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最近、小池真理子さんの昔の小説を読み返しています。
「パロール」という作品に、興味深いテーマがあったので紹介します。 パロールとは・・・フランス語で「言葉」という意味。 主人公は、亜希子という33歳のOL。 そして、本職は詩人だが夏になると立山に肉体労働で出稼ぎに行っているという65歳の古賀という男。 二人は亜希子の叔母夫婦の居酒屋で出会い、会話を交わすようになった。 亜希子は、自分の心の内面を言葉で表現することができない、大人として未熟とさえ言える、野口という恋人と別れたばかり・・・。 以下、本編より。 『亜希子は野口と言葉を交わし合いたかった。 野口が何を考えているのか、どう感じているのか、 野口の肉体を濾過(ろか)して生み出された言葉を知りたかった。 そこに教養や学歴や知識や話術など、ひとつもいらない。 ただ単に、一生懸命、気持ちをこめて、亜希子に向かって訥々(とつとつ)と何かを表現しようとする彼を見ていたかっただけなのだ。 結婚したいのではなかった。 そんなつまらない、ありふれた人生のドラマを期待して関わってきたのではない。 自分が野口に求めていたのは「愛」だった。 と今になって亜希子は思う。 アイ、あい、愛・・・・・口にしてみても、それが意味することなど、何ひとつ、わかったためしがないのに、亜希子は愛が欲しい。と思ってきた。 愛されている確証を得たいと願ってきた』 二月の雪の降る夜、居酒屋で亜希子と古賀は、カウンター席で並んで酒を飲んでいる。 『「私、ずっとわからないままでいるんです。 言葉で愛を表現するには、どうすればいいのか、って」 「あなたはお幾つでしたっけ?」 「三十三」 「三十三の若さで、言葉で愛をどう表現するか、わかってる人がいたとしたら奇跡だな」 「そうなんでしょうか」 「何よりも、愛してる、っていう言葉をほんとの意味で口にできる瞬間は、 長い人生の中でも数えるほどしかないんです。場合によっては一度くらいなのかもしれない」 「たったそれだけ?」 「そうですよ」 「先生は何度くらい、その言葉を口にした?」 古賀はわざとらしく顔をしかめてみせた。 「僕のことを先生と言うのはやめてください。前にも言ったでしょう。古賀でいい」 「すみません。古賀さん・・・・古賀さんは愛してる、っていう言葉を何回くらい、女の人に使いました?」 「数えきれないくらい」 「ほんとに?」 「それでも本当の意味でその言葉を使ったのは、一度か二度だったと思います」 亜希子はうなずいた。 「古賀さんほど長く生きてらして、たったの一度か二度?」』 中略 『亜希子は話題を変えた。 「ほんとの意味で“愛してる”っていう言葉を使うときは、それはプラトニック・ラブじゃなければいけないんですか」 「いいや」 と古賀は静かに首を振り、髭に包まれた唇に笑みを浮かべた。 「とんでもない。そんなものは嘘だ。異性に向かう愛はね、もっと烈(はげ)しいんです。烈しくて強い。 あなたは誰か男の人から、僕は精神できみを愛す、愛す、愛す、なんて百万遍言われたって、ちっとも嬉しくないでしょう」 「そうね。それよりもがっしり抱きしめてもらったほうが、相手の気持ちが伝わるかもしれない」 「精神だけの愛というのは、僕に言わせればまやかしです。 相手に肉体的な欲望をもたない愛は偽物だ。僕はそう思う」 「でも、肉体的な欲望をもって、そのうえ、そこに言葉がほしい、って私、いつも思ってるんです。 なのにそれがいつもうまくいかない」 「言葉、ね。パロール」 「そう。パロール」 亜希子と古賀は顔を見合わせ、くすりと小さく笑いあった』 中略 『「愛の言葉、なんて、初めからないんです。 もしかしたら、ぎゅっ、と抱き合った時の胸と胸の間にあるもののほうが、 遥かに愛なのかもしれない。 僕みたいに、山奥の露天風呂につかって、夜空を見上げてる時に感じるもののほうが、愛なのかもしれない。 そういったものを一つ一つ、言葉にしようとしても無駄なのかもしれない」』 以上。 