年代の日米貿易摩擦で成長にブレーキがかかったこと -半導体産業の世界的な潮流をとらえきれなかったこと -長期不況で大胆な投資を行えず、国家ぐるみで育成した韓国や台湾、中国に後れたこと 米中対立や足元の世界的な半導体不足を踏まえて、主要国・地域の間では半導体産業の競争力強化に向けた動きが相次いでいる。 バイデン米大統領は、520億ドル(約5兆7000億円)の半導体産業投資を含む法案に賛意。 欧州連合(EU)欧州委員会も3月、最先端の半導体の世界シェアを現在の10%から、2030年までに少なくとも20%に引き上げるとした。 韓国は半導体産業の競争力強化に向けた「K-半導体戦略」を発表、2030年に世界最高の半導体サプライチェーンの構築を目指し達成するとした。 日本政府も、台湾半導体大手の台湾積体電路製造(TSMC)の研究開発拠点を茨城県つくば市への誘致、TSMCが日本企業20社超の参画を得て先端半導体の製造技術の研究開発を進める計画に約190億円を拠出して支援、「ファウンドリー」と呼ばれる受託製造企業との合弁工場設立等を通じて国内に製造基盤を確保する。 経済安保の観点から、半導体の製造基盤を囲い込む国際競争が熾烈さを増すのは必至で、「時代の流れに日本が取り残されることがあってはならない」と言う危機感が国家戦略の具現化に昇華されるかが鍵を握り、次の様な技術開発が必須とされることになります。 -パワー半導体は、革新素材(SiC,GaN,Ga2O3)によるイノベーションを促進。 -2030年のオール光時代を見据えた光エレクトロニクス、光電融合プロセッサの開発。 -次世代グリーンデータセンタ技術開発 -次世代エッジコンピューティング・超分散グリーンコンピューティング技術開発 -次世代車載コンピューティング技術開発 -省エネエレクトロニクス事業 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.20 09:06:06
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