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日本経済新聞5月30日付け夕刊に「停電時、呼吸器など停止の恐れ」という記事が載っている。 <厚生労働省は30日までに、今夏の計画停電を準備している北海道、関西、四国、九州4電力管内の自治体に対し、人工呼吸器などの使用が不可欠で停電になった場合は生命維持に危険があるような入所者を抱える福祉施設を把握するよう調査を指示した> <調査は、各福祉施設について(1)自家発電装置の有無と装置の持続時間(2)停電時に生命維持に特別な配慮が必要な入所者の数(3)人工呼吸器を使っている入所者の数――などを調べて報告するよう求めている> この記事は、安全確保がつねにトレードオフの関係にあることを示す好例だ。あちら立てればこちら立たず。 原発を稼動させれば、地震津波の発生とともに福島原発で起こったような非常用電源喪失→メルトダウン→放射性物質の大量汚染の危険がある。福島では起こらなかったが、チュルノブイリ級の格納容器爆発の事態も考えられないではない。 だが、そこを恐れて、原発稼動ゼロを貫けば、イザ停電という時に生命維持の危険にさらされる患者が多数発生する危険がある。それだけではない。火力発電の拡大に伴い原油、天然ガスなど年間3兆円規模の輸入増となり、日本経済に打撃を与える。給与減、雇用減、消費減、不況が広がり、心理的不安を伴って人々の安全を脅かす。 どちらの選択がより日本国民を不安と不幸にさらすか。そのトレードオフだ。より望ましい解を求めて決断するのが政治である。 これまでこのブログで書いてきた通り、筆者は原発再稼動を選ぶ。福島で1000年に一度の大地震が起こったのに、格納容器の爆発にまで至らず、チェルノブイリよりも軽い災害で済んだからだ。今、避難している原発周辺の住民の大半もすぐに自宅に戻っても大丈夫だと科学的データは伝えている。 福島の経験を生かして、他の原発では非常用電源の改善を含むより厳密な点検を加えている。この世に絶対の安全はないが、安全度はずっと高まっていると思う。 でも、再稼動ゼロも1つの選択だ。その政策を支持するかどうかは投票によって決めればよい。それが民主主義社会だ。 いちばん良くないのは、どちらも選ばず、先送りをし続けることだ。今の民主党政権のように。一体、いつまで煮え切らない態度をとり続けているのか。
5月4日付けの本ブログで、ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁一著・幻冬舎新書)を読んだ話を書いた。 著者の中村さんは「週間文春」5月24日付けで「理想は『孤独氏』と『野垂れ死に』」と語っている。 むろん家族から離れて一人ぼっちになったり、生活保護すら受けられずに古いアパートの1室で死んで行くなど、厳しい生活環境下だったという人は多いだろう。だが、そうした社会的な問題点を置いた上で、アパートで死後何日か経って発見される独居老人を見ると、「死の最後は本当に安らかだったと思います」と中村さんは言う。 飢餓、脱水状態になって意識レベルが落ち、ぼんやりするから気持ちが良く死ねるのだという。病院や介護施設ではこうは行かない。 点滴や胃ろうなどによる栄養剤注入を続けるので、身体はせっかく気持ちよく死のうとしているのに、わざわざ苦しくなるようなことをしている。 「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」とは西行の有名な句。その通り、最後はお寺に独居し、野垂れ死にに近い形で孤独死を迎えたと言われる。もしかすると、断食をして。 でも、年とると、認知症が進んで、そんなこともできなくなってしまう。だから、中村さんは意識が明確な健康なときに、自然死(尊厳死)を希望する「事前指示書」を書いておくことを著書の中で勧めている。 <医療死よりも自然死が好みのため、意識不明や正常な判断力が失われた場合、左記を希望する。 1、できる限り救急車は呼ばないこと 1、脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退すること 1、原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さないこと 1、人工透析はしないこと 1、経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、経管栄養、中心静脈栄養、末梢静脈輸液は行わないこと 1、不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければその時点で取り外して差し支えないこと ○年○月○日 なんのたれべえ > 私も、この事前指示書を書いておきたいと思っている。 孤独死、野垂れ死に状態で死ぬには、意識がはっきりしているうちに一ヶ月かけて「断食往生」を遂げるのがいい、と中村さんは語るが、この実行はそう簡単ではない。 でも、なんとかゆっくり餓死に向かい、夢うつうの中で死んでゆきたいものだ、と思う。願わくば花の下にて春、あるいはもみじの下にて秋に。
