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カテゴリ:生活・人生
先日、5年ごとに開催されている高校時代の同期会に10年ぶりに参加した。列席者は卒業生の2割強といったところで、なつかしくも老けた顔ぶれに再会し、旧交を温めた。
ただ、在校時親しくしていたある友人の顔が見えない。幹事に聞くと、昨年亡くなったという。エッと驚いた。10年前には元気にやって来て、ひとしきり談笑したのに……。68歳(67歳だったかも知れない)の生涯である。鬼籍に入ったクラスメートはほかにもいたが、親しくしていた人間との別れはやはり寂しい。 一瞬、卒業以来の半世紀の月日を超えて高校時代の思い出が蘇った。月並みな表現だが、なんと人生は短いことか、という感慨が胸に広がった。 帰宅後、寝室で当時の思い出を反芻していて、頭に浮かんだ句があった。 飛び込んで手にもたまらぬ霰かな--。 赤穂浪士で俳諧をたしなんだ富森助右衛門が討ち入り前(討ち入り後と言う説もある)に詠んだ句である。ちょうど高校時代に見た赤穂浪士を描いたテレビドラマで、小雪が舞い散る中で助右衛門がこの句を詠む場面があり、耳に残った。 この世に生を受けたが、吉良屋敷に飛び込んで討ち入りを果たすまでアッという間の人生だったという思いが、感じ取れた。その句が高校時代の友の死と重ね合わさって蘇ったのかも知れない。合掌。 友人の他界の経過はわからないが、死ぬときは苦しむことがないように一瞬のうちに……という願いも「手にもたまらぬ霰」という句を想い起こさせたのかも知れない。 たまたま寝室の本棚に並べていた文芸春秋(2008年2月号)が「見事な死」というタイトルで著名人の死を特集していた。中に、作家の古山高麗雄氏が「亡き妻の布団の上で」死んだという長女の文章があった。 布団の上で半裸の状態、胎児のような格好で死んでいたという。ちょうど風呂上がりでパジャマを着るところだったようで、心筋梗塞だった。医師は「苦しんだとしても、せいぜい1、2秒くらいの間。痛いと感じる前に亡くなられたんでしょう。こういう言い方をしては失礼ですが、うらやましい最期です」と診断した。 まさに、うらやましいが、そんな幸運には簡単にめぐり合えない。そう思いつつ、5ページ前までパラパラめくると、ファンだった喜劇俳優の三木のり平氏は「すべての治療を拒否」して亡くなったと長男が綴っている。 「病院で父は点滴や投薬のたぐいを一切、拒否していました」。おかげで入院日数は短く、点滴の管だらけにならない自然な最期だったという。 「くどいことを嫌う三木のり平らしい“演出”による人生の幕引きでした」 第一級の役者だった、のり平さんのように見事な演出ができるかどうかは心もとないが、余計な治療は拒否して、死に際は短く、ピンピンコロリと逝きたいものだ。そう思いながら雑誌を閉じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.18 04:38:20
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