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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2013.01.27
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カテゴリ:政治・行政
 杉浦正章氏という政治評論家が「懲りない男の失言癖は直らなかった」と題し、ブログで麻生太郎財務相の終末期医療費への発言を批判している。

 <財務相としては高額な終末期医療費は税金で負担したくないと言いたかったのであろう。そうならそうと理路整然と主張すればよいのだが、発言には一貫して自分の人生哲学を他人に押しつけようとする“おぼっちゃま”型の短絡志向がみられる>

 なるほど麻生氏の発言には短絡志向と言われても仕方のないような危なっかしさがある。綿密に詰めた議論ではなく、理路整然としていないと批判される点もある。

 だが、発言はそれなりにスジが通っている。麻生氏が社会保障制度改革国民会議で語ったのはこうだ。

 <終末期の医療について「私は遺書に『さっさと死ぬからその必要はない』と書いてあるが、そういうことをしておかないと死ぬことができない。『いい加減、死にたいな』と思っても、とにかく『生きられるから』といって生かされちゃかなわない」>

 個人的な意見として、終末期医療のあり方に疑問点を投げかけたのだ。 杉浦氏によると、その前段にマスコミが見逃した麻生発言に次のくだりがあった。

<現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多くの人が知っているわけで。高額医療というものをかけてその後、残存生命期間が何カ月だと、それに掛ける金が月一千何百万円だ、1500万円だっていうような現実を厚生労働省が一番よく知っているはずだ>
  杉浦氏は「これはどう見ても高額医療は税金で負担すべきではないと主張している。ましてや税と社会保障の一体化を協議する会議の場での発言であり、社会保障費を削減せよという財務省の思惑を端的に反映したものに他ならない」と批判している。

 24日付けの私のブログで紹介したように、オランダでは口で食べられなくなった高齢者に鼻からチューブを通したり、胃に穴を開ける「胃瘻(胃ろう)」によって、栄養補給する措置はとらない。自然に任せて死を迎えるようにするのが一般的だ。多くが寝たきり状態だからだ。自然に任せた方が苦しまずに安らかに死ねるという医者も少なくない。

 麻生氏の指摘するように、胃瘻などによる医療費はバカにならず、延命措置が必要なのかと疑問視する声は日本でもふえいている。で、24日付けのブログでこう書いた。 <何がなんでも延命措置をとるという方法と、どちらが良いか意見が分かれる。だから、麻生氏が個人的に延命拒否を唱えても少しも間違ってはいない。むしろ、自分の考え方を普及させようとして、あえて、意識的に語ったのではないか、と思えるのだ>

 これに対して杉浦氏はこう書く。

<尊厳死を選ぶのは自分の勝手だが、既にある高齢者医療制度を、金がかかるからやめよというのは、無駄な公共事業を散々作ってきた自民党政権首脳の言うことでもあるまい。いたずらに社会不安を生じさせるだけである>

 社会保障制度改革国民会議は「改革」の議論をする場である。すでにある医療制度の疑問点をあげて、自由な議論を展開してこそ改革は進む。一時的に社会不安を生じさせるとしても議論を封じ込めるよりはずっといい。議論のない会議など政治の怠慢であり、活発な議論を促すのがジャーナリズムではないか。

 そうした議論を国会に先立って展開するのはマスコミ、ジャーナリズムの役割でもある。「尊厳死を選ぶのは自分の勝手」などと言って、杉浦氏自身は、今の高齢者医療をどう考えているのか。突っ込んだ議論を聞きたいものだ。

 だが、杉浦氏はむしろ次のように底意地の悪い提案を麻生氏に投げかけている。<後期高齢者問題では3年前の総選挙で廃止を唱えた民主党の圧勝をもたらしたが、今度も「家族の心情」無視の終末期医療をテーマに参院選に臨んでみてはどうか>

 実はこれこそ麻生氏が発言を撤回した理由だった。大衆は表面的な発言だけを問題視し、「家族の心情」を無視したようなことを言う政治家や政党に投票しない傾向がある。失言をクローズアップするマスコミがそれを助長する。

 野党はこれ幸いと失言に食いついて、与党の足を引っ張る。麻生氏の発言に対し「社会保障について本当に温かいまなざしで国民を見ているのか」と批判した民主党の細野豪志幹事長など典型的だ。


 麻生氏は自民党の幹部として、与党批判が広がる事態を恐れ、発言を撤回したのだ。だが、24日付けブログで、私はこうも書いた。

 <批判の火が広がる懸念が高まるのを見越して当面は撤回する。それでいて、徐々にオランダ式の考えが広がるようにする。そのための地ならし。そう考えた発言とすれば、なかなかの政治家である> 政治家の役割を自覚していれば、<個人的(な名意見)だったら家でそっと言え>(23日の朝日川柳)のようには行かない。

 麻生氏に失言癖があるのは私も認めるが、それだけではないと思う。マスコミの政治部記者や政治評論家は、発言内容よりもその政治効果を気にする癖(へき)がある。政治評論の限界次のように書く杉浦氏に、その性癖が色濃く見られる。

 <新政権とマスコミのハネムーン期間が従来のように3か月続くかどうかは定かでないが、どうも麻生あたりの失言が、国会審議も含めて“アリの一穴”となりそうな気がしてならない>

 杉浦氏は安倍政権の長期化を期待しているのだろう。だから、失言癖の麻生氏が、安倍政権の崩壊させては困ると心配しているようだ。

 だが、政治家は自身の信条で発言することもある。政治ジャーナリズムは政治効果よりも、その内容の吟味に注力してもらいたい。「尊厳死を選ぶのは自分の勝手」などと言って、そこで思考停止する政治評論の限界を突破するべきはないか。日本の高齢者医療制度をどうすべきか、という議論に踏み込むべきだ。





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Last updated  2013.01.27 17:50:48
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