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中世武士団をあるく 安芸国小早川領の復元

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2006.03.02
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瀬戸内海に面した竹原市の忠海(ただのうみ)は、小早川隆景の時代、軍港が置かれ、隆景の重臣として警固衆(水軍)を指揮した乃美宗勝(のみむねかつ)の本拠地でした。

その乃美宗勝の墓と伝える宝篋印塔が忠海の勝運寺(しょううんじ)にあります。




勝運寺の宝篋印塔 伝乃美宗勝墓




海に向かって立つこの塔は、相輪の八輪目から上を欠損するほかは、各部を備え、基礎の形式は、二段式になります。

基礎の高さは、39.6センチ、幅は50.9センチあり、これまで確認した基礎のなかでも、竹原市内では4番目、隣接市町村を含めても9番目の大きさとなります。

しかし、作りは簡素で、輪郭と格狭間は一面のみで、ほかは素面になります。

こうした略式は、16世紀末以降の小型塔によくみられますが、幅が40センチ近くもある基礎では珍しいでしょう。


各部の比率をみると、高さと側面幅の比率は0.78、側面の縦横比率は0.60、輪郭の上下の幅の比率は1.4、上の輪郭幅と横の輪郭幅の比率は2.4となり、16世紀後半以降の数値を示します。

また、基礎上部の下段側線も、横の輪郭の内側線とは一致しません。



元亀元年(1570)に勝運寺を創建したと伝える乃美宗勝は、天正20年(1592)9月23日に筑前国で没したあと、遺髪を勝運寺に埋葬したと伝えられています。

塔の比率や特徴は、その時代の特徴を示していますから、寺伝通り、この宝篋印塔は乃美宗勝の供養塔として問題はないでしょう。



このほか勝運寺では、宝篋印塔の基礎4基、塔身2基、笠5基、五輪塔の地輪1基、水輪1基、火輪2基、空風輪1基を確認しています。

いずれも16世紀以降の石塔で、15世紀にまでさかのぼる石塔はなさそうです。

このことから、勝運寺が乃美宗勝によって建立されたとする寺伝も、ほぼ、信頼してよさそうです。




石塔データ 伝乃美宗勝の墓(宝篋印塔)

〔基礎〕
全体の高さ39.6センチ 側面の高さ30.5センチ 幅50.9センチ
階段部分の全体の高さ 9.1センチ 一段目 高さ4.2センチ 幅41.0センチ  二段目 高さ4.4センチ
格狭間 1面のみ 花頭形中心から端まで17.0センチ 同中心から内側の弧まで7.2センチ
縁厚1.6センチ 脚高3.3センチ 脚幅12.7センチ
輪郭 上幅2.5センチ 下幅3.4センチ 左幅5.7センチ 右幅6.0センチ(上部)6.4センチ(下部) 輪郭縁厚0.7センチ

〔塔身〕
高さ27.9センチ(上下をセメントで固定するため概算値) 上端幅27.9センチ

〔笠〕
形状 上6段下2段
全体の高さ47.9センチ
軒幅51.6センチ(正面) 軒厚6.9センチ 露盤幅23.1センチ
隅飾 高さ19.4センチ、左右の間隔17.9センチ 二弧輪郭付 内部は素面 


このほかの宝篋印塔の基礎

基礎2 反花式 高さは土中にあり計測不可 幅31.5センチ
基礎3 高さはコンクリートで埋まり計測不可 幅30.7センチ
基礎4 二段式 高さ25.0センチ 幅40.9センチ
基礎5 反花式 高さ17.0センチ 高さ26.0センチ





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最終更新日  2006.08.03 23:06:07
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