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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2005.10.12
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三原市の南西、竹原市との境にそびえる白滝山(しろたきやま/標高350メートル)。
その山頂に登ると、瀬戸内海から中国山地を独り占めできる大パノラマがひろがります。

この日(9月11日)は雲が多く、波光きらめく瀬戸内海とはいきませんでしたが、左に大三島(おおみしま)、右に大崎上島をのぞみながら、その彼方に、愛媛県今治市の波方(なみかた)ターミナルの白いタンクも確認できました。

その場所はというと、この小さな写真ではわかりにくいのですが、画面の中央やや左側に、ひょっこりひょうたん島のような小さな島(小久野島)がみえます。
そのほぼ正面方向になります。

この波方ターミナルは、石油・化学品・LPGなどの原燃料を貯蔵する日本有数の大型貯蔵基地として、1983年に建設されました。
年間100万トンもの原燃料は、四国はもちろんのこと、西日本・九州、さらに韓国や中国へも再出荷されているそうです。

さらに波方といえば、能島(のしま)の村上氏とならぶ瀬戸内海の海賊衆・来島(くるしま)村上氏の本拠地があった場所です。

その場所は、波方ターミナルより、5キロほど東側(画面右側)になるため、白滝山からは、大三島にさえぎらて見ることはできません。

しかし、ここに立てば、芸予諸島を行きかう船の動きが手にとるように見えたことでしょう。

画面手前、高い鉄塔が立つ左側にわずかに見える町並みは、忠海(ただのうみ)です。

その町並みのすぐ左側に、こんもりと小さな丘がみえますが、これが以前(9月2日の記事参照)紹介した小早川警固衆(水軍)の司令官・乃美宗勝の城と伝わる賀儀城です。

そのほぼ正面に、波方が位置します。
そこから海岸沿いに南下すれば、来島通康の長男、得居通幸がいた賀島(北条市鹿島)、さらに南下すれば松山に行けます。

忠海が伊予国への作戦基地として重視された理由も、ここに登るとよく理解できます。







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最終更新日  2005.10.12 23:51:37
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