くだらないテレビ番組が多くて、最近はネットサイトを見る時間の方が多くなったが、それでも魅力的な番組はある。 その一つが「劇的ビフォーアフター」だ。古い住居が優れた建築家(巧)の技によって文字通り劇的に新しく、快適な生活ができるように変貌する様子を映し出す過程は、百聞は一見にしかず。テレビならでは楽しさ、迫力がある。 築20年、30経ち、ただでさえ窓や床、天井、壁、風呂などにガタがきているうえ、子供が大きくなるにつれて生活道具が膨れ上がり、暗く、暮らしづらい住処。それを家族各人のきめ細かい要望に合わせ、限られた空間ながら工夫に工夫を重ねて、明るく使い勝手が良く、快適そのものの住まいにリフォームする。 これぞ巧の技、というわけだ。一流の建築家には及ばないまでも、人様に御代をいただくプロの仕事とはすべからくこうでなくてはならぬ、と思わされる。 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」も、劇的ビフォーアフターと同様の優れ者が毎回、登場する。心臓外科医、看護師、料理人、石工、投手コーチ、パン職人、デザイナー、IT技術者、自殺防止……。 中でも、超一流の外科医が神技とも思える手さばきで、他の病院で「手術は無理」といわれた患者を手術し、快癒に導く過程は感動的だ。 各方面の技術者が有用なアイデアを実現させるTBSの「夢の扉」も興味深い。土砂災害を防ぎつつ、景観や環境を保全するコンクリート不要の斜面補強技術、家具店頭防止技術、委託ない注射針、騒音公害を防ぐ防音材……。 これは便利、社会に役立つと思える技術が毎回、紹介される。 我々凡人に一流の技はない。だから、劇的といえる改善はできない。しかし、まじめな人々の仕事は日々、小さなビフォーアフターを繰り返し、人々の暮らしを改善している。 経済成長はその総体によって実現すると言える。コツコツと熱心に仕事をする国民-ーヒラの人々が多ければ多いほど、国はそれだけ豊かに、安全、便利になる。 劇的なビフォーアフターのできる一流の「巧」がいると、人々はそれを目指して努力するので、巧の技をテレビで紹介するのは大いにケッコー。時間の無駄遣いのようなバラエティ番組などはもう少し減らして、巧の技の紹介をもっとふやしてほしいな。
政治は決断と実行。なのに、何も決めず、実行できない野田佳彦首相の行動の遅さはどうだ。典型例は関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の再稼動だ。 7月2日に関西電力管内で15%の節電要請が始まるうえ、夏場の電力需要のピークとされる7月中下旬までの再稼働には遅くとも6月上旬には決断する必要がある。 ところが、やっていることはそのための環境整備。いや、環境整備という名の「やっているそぶり」だ。これは民主党政権の「そぶりンリスク」と、このブログで以前、書いた。「そぶり」だけで実のある行動は何もしない、この政党の日本国家に与えるリスクは大きい。 危機管理の専門家である佐々淳行氏が「彼ら(民主党--引用者注)が日本を滅ぼす」(幻冬舎)を書き、それでもダメだと思って「ほんとに彼らが日本を滅ぼす」(同)をダメ押しした出版した危機感が良くわかる。 「環境整備」というが、やっているのは周辺自治体への「お願い」や原子力規制庁設置法案の早期成立に向けての自民、公明両党との「詰めの協議」。 要するに、周辺とのあつれきを避け、実行した後の責任をとらされることを恐れているにすぎない。こうした責任回避とスタンドプレーはすべての政治家に当てはまる。 福井県の西川知事は「政府が(再稼動に向け)確たる姿勢を示すことによって解決できる」と指摘し、「県や町の同意待ち」という首相らに不満をぶつけている。だが、要は自治体の首長である自分が積極推進しているように受け取られては困るということだ。 「再稼動して万一、爆発、放射線障害という事態になったらどうするのだ」と批判の矛先が自分に向けられるのを避けつつ、「原発補助金はもらいたい」「地元雇用確保につながる原発再稼動はしてほしい」という姿勢だろう。 京都や滋賀の知事や大阪市の橋下徹市長が「安全が確保されていない」と政府を批判しているのも、究極的に言えばスタンドプレーにすぎない。 再稼動の判断、実行は電気事業法で政府にゆだねられている。