カテゴリ:子供の変な日記
何故田 何出太郎 ジャージを着てくねくねとした踊りが特技のshanghai-kです!
子供がついになぜなぜ期に突入した。 必ず「ウェイ シェンモ?」(なぜ?) って聞いてくる。 僕「我愛你」(愛してる) 子「为什么爱我?」(なぜ愛してるの?) 僕「你很可爱」 (可愛いから) 子「为什么我很可爱?」(なぜ僕は可愛いの?) 僕「你妈妈很可爱 你很像妈妈 所以你也可爱」(ママは可愛いからママににて可愛いんだよ) 子「为什么妈妈很可爱?」 (なぜママは可愛いの?) 僕「你妈妈眼睛很大 所以很可爱」(お目目が大きいからだよ) 子「为什么妈妈眼睛很大」(なぜお目目が大きいの?) 僕「知るか!!!」 って君はトヨタの社員か? なぜなぜ分析か!!! というような、なぜなぜ合戦が果てしなく続く。 非常に面倒くさい。 っていうか何故中国語? っていうか何故なぜって聞く? こっちがなぜ、すぐなぜって聞くのか聞きたいわ! ![]() とものすごい事に気付かされた。 はて? なぜ大人は疑問を持たないのだろうか? いつから疑問を持つことを止めてしまったのだろうか? 考えることをやめて思考停止しているのではなかろうか? 当たり前と思っていることって本当に当たり前なの? 世の中よくよく見渡すと、おかしな事だらけで疑問だらけだ。 社会、会社、政治おかしなことばかりで疑問を持たないほうがおかしい。 疑問一つ持たないで何も考えず、 ただ、飯食って、 ただ、う○こして、 ただ、寝て、 ただ、仕事して。。。 そんな人生が楽しいのだろうか? そんな生活は虫や金魚と一緒だ。 子供は何にでも疑問を持つ。 なぜ疑問を持つのだろうか? それは、好奇心、探究心を持つ事により、 進化、成長し世界を広げるために疑問を持つのだ。 疑問を持つことが人間の本質ではなかろうか。 ![]() なぜなぜ? そもそも? 全てを疑い、 自分さえも疑い、 自分の頭で考えて、行動に移し実践し、 自分で経験したことこそが知識や智慧なのではなかろうか。 智慧に辿り着くために疑問を持ち続けるのかもしれない。 ひたすら「なぜ?」と疑問を持ち続けることこそが、 人間たる証であるのかも知れない。子供の視点で素直に疑問を持つことって大切なのでは。。。 「なぜ愛しているのか?」 なんて疑問に大して何も考えずに脊髄反射でアホなダメおやじ的答えをしてしまった。 子供が生まれ、ようやく答えがわかりはじめてきたが、 未だに正解の答えなんて見つからない。 子供が成人になるまでに、必死に考え、行動し、 一生かけて答えを見つけ出す重要な疑問ではなかろうか? とにかく疑問を持ち続け、悩み続け、考え続け、行動し続けよう。。。 そのうち答えが見つかるかも。。。 また師匠に一つ教えてもらい、賢くなった。 ![]() ※僕の師匠推定3歳 またまた、師匠のなぜなぜ分析が始まった。 子「为什么下雨?」(なぜ雨が降るの?) 僕「・・・」 地上の水分が熱により蒸発し、上空に昇り、 上空で雲になり冷やされて雨になって地上に降り注ぐ。 とか自分でも雨がなぜ降るかよくわからないし、 それを中国語で正確に伝える自信がないし、 非常に面倒くさい。。。 僕「あそこにある木々や草達が喉が乾くので、お水を飲ませてあげるからだ」 とか、 僕「木や葉っぱや犬や虫達が雨のシャワーを浴びて身体が綺麗になるからだ」 とか、 子「なぜ空が青いの?」 僕「真っ黒だと何も見えないので、夜君が寝ている間に神様が青い絵の具で色を塗ったんだよ。」 とかUSO800(読み:うそはっぴゃく) 規格に基づき思いつくまま適当に答えている。 何が正しいとか、何が間違っているとかどうでもいい。 親と子供がお互い色々な事に疑問を持ち、 お互い、イマジネーションを膨らませて自分達で答えを見つけ出せばよい。 所詮世の中なんて幻想だ。 自分が見たいようにしか見れない。 世界を自分が好きな様に、自分の世界を描き、 世界を自分の好きな色で塗ってしまえばよいのだと思う。。。 そこで 今世紀最大の疑問が生まれた shanghai-kは今なぜこんなブログなんて書いているのだろうか。 想像してみよう!!! 制限時間は5分です。。。 ちっ ちっ ちっ ちっ ちっ ちっ ちっ 正解!!! 答え 「暇人」 想像→ イマジン → 暇人 ※一人寂しくとある痴呆都市に出張中で暇だ~ 子供と一緒になぜなぜ分析をしたい。。。 ってなぜこんなくそつまらないオチにしてしまったのだろう? また、朝まで悩む。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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