土光敏夫氏は、ガスタービンや蒸気タービン設計技術者でしたが、企業経営にも才能を発揮、ミスター合理化として企業を強化するだけではなく、昭和の大型企業合併の先駆けとして石川島重工と播磨造船を合併、トップを行く三菱造船を凌駕する重工業企業とすることに成功しました。
その後は経団連会長の石坂泰三氏に請われて、経営危機に陥った東芝社長となって見事に企業再生を成し遂げ、経団連会長の要職を受け継いで、日本をアメリカに伍する工業国に成し遂げることに成功します。
その優れた経営感覚を、政治の世界にも波及させるべく、行政改革委員長として提言書を纏めましたが、残念なことに行革実行は政治家の強い抵抗もあって実現しませんでしたが・・
そんな中、自身の生活は極めて質素で、熱心な日蓮宗の信者を貫き、食事も質素なもので「土光さんの目刺し」として知られていたのです。
そんな土光さんに私淑して、時々鰯の夕食をすることにしています。
そうは言いましても、目刺しでは九州天草産のうるめイワシの丸干し、マイワシとは違って身も締まっていて、咬み味も抜群なのです。
素焼き海苔と縮れた海苔をフリカケにし、味噌汁はジャガイモ、漬物は大根の若菜の塩漬けでした。