夏ですから オカルトの話題で。。。約束事
日本神道は、精霊信仰をベースにしていると言われています。 精霊信仰をベースにした近年の代表を挙げるなら、ずばり宮崎アニメになります。まさに「もののけ姫」は、日本風土の精霊信仰をイメージするのに適したものです。 そこで今から、私の考える「靖国問題」の盲点を書いてみます。 「もののけ姫」にもありましたが「たたり神」という発想が、マスコミでの靖国問題から欠落しています。 まつるという言葉には、「奉る」と「祀る」と「祭る」があります。「奉」は、動詞ではささげるで、上下の位置での受け渡しを表現していますから、神社に奉るは、神社に(ものを)ささげる意味になります。「祀る」は、動詞はまつるで、神のきげんをうかがい、神としてあがめ安置するこを表現します。「祭る」の動詞も同じく、まつるですが、神を慰めるためにお清めをする儀式を表現する意味を持っています。 精霊信仰では、たたり神を恐れ、祭り、祀ることが原点にありました。 いつでも人は利己的であり、「厄」を恐れていたのです。 戦死した英霊に対して、たたり神をイメージさせる表現をしていますので、言霊信仰に洗脳された民族派の人々から糾弾されるかもしれません。 しかし、重要なポイントは、魂は存在していることが精霊信仰の大前提なのです。 日本神道を扱う場合、魂の存在を無視した発想は無意味であり、無知そのものなのです。 人には個性があるように、魂にも「荒神様系統」や「たたり神系統」の一群があります。 その魂たちが適する職業といえば、圧倒的に「武」に関係するものなのです。 そこで古くから、猛々しい魂を祭り、安らかにおさめることにより、生きている者たちは「厄」除けをしようと苦心しました。 祭ることは、祭る側と祭られる側との約束事で成り立ちます。 それは、「もののけ姫」の導入場面でも登場しています。 (余談ですが、その約束事が古くから日本地にあったから、後の時代に大陸からきた考え方と融合して、日本的な「礼節」という思想に発展したのではないかと、私は考えています) そのことは、約束事を破れば、魂魄のおさまりが解け、縁あるものに対して災いになるということになります。 そもそも靖国神社の存在理由の第一目的は、「鎮魂」です。 ですから、鎮魂の意思のない者は、境内の結界に立ち入るべきではありません。 祭る意思のない者が結界に入り込むと、魂魄の平安を乱す恐れがあります。 たまたま、寝起きの機嫌が悪い魂を起こしてしまったら、どうなるのでしょう。。。 「懲らしめる」という言葉が、私には思い浮かびます。 境内により創られた結界を神域と呼びます。 鳥居の内側で、言論の自由だとか主義主張の自由と、小賢しい主張はしてはいけません。 結界の内側は、自由より秩序の世界なのです。 日本の古い神々は、そんな昨日今日出てきたような、基本的自由の権利が認めるはずがないのです。大変礼を欠いた行為なのです。 日本の文化の精神基盤である、精霊信仰を甘く見ると危ういことを警告しておきます。 この世は、あらゆる約束事で成り立っています。 このことが、あなたの皮膚感覚でなんとなく解る方は、私のお話したいイメージを共有して頂けるはずです。。。。