カテゴリ:生活
年末に炬燵を買った。
丸い小さな炬燵である、昨年までは我が中学生のころ家庭で購入して、高校受験の頃から我が部屋で使用されて後、温みを出す装置が壊れつつも卓として使用されたりなんだりしつつ、ここ数年は床暖房の温みで、ファスナーが壊れた封筒型シュラフを炬燵布団として使用されていた。堅牢な立派なものでは決してない、量販店で売られていた当時の定番、天盤を裏返すと麻雀卓に早変わりするちゃちなものである。 しかしこのちゃちな炬燵で太宰治や織田作之助を貪り読み、星新一や小松左京を楽しみ、五木寛之だの野坂昭如だので悪いことを知り、サルトルに触れ、フローベールに酔い、今年90年を迎えるバウハウスから建築や写真表現に関わる思想から、マルクスやトロツキー果てはバクーニンからチョムスキに深入りし、マクルーハンを知り、ビートと呼ばれる作家たちに親しみ、現代思想の薫陶を受けと、この炬燵は我にとってちっぽけながらも大いなる学校であった。 さて、そんな素敵な学校を今年は放棄しようかと細君と囁いたのは、少なからずテレビドラマ「のだめカンタービレ」において起こった炬燵事件(と我は一人好きなシーンとして記憶しているのだが)から、あんな下品で人を駄目にしてしまう素敵な炬燵は受験を迎える息子にとってはよくない、という発想があったのかもしれないのだが、耳ざとくそれを聞いた息子は「正月は炬燵に潜り込んでお笑いを見て過ごしたい」という主張をし、細君は簡単に前言を撤回し「じゃ新しい炬燵買おうか、丸い奴」と宣っての現在狭い居間に鎮座ましましている真新しい丸い炬燵となったのだが、 細君は昨日から仕事が始まり、本日子供たちはアルバイトへ塾へと三々五々消えていって一人になり、台所をかたづけ、掃除機をかけつつさて正月は終わった、炬燵は本日片付けるか否かと大いに悩みつつ過ごしているわけであるが、炬燵でうつ伏せになって本を読み続けたせいか腰の痛いことこの上ないのである、やはり悪弊は立つべきであろうか… そして解体されて仕舞いこまれたわが素敵な学校はどうすべきだろうか… ともかくも我にとっての長い休みが本日終わる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.04 13:28:01
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