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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2005.08.13
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先日も書きましたが、永禄4年(1561)3月27日、毛利元就は、長男の隆元とともに、三男で小早川家を継いだ隆景のもとを訪れています。

元就一行は、隆景の雄高山城(新高山城)で6日間すごしたあと、閏3月6日、本郷を発ち、沼田川をさかのぼって、棲真寺を経由して吉田の郡山城へ帰国しています(「毛利元就父子雄高山行向滞留日記」『毛利家文書』403号)。

棲真寺に向かう途中では、「滝を御見物なされ」たということですが、その滝とみられるのが、この瀑雪(ばくせつ)の滝です。
高さは、およそ30メートルあります。
この滝をみながら山越えすれば、棲真寺です。

いまはその道も荒れ果て、歩く人はいなくなりましたが、滝の周囲は、真夏でも気持ちの良い風が吹きぬけています。
元就も、たくさんのマイナスイオンをあびながら、滝を見上げたことでしょう。



まこべえ隊の調査は真夏におこなうことが多く、暑さには苦労しますが、ときにはこうしたオプションで、疲れをいやしています。





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最終更新日  2005.08.14 01:00:51
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