古今亭志ん生の長女で、1960~70年代の落語ブームを牽引した功労者が、大往生で鬼籍に入りました。
1960~70年代は、テレビ局勃興期で放送コンテンツの多角化を図って、落語漫才が多数放映され、その影響もあって各地の寄席も大入りの盛況が続く時代となりました。
美津子女史はニッポン放送に勤務、昭和の名人とされた志ん生のマネージャーも務め、弟である金原亭馬生、古今亭志ん朝を育て上げました。
古今亭一家の素顔を描いた著書に「志ん生一家、おしまいの噺」、「三人噺」が残されていますが、緻密な語り口の金原亭馬生、明快な語り口の古今亭志ん朝、と各々芸風の異なる個性豊かな名人落語家に仕立てあげた力量は尊敬に値するものがあります。
しかしながら、志ん生一家は酒好きが多く、金原亭馬生、古今亭志ん朝は体を悪くして夭折してしまったことは残念で仕方がありません。
漫才と違って、落語には歴史的演目も多く、特に明治時代に円朝も演じた人情話には心打たれる演目があって、「柳田格之進」、「唐茄子屋政談」等は傑作で、今でもYouTubeで拝聴拝見することが出来ます。
今は落語ブームも去り、洗練されていない歌を提供するだけの番組が多くなってしまい、殆どの落語家はバラエティー番組に出演して、手持ちの芸の欠片を披露するだけの時代となりましたのは、テレビ局の方針とは言え、悲しい現実です!