講談社文庫 「夏の吐息」 小池真理子著 より引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・ はい。そこのお嬢さん(笑) 思わず読みいっちゃたでしょ? 僕個人の経験で言うと、女性に対して「愛してる」って言う頻度は、年齢と共に減ってきたかな? というか30代半ばあたりからは、口にした覚えがないです。 20代の頃が一番よく言ってたかな? なんとなく・・・ 「女性に対して言わなきゃいけない言葉」だって勝手に思っていたのかも。 『好きだよ』とか『愛してるよ』とか、常に言ってないと、相手が離れていくんじゃないか・・・って不安だったからかな? 年齢と共に色々な経験を重ねると、だんだん自分に自信がついていって、「愛してる」という言葉以外のコトで、伝えたり、伝えられたりし始めたからだと思います。 それは、日常のさりげない仕草や表情、会話とか。 ひとつのソファに並んで座っている空気感とか。 肌と肌を合わせた時のぬくもりとか。 20代の頃はベッドの中で、それもとくに「行為」の最中に、『愛してるよ』って叫んでた気がします(笑) 大人になってからは・・・ キスに時間をかけたり、髪をゆっくり撫でたり、アダムタッチしたり(笑) なんかそういうことで、相手に対する愛おしさを伝える。 というか「愛おしさ」が自然にそういう行為をさせる・・・ って言ったほうが正しいかな? でもね、よくTVで女性タレントが言うでしょ? 「毎日『愛してる』って言ってほしいです~」って。 小説のなかにもありました。 『アイ、あい、愛・・・・・口にしてみても、それが意味することなど、何ひとつ、わかったためしがないのに、亜希子は愛が欲しい。と思ってきた。 愛されている確証を得たいと願ってきた』 女性と男性では「愛してる」という「言葉」に対する感性というか「考え方」が若干違うのかな?って僕は思いました。 今の僕の考えを言うと、「愛してる」って言葉は、なんか「セリフ」っぽいイメージに感じてしまうんです。 ちょっと極端なたとえですが・・・ 中学生の女の子が、大好きだった男子が転校してしまうことになり、最後の別れに駅に行き。 ホームから動き出す電車の窓から手を振る男子に向かって、大声で『あんたのこと、めっちゃすきやったんやあ~』 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。 これって、頭で考えたり、口先で言ったことではなく、抑えきれない腹の底からの感情がドーンと飛び出してきた! ってコトでしょ? ※思いっきり昭和な設定ですみません。(しかも関西設定) 一方『愛してる』って言うときは 「どんなシチュエーションの時に」「どんな表情で」「どんな口調で」 って考えちゃうんですよ。男は。 花粉症で鼻を赤くしたカオで「愛してるよ」とは言いたくない(笑) それが『セリフ』っぽいイメージの理由かな? あと・・・ ドラマなんかで、ほかに女をつくってる男に限って、 『ホントに愛してるのはオマエだけだよ』なんて言うでしょ?(笑) ま、それはともかく、男にとって女性に『愛してる』って言葉を発するのは・・・いろいろな意味で、ビミョーなんですよね~ ・・・・・・・・・・・・・ 『愛していると言葉にすれば 嘘になる様な気がして・・・』 “Boy”by 坂井泉水 『言葉は心を越えない とても伝えたがるけど 心に勝てない』 “SAY YES”by 飛鳥涼 心のうちを言葉で表現するのは難しい。 もしかして・・・不可能? でも女性は言葉が欲しい? 言葉で伝えて欲しい? でもまあ、色々な理屈は別として・・・ 「愛してるよ」って言われて、それで相手が幸せな気持ちになるのなら、 それはもちろん、良いことでしょうね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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