原発の運転に地元の同意は必要ない。橋下市長は「原子力規制庁設置法案が国会で審議されていない」ことを再稼動反対の理由に上げているが、それができるまでは現在の法律にしたがって定期検査が終わった原発は再稼動させるのが法治国家というものだ。 福島原発事故後という点を考慮して今まで以上に安全審査に十分な時間をかけることは必要だが、現在の技術水準で必要な審査はすべて終わっているはずだ。 後は政治的な思惑だけなのだ。自治体の首長は「自分たちは安全に不安があると言って再稼動に反対していたのに、国が強引に再稼動に踏み切った」という形にしたいのだろう。 野田政権は「地元のすべての意見を尊重しています。だから時間をかけています。でも夏の需要期に間に合わせるため、大停電発生ということになっても困ります」と説得し、「時間切れギリギリで仕方なく再稼動」という形に持って行きたいのだろう。 いずれも責任回避とスタンドプレーである。 困るのは責任回避が行き過ぎて本当に再稼動せず、停電発生となることだ。それがないとしても、元発稼動ゼロ、火力発電増加という事態によりエネルギー輸入額の膨張→電気代値上げ、という事態が恒常化する危険は大きい。 「原発による万一の事故に比べれば、電力値上げなど大したことない」という声が少なくないが、燃料費増は年間3兆円に及ぶといわれる。ボディブローのように利いてくることを軽視しない方がいい。 また、万一の原発事故も人々が考えているほど大きくない。以前のブログで示したように、福島事故では死者は一人も出ていないし、チェルノブイリ事故後の調査結果を見ても、長期的な放射線被曝もほとんど考えられない。大半の被災者は故郷に帰宅できるし、除染も現在政府が考えているよりもはるかに少ない地域で十分というデータが出されている。 やはり当面、悪役になっても野田首相が再稼動に踏み切るしかない。その決断と実行が実は支持率上昇の近道だということを、野田首相は理解すべきだ。
元NHKの政治部記者で政治家・園田直氏の秘書も務めたジャーナリスト・渡部亮次郎氏は自身のメルマガ「頂門の一針」(5月21日付け)で、こう書いている。 <このところの野田首相の言動を分析すると、消費税率引き上げ法案の今国会での成立は見送り、小沢氏との関係を修復した上で、9月に党代表の再選に全力を挙げると決断したのではないか。 まず、自民党など野党各党との協力路線を自ら封じてしまった。問責決議案が可決されてしまった田中防衛大臣ら2閣僚の罷免要求を断然、拒絶した。……2閣僚を推薦した輿石幹事長のカオを立てたのである。……それは当面の政局運営の主導権を輿石に渡すという意味である。 (輿石の)考えは、幹事長兼参院民主党議員会長と言う今の権力を保持することにしかない。このために引き上げ法案などで身を崩すことなど絶対に考えていない。……考えてみれば、この9月に小沢自身が代表選挙に出馬することは、例の「控訴」で不可能になった。小沢としてはチルドレンを束ねて「圧力」の維持を図るのが精一杯。 そこらを読んで輿石はかねてから消費税率引き上げ法案の「継続審議」を画策してきた。そこで、2閣僚の罷免に抵抗すれば、法案成立の唯一のカギにつながる野党との話し合い路線が断絶する。 その上で野田・小沢直接会談に持っていけば、二人が口にしなくても「法案の今国会見送り」が暗黙のうちに合意され、ひいては野田の党代表再選もおのずとかたまるというもの。つまりこれぞ「党内融和」となり輿石自らの地位も安泰というものだ。 野田はワシントン出発前のわずか30分間の輿石との会談でこのシナリオを聞かされ、膝をいうってワシントン入りしたのである。同行記者団に「高揚」と見えたのは党代表再選決定による高揚だったのである> つまり野田総理は「消費増税に政治生命をかける」なんて言っているが、最大の目標は党代表再選にあるというわけだ。 うなずける分析である。民主党は反自民党で寄り集まった政治集団で、右から左まで主義主張の異なる政治家がそろっており、政治綱領も作れない政党といわれてきた。 しかし、筆者は野田総理にある程度期待してきた。良い意味で保守的な思想を持ち、バラバラの集団をまとめながら、自らの政治信条を少しづつ実現して行こうという意欲を感じていた。 昨年8月、誕生したばかりの野田総理に向けて、「野田総理よ、ドジョウの実行力を見せてほしい」と期待を込めて当ブログ(2011年8月31日付け)に取り上げたのもそのためだ。少し長いが、多くの部分を再録する。 <政界の人事とはここまでやらねばならないものなのか、と改めて思う。野田佳彦・民主党新代表(新首相)が党運営の要である幹事長に輿石東参院議長を起用したことである。 