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カテゴリ:日本・日本人
池田信夫氏のツィッターにこうある。
<客観的に考えれば勝てるはずのない日米戦争に、なぜ突っ込んだのか」は永遠の謎だが、「客観的に考えれば費用対効果がまったく合わないのに、なぜすべての原発を止めているのか」を考えればわかる。両方とも主犯は「国民感情」で、共犯は朝日新聞> 厳密に言うと、この表現は適切ではない。軍事史に詳しい米ウィリアムズ大学のジェームズ・B・ウッド教授は著書「『太平洋戦争』は無謀な戦争だったのか」(ワック、茂木弘道訳)の中で、「太平洋戦争は、最初からその運命が決まっていたわけではない」「日本は(米国に勝てる)絶好のタイミングを選んで(日米戦争の)開戦に踏み切った」と書いている。 では、なぜ負けたのか。詳細は本書を読んでもらうとして、最大の問題点を書けば、真珠湾攻撃で開戦したからである。真珠湾攻撃こそ、原発再稼働ゼロという愚挙に匹敵する。 日本海軍のそれまでの対米戦の考え方はこうだった。 <マレー半島とフィリピンにおいて、米国などの連合国軍に完勝し、同時に西太平洋において米太平洋艦隊を迎え撃つべく待機する> 太平洋戦争開始時の日米の太平洋における戦力は日本側が優位であり、かつ(サッカーで言えば)ホームの日本近海で待機すれば、戦闘は日本側が有利だった。 だから、日本近海で待てば勝利の日和あり、だった。それを完全アウェーのハワイまで出かけて行き、不利な海域での戦線を大幅に拡大してしまった。確かに緒戦では勝ったが、物量に欠ける日本軍が時間とともに劣勢になるのは明らかで、事実その通りになった。 連合艦隊司令長官・山本五十六の独断、悪く言えば「暴走」が招いた結果と言える。「誰よりも戦争に反対していた」と評価が高いが、その後の「独走」を見ると、とても評価はできない。 厳密には池田氏の表現は不適切と書いたが、戦略の上を行く政略で考えれば、大量の軍事物資を生産できる米国と戦争したのは得策ではなかった。米国との戦争は極力避け、ABCD包囲陣によって輸入が閉ざされた物資――中でも石油を確保する戦略をとるべきだった。 日下公人氏と小室直樹氏の示唆に富む対談「大東亜戦争、こうすれば勝てた」〔講談社)の中で、日下氏はこう述べている。 <英米でなく、オランダにだけ宣戦布告をするという道もあったと思う。……なるべくイギリス、アメリカとはイザコザを避ける。そして、オランダに対して石油交渉をする。これは世界から『気の毒だ』と思われるように交渉する。それで、いよいよ石油がなくなろうというときはスマトラ島のパレンバンまで石油輸入のタンカーを派遣する。そのときは『国家の生存権』とか新しい主張をする> <護衛の艦隊と陸戦隊がついていて、(オランダが)いやだといえば強奪する。しかし、『お金は払いますから』と言ってでかけるのです。何ならロンドンにいるオランダの亡命政権や石油会社に対して先払いしておく。なるべく向こうが妨害しにくいようにね。宣戦布告はオランダがするように仕向ける> 20年近く前、このくだりを最初に読んだときは文字通り、目からウロコが落ちる感覚があった。「これこそ外交だ。外交と軍事が一体になった国家の政略、戦略だ」と思った。 このくだりについて「後知恵だ。後からなら、どんなアイデアも出せる」としたり顔の批判がある。だが、外交、軍事はつねに相手の長所、弱点、狙いをにらみながら複眼的発想で進めることが肝要なのだ。当時の日本の内閣にも陸海軍にもそうした発想はきわめて乏しかった。 鬼畜米英、日米必戦論が広がる空気の中でハル・ノートを突きつけられ、もはや米国と戦うしかない。ならば、一気に真珠湾を攻撃しよう、となってしまった。 池田氏の言うように、現在の脱原発も同じだ。「原発怖い、原発憎し」の国民感情が根強い中で、再稼働に踏み切るのは容易ではない。 だからといって、原発を葬ってはならない。前回のブログで指摘したように、日本のエネルギー事情を考えれば、冷静な議論を粘り強く進めて、少しづつ原発の恐怖心を和らげ、原発再稼働を広げて行かねばならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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