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鎌倉橋残日録  ~井本省吾のOB記者日誌~

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2014.12.26
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 池田信夫氏がブログ「安倍晋三氏のユートピア」で、安倍首相の憲法改正論を「右のユートピアだ」として批判している。

 <福田(恆存)から安倍首相に至る憲法改正も、右のユートピアなのだ。現実に日本を動かしたのは、アメリカの核の傘に守られて成長した資本主義と、その果実を分配して既得権を守った官僚機構だった>

 <ユートピアは「どこにもない国」である限りでは美しいが、何かの間違いで実現すると、ロシアや中国のような悲劇をもたらす>

 だが、その一方で、池田氏は安倍首相を次のように見ている。

 <安倍首相には「右翼」というレッテルがついて回るが、彼の政策は右派ではない。安全保障政策は常識的だし、経済政策はむしろ左派だ>

 福田恆存氏についても、こう弁護している。

 <一般のイメージとは違って英米的な個人主義だ。彼は戦前も全体主義を嫌悪し、自由主義を擁護した。彼が社会主義を批判したのも、それを「左の全体主義」とみたからだ>

 いずれも、正しい指摘だと思われる。ユートピア思想を「過激な原理主義」とするならば、安倍氏も福田氏もユートピア思想とは程遠い。

 二人は本来、常識人なのに「憲法改正」を唱える点が危険だ、と池田氏は言いたいのだろう。

 しかし、私は憲法改正論を危険なユートピア思想とは思わない。そこにあるのは、福沢諭吉以来の「独立自尊」への欲求と信念である。

 安倍首相について言えば、それは昨年2月の施政方針演説の冒頭に表れている。

 <「強い日本」。それを創るのは、他のだれでもありません。私たち自身です。「一身独立して一国独立する」。私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません>

 <私たち一人ひとりが、自ら立って前を向き、未来は明るいと信じて前進することが、私たちの次の、そのまた次の世代の日本人に、立派な国、強い国を残す唯一の道であります>

 これを単なるタテマエ論、政権に返り咲いた首相の美辞麗句だと冷ややかに見る向きもあるだろうが、私は本心だと思う。

 「日本を取り戻す」というキャッチフレーズは「独立自尊」の言い換えだろう。幕末、明治維新以来、日本は植民地化こそ免れたが、不平等条約、治外法権を呑まされ、半植民地状態だった。日清日露戦争の勝利で辛うじてその状態を脱したものの、第2次大戦以後、再び米国の「属国」状態に陥った。

 池田氏は「憲法改正は『大改革』ではない」というブログでこの属国化を評価している。

 <それは何と平和で豊かな属国だろうか。日本の「宗主国」がソ連だったら、どうなったか考えてみればいい。国家としてのプライドさえ捨てれば、これほど安上がりで快適な属国はない>

「独立自尊」などというプライドは捨てればいい、と言っているわけだ。

 ここが池田氏と私や安倍首相らとの分岐点だろう。むろん、安倍首相も私も日米同盟は重要だと思っている。今の時代、米国を除けば、どの国も外交・軍事面で連携、同盟関係を結ばなければやっていけない。日本の国力を考えれば、日米同盟は不可欠である。

 だが、同盟は一方的な依存であってはいけない。独立心を持ち、それにふさわしい憲法を持たねば、国民は健全な精神を保つことはできず、永続的な発展も危うくなる。依存心の強い半人前の国家は外国に舐められ、米国からも見捨てられる恐れがある。やはり国家としてのプライドは大切なのだ。

 集団的自衛権で米国を守れるようにするのも、1つには米国の日本からの離反を阻止するためだ。池田氏も集団的自衛権の行使容認の憲法解釈に賛成している。

 「集団的自衛権の憲法解釈は今回の選挙で自民党が勝ち、承認されたのだから、もはや憲法改正する意味はない」と、池田氏は言いたいだろう。

 だが、問題は独立自尊の精神の確立なのである。憲法改正論もここから出ており、それは法治国家としての体制を整備することをも意味する。

 現行憲法の前文と9条を見れば、憲法学者の論議はともかく、普通の庶民なら、日本は軍隊を持てないと読めるはずである。9条があるのに、高度な戦闘機まで保有する自衛隊の存在するのは欺瞞以外の何物でもない。

 池田氏はその欺瞞性を半ば認めながら、「現行憲法のままでいい」と言う。

 <福田もいうように新憲法は、敗戦のどさくさでつくられた「当用憲法」であり、日本語としても悪文である。しかし日本は、それを改正するチャンスを逃し、憲法で保持しないはずの軍隊をなし崩しに保持し、日米同盟で長い平和を守ってきた。今では安全保障の立場からみても、それを改正する必然性はなく、その可能性はゼロに近い>

 これは典型的な現状肯定論である。「今が良ければ、法的に問題があろうと、どうでもいいじゃないか」と。


 原発再稼働について、あれほど法の支配を唱え、「空気」で原発を全面停止し続けるのはおかしいと批判してきた池田氏の姿は、そこにはない。池田氏の原発論から多くを学び、その主張を支持してきた私は、ここで戸惑ってしまう。

 「原発は怖い」という多くの国民の恐怖心に応じて自民党政府は、なかなか再稼働に進まない。だが、川内原発を皮切りにソロリソロリと少しずつ再稼働に踏み出す。

 国民は気づいている。原発は怖いが、原発なしでは電力保持は難しく、化石燃料の輸入で巨額の国費流出が続くことを。しかし、二度と福島のような事故を起こして欲しくない。電力会社への不信感は今も根強い。だから、原子力規制委員会がガチガチに安全性を追求するまでは稼働させない方がいいとも思っている。

 これが現在の「空気」であり、政府は「空気主権」に対応せざるを得ない。戦後の自民党は基本的に現状肯定であり、様々な既得権を守って政権を維持してきた。「法治」より国民の「空気」を大事にして。

 憲法へのこだわりも基本的に同じだ。シナ事変から対米戦に至った戦争を二度と起こしてほしくない。軍部への不信感は今も根強い。そこで、憲法で軍隊を否定しておく。しかし、かつてのソ連、現在の北朝鮮、中国の動きを見れば、実際は自衛隊を保持せざるを得ない。それで憲法解釈を変えて、自衛隊を創設してその規模を年々拡充してきた。今や日本の防衛に必要なら米国など他国の軍隊を守ってもいいところまで来た。

 これを国民のしたたかな知恵、戦略と見ることもできる。だが、法的には欺瞞であり、精神のあり方としては不健全である。現行憲法は自力で守らず、米国に守ってもらおうという依存心を生んでいる。国際的には通用しない半人前国家なのだ。

 安倍首相の憲法改正論には、一人前の国家としての「日本を取り戻す」意識があるはずだ。それは福田恆存の「英米的な個人主義、自由主義」につながる。英米の自由主義の根底には独立自尊の精神があるからだ。

 法治国家を重視するなら、池田氏も同じ精神を共有しているはずだ。











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Last updated  2014.12.26 22:16:52
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