野田氏は2005年10月に小泉純一郎首相に対し「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない」という趣旨の質問趣意書を提出した。永住外国人への地方選挙権付与(参政権)についても「出すべきではない」と反対の立場を貫いている。その点、むしろ自民党の保守派に近い。 また小沢一郎氏とも距離を置き、対立する傾向が強い。日教組出身で小沢一郎元代表に近い輿石氏とは政治信条において相当の開きがある。ほとんど水と油とさえ言える。 だが、民主党とは元々そういう水と油を包含した、反自民党で結集した政治集団である。……だからこそ党をまとめるためには輿石氏という、自分とは考え方の違う政治思想の持ち主と握手するしかない。その緩く、あやうい結束のもとで、自分の政治信条をどれだけ実現するか。野田氏はそう考えたはずである。 そもそも民主政治とは妥協である。自分の思う政策を自由に展開できることなどありえない。……自分の首相在任中に自らが描く政策の……せめて60%、、最悪でも50%を少し越える水準で実現したい。 それにはねじれ国会の火種である参院の要を握る輿石氏と手を組み、強力な政治力を持つ小沢氏にも協力してもらう道筋をつけるしかない。 毒をもって毒を制す。 だが、劇薬の副作用は大きい。……自陣に取り込んだつもりが、逆に取り込まれ、にっちもさっちも行かなくなる危険も大きい。 野田氏の武器は解散権。今、解散すれば民主党が大敗するのは目に見えている。その無言の圧力で小沢―鳩山グループの動きをけん制しながら、震災復興計画や財政再建を推進し、「ドジョウの野田は泥臭いが、良くやっている」という世論を起こし、支持率を上げて行く。それが野田氏の戦略だろう> <野田氏に必要なのは、経済成長を促す規制緩和、行政改革、公務員制度改革の着実な実施。それによって国民に希望を持たせ、元気にさせることだ。いたずらにナショナリズムをあおる愚はいただけないが、尖閣諸島問題などでは毅然とした態度を示し、外交・安全保障力を高める努力も不可欠だ。その実行力が評価されれば、支持率はおのずと高まる> だが、その後の野田氏の支持率は下降線で、最近は底打ちしたが、お世辞にも高いとは言えない。 原因ははっきりしている。「決断の政治」をしていないからだ。党内や野党との議論は必要だし、妥協も必要だろう。だが、自分の政治信条に基づくことはどこかで断行することがリーダーの要件だ。その覚悟が支持率を上げるのだ。小泉首相にはそれがあった。摩擦やあつれきを恐れずに、郵政民営化を突き進み、8月15日の靖国参拝も果たした。 この8月15日の靖国参拝について、ある評論家に小泉氏がこう応えたという。「国民は半分が靖国参拝賛成、半分が反対だ。どっちにしたって支持は半分。それなら実行した方が良い」 結果として、摩擦を恐れない総理の姿勢に信頼と共感が寄せられ、長期政権が続いたのである。野田総理もそれがわかっていると思っていたのだが……。 消費増税を唱える野田総理には「財務省の操り人形」と揶揄される。 だが、これについても私は当初、好意的に解釈していた。9月1日付けの本ブログはこうだ。 <あえて好意的に見れば、野田氏は操られているように見せながら、財務官僚の能力を十二分に活用しつつ、財務省に貸しを作り、次の一手を打とうとしているのではないか。 「あんたらの最大の目標を実現させてやる代わりに行政改革と公務員制度改革で協力しろ」と。 公務員制度改革、行革が実現すれば、民主党の支持率は確実に上がり、次期選挙で勝てる可能性が高まる。それは野田政権を長く続ける道でもある> <この政権は長続きすると思えば、役人は(行政改革に)本腰を入れるが、先が見えたと思えば、さぼって真面目に働かない。つまり、政権が長続きするよう、支持率が上がるような政策を断行することが不可欠なのだ> <やはり、「決断と実行」が万古不易の政治の要諦といえよう。小泉純一郎・元首相はその勘所がわかっていて、長期政権を築いた。野田・新総理もそこを心得て、突き進んでもらいたい> 今もこう思っているが、昨今の野田総理は自身の長期政権維持が目的と化し、本来の目的(行政改革、公務員制度改革など)を後回しにしすぎる。本末転倒であり、それでは国民はついて来ない。逆説的だが、摩擦を恐れない姿勢が長期政権を築くのだ。 それとも、これまでの私は野田首相を買いかぶっていたのだろうか。野田氏は、単に権力に長く居座っていたいだけなのだろうか。 原発再稼動などでも煮え切らない昨今の野田総理を見ていると、そう思われても仕方があるまい。
