テーマ:徒然日記(22825)
カテゴリ:Overseas US
喪中はがきが来て、
「父が12月7日に86才で永眠致しました。今までのご芳情に厚くお礼申し上げます」 と綴られていました。 初めてお会いしたのは、1980年3月にて、ニューオルリーンズで開催された米国機械学会(ASME)のガスタービン学会&展示会(GTI Turbo Expo)でした。 その年は、会社がガスタービンのアメリカ拡販を目指して、展示ブースを積極的に確保して行くのが東京本社の戦略だったので、設営を面倒見てくれとの指令だったのでした。 私はテキサス州ヒューストンが駐在赴任地だったのですが、駐在から半年で不安なことも多く困っていたのですが、先輩はニューヨークが駐在地で駐在1年半を経過していて慣れていたこともあり、親切にも態々ニューオルリーンズまで出張してくれて、展示ブースや展示品の設営、受付嬢の選定等を指導して頂いたのです。 何とか、先輩の指導もあって任務を果たしたのですが、日本からタービンローター本体を海上輸送して展示したことは、現地でも注目されて現地新聞でも注目されたのです。 この写真は、取材してくれた新聞記者から記念にと頂戴したものです! 4年の駐在生活を終えて、帰国しても先輩との交流は続いていましたが、先輩は米国生活で得た知見を活かすべく退社して、高額な報酬を求めて米国タイヤ業者の日本駐在員に転身してしまったのです。 その後も、交流は細く続いていたのですが、先輩は連れ合いに先立たれただけでなく、病を得て歩行困難に陥り、介護施設に入居せざるを得なくなりました。 6年前には、お見舞いに出掛けたのですが、意気軒高は変わりませんでしたが、車椅子生活を余儀なくされてしまったことは、悲しく寂しいことでした。 遂に、今回の喪中はがきで、親切にして頂いた交流が終わりを迎えてしまいました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.21 09:25:02
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