日本国債を買う動きが盛んだ。10年物の利回りは18日に一時0・815%と2008年のリーマン危機当時を下回り、03年6月以来9年ぶりの低水準に下がった。直近の21日には少し戻して0・855%となったが、それでも相当の低水準であることに変わりはない。 欧州の金融危機を背景に、株式などのリスク資産から資金が流れ出し、安全を求めて日本の円や国債に集中しているのだ。円相場は高くなり、1ドル=79円台と80年台を超え、約3カ月ぶりの高値圏だ。 でも、何か変だ。日本国債を中心に日本政府の借金は膨大に積みあがり、消費税を大幅に引き上げないと、とても返済できないと言われてきた。 格付投資情報センター(R&I)は昨年12月、日本国債の格付けを最上位の「トリプルA」から引き下げ、1段階下の「ダブルAプラス」にしたと発表した。 海外の格付け会社の評価はもっと厳しくて、米ムーディーズ・インベスターズ・サービスは昨年8月に1段階引き下げ、最上位から4番目の「Aa3(ダブルAマイナスに相当)」とした。米スタンダード・アンド・プアーズも「ダブルAマイナス」と評価している。 さんざんコケにしておいて、いざとなると、やっぱり「日本の国債が一番安全」だと言うのか。こう毒づきたくなろうというものだ。 日本国債はあくまでも当面の、株式や欧州の国債などほかよりも相対的な安全資産ということで、そこにマネーが逃避しただけ。中長期的に日本国債が大きな値崩れ不安を抱えている状況は今も変わりはない、と金融エコノミストたちは説明する。 でも、現局面で見れば、日本はドイツやスイスの国債と並び、否、金利の低さから見れば他に抜きん出たトリプルA並みの価値があると、投資家たちが見ているのは確かではないか。円も80円台を割り込む高さだ。 それだけ日本経済の足腰はまだ強い、余裕があると見ていいだろう。 問題はここからだ。今のうちに規制緩和、行政改革によって、成長戦略を確かなものにしなくてはならない。政府にぶら下がる企業や国民をふやす行政保護、「大きな政府」化はもってのほか。なのに、民主党政権はまったく逆の政策を打っている。 企業の新規採用を抑える高齢者雇用安定法改正、柔軟な雇用政策を阻害する改正派遣法、一度緩和したタクシーの参入再規制、郵政民営化からの逆行、食品に含まれる放射線などの過剰規制……。 これでは本当に日本経済の足腰が弱まり、国債格下げが妥当になってしまう。自力で立つ企業や国民がふえる前向きの政策が肝心だ。
「がんは放置療法がいい」という近藤誠医師の著書「がん放置療法のすすめ」(文春新書)を昨日、紹介した。「患者よ がんと闘うな」以来、近藤氏の主張は筋が通っていると私は思うし、支持者はふえている。それでも大勢はまだ「早期発見、早期治療」派で、外科手術、抗がん剤の使用が盛んだ。 厚生労働省、医師界、薬学界全体が「自分たちの市場維持」もあって、あげてそれを主張しているからだが、それに半ば「洗脳」される形で、「早期発見、早期治療が大切」と国民が信じている。 「がんは怖い」→「早く発見し、早く治そう」という思いが頭に刷り込まれているのだ。 この構図は原子力発電所をなくした方がいいという「脱原発」「半原発」の動きと似ている。 池田信夫氏は5月16日付けのブログでこう書いている。 <人間は自分で考えているほど合理的ではない……人間の行動の8割は……感情で決まる。人々はエネルギーを消費する論理的思考をいやがり、自動的な感情的処理を好むからだ。 昨今の原発をめぐるパニックをみても、3・11で刷り込まれた恐怖が、いまだに大衆を動かしていることがわかる。電力が不足するという合理的な計算より「原発が恐い」という感情のほうが強く、科学的データを見るより正義の味方になって「悪い東電」をたたくことを好む。こうした感情を分析することなしには、社会科学も政策立案も成り立たないだろう> 池田氏が何度もブログで書いているように、科学的データは「原発はそれほど怖くない」ことを示している。その触りは5月16日付けの本ブログでも書いた。 <原発事故から一年以上経過し、地震・津波では2万人弱の死者・行方不明者が出たのに対し、原発事故では一人の死者も出ていない> <1000年に一度といわれる超巨大地震に見舞われながら、一時代前の古い設計のプラントの運転が正常に停止したということは、むしろ軽水炉の安全性を示している> <原子炉が運転中に暴走して爆発したから被害が大きくなったソ連のチェルノブイリでも、放射線被曝者は原発従事者や事故の処理に直接関与した作業者を除けば数十人のレベルにとどまっている> しかし「人々はエネルギーを消費する論理的思考をいやがり、自動的な感情的処理を好む」。「原発は怖い」という凍りついた感情を溶解するのは容易ではない。 それでも、少しづつそれを解きほぐす努力が必要だ。粘り強く、しつこく。 私のブログも、その小さな営みだと思っている。 |一覧|Recommend Item
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